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日高本線の線路は海のすぐ傍を通っています。佐瑠太(後の富川)から静内までは国鉄ではなく、「日高拓殖鉄道」が建設した区間です。
2024年2月29日木曜日
2024年2月28日水曜日
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2024年2月27日火曜日
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2024年2月26日月曜日
2024年2月25日日曜日
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庶 路(しょろ)
所在地 (釧路国)白糠郡白糠町
開 駅 明治34年7月20日(北海道鉄道部)(客)
起 源 アイヌ語の「ショ・オロ」(滝の所) から出たもので、ここを流れる庶路川の上流に、滝が多いからである。
Shororo,=Sho-ri-oro ショロロ 瀑布高キ處 大雨ノ時瀑泉飛ブ○やはり「ショロ」ではなく「ショロロ」という認識だったようで、なんとかしてその形に近い解をひねり出した感があります。so-ri-oro という形が果たして文法的に妥当かどうかは、ちょっと疑問も残りますが……。庶路村
(二丁七間) シヨロヽ〔庶路〕(川幅二十間餘、船渡し、人家九軒)名義、シヨロヽマウエと云、則順風の勢と譯す。此川屈曲をなせしが、舟を遣 るに宜敷 より號 ると(地名解)。又むかし出水の時に〓 を懸し如く、水が平に成りしに依る共言へり。
シヨロヽ 川舟渡
夷語シヨロヽとは順風と譯す。此川格別屈曲もなく、川風請凉風なる故、地名になすといふ。
ソロヽ川 ソロヽ・ヘツ 鉋かける・川
此所に川有。先年川上にて鹿沢山に居候節、奥山に雪降り積り候得ば、川下へ鹿下るに其跡の草鉋かけるよふに成しを名附由。
・シヨロ
①かんな ②
§ 152.ミツバウツギ Staphylea Bumalda Sieb. et Zucc.
(1) esorokanni (e-só-ro-kan-ni) 「エそロカンニ」[e(それで)soro (かんな)kar(つくる)ni(木)] 莖《穂別》《A 沙流・千歳》
Soro. Dav. 鉋.Mos. 鉋,両手鉋, shioro(シヨロ)とも言う.
─ omari. Dav. 鉋をかける.
─ rubi. Dav. 鉋屑.Mos. 鉋屑,shiororube とも言う(Pf.によると,soro および小詞 ru と be から)
Sororubi. Kl. Sakh. 背が高い.クラプロト(Klaprot, Клапротъ)はダヴィドフ(Davydov, Давыдов)の語彙集のドイツ語訳からまるごと語を引いていた.そこで「鉋屑,削り屑」を意昧するこの語は,解釈において riiva と混同された.
Shioro. Mos.カーブ,曲がりくねり(川の); leks.では.鉋(かんな),両手鉋(かんな).Bits-shioro-shioro-shioro-shioro,ああ,川の曲がりよ !
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2024年2月24日土曜日
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国鉄庶路駅の東側の湿地帯。稚内市の声問と同じ、波が崩す所の意。
(十丁四十間) コイトフ(沙濱、小川)上に細き沼有。此處え東風強き時は波浪打込故に號 くと。
コヱトヱ コヱ・トヱ 浪・切れ
昔シヨロヽ川浪にて此所え切れ相成候故名附。尤も今は川尻別に御座候。
2024年2月23日金曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
日本の下層階級では、少なくとも男の場合には、低い声で話すということは、「たいそう良いことだ」とは思われていない。人々は声の限り高い声でしゃべる。
たいていの語や音節は母音で終わるが、彼らの会話を聞いていると、鵞鳥などが遊んでいる英国の農家の庭先のがやがやとして雑然たる騒音を思わせる。
彼らと宿の亭主は、大声で四時間も議論をかわしていた。とても重大な問題を論じているにちがいないと私は思った。私が大館で聞いたのだが、選挙による地方議会を許可するという新しい重要な法令が出たという、それを議論しているにちがいないと想像した。
ところが、きいてみると、大館から能代 までのその日の旅が、道路で行くのがよいか川で行くのがよいか議論していたのであった。彼らはこんな問題で四時間もの長い間議論を続けることができるのである。
私は「ある一人の事情通の人」から聞いたのですが、交わされる会話は教育を受けた日本人の間でさえ、最も貧困なレベルのものだそうです。
政治、社会問題は禁句であり、宗教やその他同類の話題はどこにもありません。芸術には興味がなく、文学などそんなものどこにあるかというところです。教養のある女性を向上させるような影響はなく、古い慣習や現在の不信から、誰もが喋る価値のある如何様な問題に対しても、自分の意見を明らかにしてコミットすることに躊躇し、話題は知的な外国人には、どうしても好感のもてない低俗でおもしろおかしいだけのものや下品な冗談に堕落してしまいます。
日本の女性は、自分たちだけの集まりをもっている。そこでは人の噂話やむだ話が主な話題で、真に東洋的な不作法な言葉が目立つ。
多くの点において、特に表面に現われているものにおいては、日本人は英国人よりも大いにすぐれている。しかし他の多くの点では、日本人は英国人よりもはるかに劣っている。
このていねいで勤勉で文明化した国民の中に全く溶けこんで生活していると、その風俗習慣を、英国民のように何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣と比較してみることは、日本人に対して大いに不当な扱いをしたことになるということを忘れるようになる。この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように〈残念ながら実際にはそうではない!〉、英国民がますますキリスト教化されんことを神に祈る。
七月三十日──私の部屋の向かい側の部屋にはひどい眼病の男が二人いた。頭を剃り、長くて奇妙な数珠をさげて、歩きながら小さな太鼓を叩き、東京 の目黒不動 の社まで巡礼を続けている。
南無妙法蓮華経 という日蓮 宗の祈禱の文句を非常な速さで繰り返し、これが高く単調な声で二時間も続いた。この祈りの文句は、日本人には誰にも分かっていないだろうし、その意味については最高の学者でも意見がまちまちである。
雨は昨夜十一時ごろまた降り始めたが、今朝五時から八時まで降った。粒となって降るのでとばりはなく、滝のように流れおちた。その中ほどで真っ黒な夜の帳があらゆるものを包んで、不気味な黒闇となった《皆既食だといわれる》。
もう一日で私の旅行の終点に着けるというのに、少しでも足どめされるのは腹立たしくなる。これから先に大きな困難が待ち構えていること、三日や四日かかってもそれを切り抜けることは疑わしいと聞いて、私は不安な気持ちになる。
もし少しでも手紙が興味深いものであるとすれば、それは、一外国人が、大きいけれどもあまり人の訪れない地方を旅行して、見たり聞いたりしたことをありのままに描いているからであり、その場その場で書きあげたものだからである。
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2024年2月22日木曜日
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2024年2月21日水曜日
2024年2月20日火曜日
2024年2月19日月曜日
2024年2月18日日曜日
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フㇷ゚・ウㇱ・ヌプリ(hup-ush-nupri) で,たぶん「椴松・群生する・山」の意であったろう。
雌阿寒岳からフップシ岳にかけての山麓は、全道一のアカエゾマツの純林が形成されている。このアカエゾマツの純林を過ぎると、一変して山頂まではトドマツの純林で覆われているのである。
トドマツをフㇷ゚というが、フㇷ゚とは腫物ということで、この木の松脂が樹皮の下にたまって、腫物のようにふくらむところから名付けられたのであるという。
2024年2月17日土曜日
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Okur'ushbe オクルシュ ベ 黑川尻また、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。
永田地名解は「オクル・シュベ Okur-ushbe 黒川尻」と書いた。オ・クルニ・ウㇱ・ペ「o-kuruni-us-pe 川尻に・ヤマナラシ(幹)・群生する・もの(川)」の意で、ドロノキにもこの名がついている。
2024年2月16日金曜日
2024年2月15日木曜日
2024年2月14日水曜日
2024年2月13日火曜日
2024年2月12日月曜日
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こへて
ウチシホコマナイ
本名ルツ シポコマナイなるべし。此処より赤無川 すじをはなれて、此小川に添て上り行ことなり。ルツ シポコマとは此川沢まゝにルウチシ有と云事なり。ヲマとは有ると云儀。
ルーチシポコマナイ
イタルイカオマナイ(地理院図)
沢まゝ上りて凡椴原十七八丁にて茅野に出り。此処
ケ ナ シ
と云なり。ケナシは野原の事也。
是より九折 形有る哉無の坂を行こと凡十七八丁也。
此坂に上るや、アカンの川すじ彼椴木山の中を屈曲して行さま、蛇竜の盤屈するごときもの審に見え、
2024年2月11日日曜日
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私は71軒の家のある小さな静かな村の通りを眺めながら楽しい夕べの時を過ごしてきました。同様の村は何千とありここもその一つです。村には戸長 がいて、高札、寺や墓場があり、凋落しつつある崇拝の対象があり、祭り 、社会政体、結婚や死、地域の利権、警官の査察、税の支払い、土地の争い、ちょっとしたうわさ話、迷信、蒙昧、──ここは小さな世界ですが、それでも大日本の一部なのです。
私は今、つい最近まで別個の国で必ずしも友好関係でなかった、幾つかの地域を通って旅を続けてきましたが、それらは公国(藩)、つまりそれぞれが独立した領邦システムだったのです。
しかしどこに行っても、寺や家は事実上、全く同じ様式で建てられています。大きなものや、小さいもの、木壁、土壁、草葺屋根、木の皮(檜皮葺き)、こけら葺き、他の変化もありますが、住宅内部の飾りつけはいつも同じそれと認知できる特徴があります。
これらのことを遥かに凌いで、すべての段階で社会を統治する不文律は実際に同じなのです。
秋田の下級の労働者は田舎者かもしれませんが、東京の下層階級労働者の他人との交際における堅苦しい礼儀作法と同じだし、白沢の独身女性は、日光でそうであったように、落ち着いた感じがして、品位があり、礼儀正しい。子どもたちは、同じ玩具で同じ遊びをし、同年齢の子どもたちは同様の人生の公式の段階を踏む。
みな一様に、同一社会秩序の厳格な足かせにより縛られている。これは伝統的な慣習で、それが時には弊害となることもあり、時には非常にうまく作用することもあるのですが、それが、西洋の礼儀や文化のゆがんだ真似に取って代わられるのを見たら何であれ、私はきっと悲しくなるに違いないでしょう。
ここでは今夜も、他の幾千もの村々の場合と同じく、人々は仕事から帰宅し、食事をとり、煙草を吸い、子どもを見て楽しみ、背に負って歩きまわったり、子どもたちが遊ぶのを見ていたり、藁で蓑 を編んだりしている。彼らは、一般にどこでも、このように巧みに環境に適応し、金のかからぬ小さな工夫をして晩を過ごす。
《残念ながら》わが英国民は、おそらく他のどの国民よりも、このようなことをやっていない。
英国の労働者階級の家庭では、往々にして口論があったり言うことをきかなかったりして、家庭は騒々しい場所となってしまうことが多いのだが、ここでは、そういう光景は見られない。
北へ旅するにつれて、宗教的色彩は薄れてくる。信仰心が少しでもあるとするならば、それは主としてお守りや迷信を信じていることである。
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2024年2月10日土曜日
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この「阿寒町ワッカタンネナイ」は運輸局住所コードの設定があるものの、OpenStreetMap 以外の地図サイトでは場所の確認ができません。OpenStreetMap は国土数値情報の街区レベル位置参照情報をインポートしたようにも見えるので、少なくとも(色々と曰くのある)国土数値情報では「現役の地名」という扱いになりそうですね。
又しばらくして
ワツカクン子ナイ
巾五六間。両岸峨々たる岩山。其間を滝川になりて落るを、其水如何なる訳哉くろきが故に号。ワツカは水、クン子は暗らき形なり。
地理院・営林署図は白水川と記入してある。水源は雌阿寒岳の火山帯のため、沢水は噴出物によって白く濁ってはいるが、川底の黒い安山岩によって、黒と白濁の交じった複雑な色合いを見せている。アイヌはそれを「水黒い川」と言い、和人は「白い水の川」と言ったのであった。
2024年2月9日金曜日
2024年2月8日木曜日
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2024年2月7日水曜日
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2024年2月6日火曜日
2024年2月5日月曜日
2024年2月4日日曜日
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さいやない サイヤナイ <阿寒町>
〔近代〕昭和13年~現在の行政字名。はじめ阿寒村,昭和32年からは阿寒町の行政字。もとは阿寒村大字飽別 村の一部。地内は通称ルベシベの一部にあたる。
say【名】[概](所は saye)群れ(鳥など飛ぶ動物の)。cikappo say 小鳥の群れ〈伊賀〉
2024年2月3日土曜日
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其傍
アキベツ
此地西の方山有、其より椴木立に成る也。此処まで茅野也。小川有、巾三間計。源は是より直に椴山に入りてメアカンの麓に到るなり。此処人家三軒有。処名アキベツは水が多く出たり、又無たりと云儀。アはすぐに出る、キは直に干ると云儀也。
アキベツ
水が多く出たり、又無ったりと云。アは直に出る、キはすると云事也
Ak pet アㇰ ペッ 淺川 飽別村、一説射水川ノ義hak は ooho の対義語なので、hak-pet で「浅い・川」では無いか……という説ですね。地形図を見ると、徹別川のように左右に河岸段丘があるようにも見えないので、なるほど「浅い川」というのは言い得て妙な感じもします。
ak を「浅い(hak) 」とも読み, また「射る」とも解した。要するに音に合わせた想像説である。
ついでに似た読み方を付け加えるならば,ア・ク・ペッ(a-ku-pet 我ら・飲む・川)とも読める(他地では,飲料水に使った川をアクナイのように呼んでいた)。
アクベツ(飽別)
「アクペツ」といい、「アク」「アキ」とは「矢を射る」とか「弟」という意味がある、すなわち「矢を射る川」「弟の川」という意味になるが現地はそれ程流れが急激ではなく、もし阿寒川にそそいでいる支流を指すならば阿寒川や徹別川の「弟の川」ということになるであろう。
また「アク」を「ア」と「ク」に分けて見ると「ア」は「我れ」の意味で、「ク」は「飲む」の意味で「ア、ク、ベツ」とは「我ら飲む川」となる。
飽別(あくべつ)
阿寒道路途中の部落。阿寒川の支流飽別川の名からでたもので、アイヌ語アック・ペッは小獣をとるおとしをかける沢の意である。
2024年2月2日金曜日
2024年2月1日木曜日
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