2024年2月23日金曜日

「日本奥地紀行」を読む (159) 白沢(大館市) (1878/7/29(月)~30(火))

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十七信」(初版では「第三十二信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

騒がしい談話

折からの長雨のせいで、大館の北に位置する「白沢」で足止めを食らったイザベラは、旅程を進めることができなくなったのでネタに困って……ということでも無いのでしょうが、周りの日本人の観察に勤しんでいました。

 日本の下層階級では、少なくとも男の場合には、低い声で話すということは、「たいそう良いことだ」とは思われていない。人々は声の限り高い声でしゃべる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.297 より引用)
「階級」によって声のトーンが変わる……というのは、これまで考えたことも無かったのですが、そう言われてみれば「偉い人」はドスの利いた声色を使う傾向がある……かもしれませんね。

たいていの語や音節は母音で終わるが、彼らの会話を聞いていると、鵞鳥などが遊んでいる英国の農家の庭先のがやがやとして雑然たる騒音を思わせる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.297 より引用)
「鵞鳥」は「がちょう」のことですが、イザベラ姐さん、今日も絶好調ですね……(汗)。

彼らと宿の亭主は、大声で四時間も議論をかわしていた。とても重大な問題を論じているにちがいないと私は思った。私が大館で聞いたのだが、選挙による地方議会を許可するという新しい重要な法令が出たという、それを議論しているにちがいないと想像した。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.298 より引用)
ふむふむ。まさに「日本の夜明け」が現在進行中だったわけで、きっと巷でも「新しい日本」のこれからについて闊達な議論が行われているのだろう……と考えたのですね。

ところが、きいてみると、大館から能代ノシロまでのその日の旅が、道路で行くのがよいか川で行くのがよいか議論していたのであった。彼らはこんな問題で四時間もの長い間議論を続けることができるのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.298 より引用)
……。いやまぁ、これも一歩間違えると生命の危険のある、重大な問題ではあるのですが……。

イザベラは、「日本の下層階級」の間で交わされる会話について、更に詳細を記していましたが、流石にオフトピックに過ぎると判断したのか、「普及版」ではカットしていました。

 私は「ある一人の事情通の人」から聞いたのですが、交わされる会話は教育を受けた日本人の間でさえ、最も貧困なレベルのものだそうです。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.115 より引用)
うーむ。まぁそうだよなぁ……と思いつつ、こうやって活字にされると「あああ」と思ってしまいますね。「貧困なレベル」の会話が具体的にどのようなものであったかと言うと……

政治、社会問題は禁句であり、宗教やその他同類の話題はどこにもありません。芸術には興味がなく、文学などそんなものどこにあるかというところです。教養のある女性を向上させるような影響はなく、古い慣習や現在の不信から、誰もが喋る価値のある如何様な問題に対しても、自分の意見を明らかにしてコミットすることに躊躇し、話題は知的な外国人には、どうしても好感のもてない低俗でおもしろおかしいだけのものや下品な冗談に堕落してしまいます。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.115 より引用)
……。今の日本にも、イザベラの言う「日本の下層階級」が存在する……というか、大勢を占めるような気もするのですが……。

社交的集まり

イザベラが目を向けたのは「日本の下層階級」のみならず、「日本の女性」についても鋭い視線を投げかけていました。

 日本の女性は、自分たちだけの集まりをもっている。そこでは人の噂話やむだ話が主な話題で、真に東洋的な不作法な言葉が目立つ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.298 より引用)
うううう……。今の日本も「お上品な女性」と「お上品な男性」をワシントン条約で保護する必要があるんじゃないかと思えることもあるのですが……。「井戸端会議」という表現は一体いつ頃から存在するのでしょうね。

「真に東洋的な不作法な言葉」というのがちょっと不思議な感じもするのですが、原文によると truly Oriental indecorum of speech とのこと。どのようにオリエンタルなのかは……ちょっと理解できていません。

不公平な比較

イザベラは「日本人」と「英国人」を比較するという、ちょっと今ではやってはいけないことを試していました。

多くの点において、特に表面に現われているものにおいては、日本人は英国人よりも大いにすぐれている。しかし他の多くの点では、日本人は英国人よりもはるかに劣っている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.298 より引用)
「日本人が英国人よりも大いにすぐれている」のは、丁寧で勤勉であるという点と、日々を倹しくも睦まじく暮らしている……という点でしょうか。イザベラは「キリスト教化された英国人」と「日本人」を比較すること自体がアンフェアであると考えていたようで、実際に次のように記していました。

このていねいで勤勉で文明化した国民の中に全く溶けこんで生活していると、その風俗習慣を、英国民のように何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣と比較してみることは、日本人に対して大いに不当な扱いをしたことになるということを忘れるようになる。この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように〈残念ながら実際にはそうではない!〉、英国民がますますキリスト教化されんことを神に祈る。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.298 より引用)
平たく言い直せば「英国人はキリスト教のおかげで日本人よりマシに見える」と言ったところでしょうか。これはスポンサー向けのヨイショというよりは、実際にイザベラはそのように考えていた……と見ていいかと思われます。

問題は「他の多くの点では、日本人は英国人よりもはるかに劣っている」という点で、これは「日本の下層階級」における「致命的なまでの教養の欠如」が該当する……と言えそうでしょうか。「平均的な日本人」の教養レベルの低さはますます酷くなる一方で、これは日々憂慮すべき点でもあるのですが、本質的なレベルではイザベラが旅した頃と何ら変わっていない……と言われてしまうと、絶望感に苛まれますね……。

このトピックは「不公平な比較」の筈ですが、7/30(火) 付けで次のような文章が続いていました。

 七月三十日──私の部屋の向かい側の部屋にはひどい眼病の男が二人いた。頭を剃り、長くて奇妙な数珠をさげて、歩きながら小さな太鼓を叩き、東京エド目黒不動メクロフドーの社まで巡礼を続けている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.298 より引用)
不動明王は盲人に視力を与えるご利益があるとして、眼病の男たちが朝 5 時に始めた勤行について、次のように綴っていました。

南無妙法蓮華経ナムミヨーホーレンゲキョーという日蓮ニチレン宗の祈禱の文句を非常な速さで繰り返し、これが高く単調な声で二時間も続いた。この祈りの文句は、日本人には誰にも分かっていないだろうし、その意味については最高の学者でも意見がまちまちである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.299 より引用)
イザベラは「意味を理解すること無くお題目を唱える」ことのナンセンスさを批評する……のかと思ったのですが、意外なことに本件は情景の描写に留めていました。読者が旅先で、似たような巡礼者を見かけたときの理解を深めるための一節だったのかもしれませんね。

更にイザベラは興味深い記録を残していました。

 雨は昨夜十一時ごろまた降り始めたが、今朝五時から八時まで降った。粒となって降るのでとばりはなく、滝のように流れおちた。その中ほどで真っ黒な夜の帳があらゆるものを包んで、不気味な黒闇となった《皆既食だといわれる》。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.299 より引用)
イザベラはこの日(1878/7/30)の朝に日食があったことを記しているのですが、確かにこの日に北アメリカ大陸を中心に皆既日食があったとのこと。日本でも北日本を中心に広い対象で日食があったらしく、http://star.gs/njkako/nj18780730.htm によると秋田では朝の 4:36 から 5:52 の間に日食が見られたとのこと。

イザベラの「日記」に記された日付にどこまで信を置けるか……という点も時に悩ましいものですが、少なくとも 1878/7/30 に白沢にいた、という点はこれで確実になったと言えそうですね。

直近では大館と白沢で足止めを食らっていたイザベラは、やはりフラストレーションが溜まっていたようで……

もう一日で私の旅行の終点に着けるというのに、少しでも足どめされるのは腹立たしくなる。これから先に大きな困難が待ち構えていること、三日や四日かかってもそれを切り抜けることは疑わしいと聞いて、私は不安な気持ちになる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.299 より引用)
そして「私の手紙が単調になって倦きてしまうことのないように祈る」と続けていました。やはりネタに困っているという自覚が多少なりともあったということなんでしょうか(汗)。

もっとも、「ネタ切れ」「マンネリ」を危惧しつつも、『日本奥地紀行』のユニーク性については自負もあったようで、次のように続けていました。

もし少しでも手紙が興味深いものであるとすれば、それは、一外国人が、大きいけれどもあまり人の訪れない地方を旅行して、見たり聞いたりしたことをありのままに描いているからであり、その場その場で書きあげたものだからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.299-300 より引用)
「その場その場で書き上げた紀行文」というのは全くその通りで、確かに貴重なものですね。こうやって、改めて深く読み進めるのも楽しいものです。

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