【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
ローカル線の終着駅だと、本当に線路とホームしか無いような駅もありますが、様似駅は観光案内所が併設された立派な駅舎があり、ホームにも上屋が設けられています。流石は「本線」の終着駅と言ったところでしょうか。
「様似営業所前」行きのジェイ・アール北海道バスがおよそ 5 分遅れで出発しました。終点の様似営業所までは 3 分ほどの筈です。
様似は日高本線の終点でしたが、えりも町を経由して広尾まで延伸し、国鉄広尾線と接続する計画でした。実際に建設されることは無かったと記憶していますが、様似駅の 0.7 km ほど東にある北海電気興業(現在の新日本電工)まで専用線が伸びていた……んですね(知りませんでした)。
この専用線は 1982(昭和 57)年に廃止されたらしいのですが、その跡地に線路を塞ぐ形で建物が見えます。この建物は「浦河警察署 様似駐在所」らしいのですが、そう言えば札沼線の新十津川駅もこんな感じで線路を塞ぐ建物がありましたよね。
歓迎 ようこそ様似町へ
様似駅は日高本線の終着駅で、町内には他に「西様似駅」と「鵜苫駅」がありました。乗換案内は、ゴシック体のいかにも JR 北海道らしいデザインのものです。「JR 北海道バス 日勝線」が案内されている……のですが、日高本線と競合する「鵜苫市街・浦河・静内 方面」が案内されているのも面白いですね。
駅舎の横には「歓迎 ようこそ様似町へ」と記された看板が掲げられていました。ここが様似駅の「出口」だった……ということでしょうか。
もしかしたら団体用の出口なのかもしれませんが、あるいは待合室の保温の関係で、入口と出口がそれぞれ別に設けられていたようにも見えます。こういった出口が日常的に使われていたのか、それとも貨物や荷物用の出入り口だったのか、未だに確証が持てません(広尾駅の場合は到着時刻が表示されていたので、出口だったと思えるのですが)。
名所案内
出口?の脇には「名所案内」も立っていました。様似町と言えば「アポイ岳ジオパーク」推しという印象がありますが、そう言えば「等澍院」もあるんですよね。厚岸の「国泰寺」、有珠の「善光寺」と並ぶ「蝦夷三官寺」の一つで、江戸時代の文献にはめちゃくちゃ頻出する寺でもあります。
「等澍院」は「澍」の字が JIS 第 3 水準のため、「樹」の字で代用されることもあります。そのことを念頭に置いてこの「名所案内」を見てみると、苦労の跡が見え隠れしていることがわかりますね。
本場の味!
西様似方面に向かってホームを歩きます。廃レールと思しき柱には「本場の味」が。
「本場の味」と改札のツーショットです。最近は写真をコッテコテに補正しないと気に入らないのですが、この写真は珍しくリサイズのみの「撮って出し」です。
改札の上にはひらがなで「さまに」と記された額が掲げられていました。こんなのを見てしまうと、昔は至るところに「芸術家」がいたんじゃないかと思ってしまいますね……。ガラス扉に何かを剥がした跡があるのも気になるところです。
線路は山の方に向かって
ホームの先端部分にやってきました。線路は山の方に向かってカーブしているのですね。日高本線は私鉄を買収した区間と国有化後に建設された区間があるのですが、国有化後に建設された区間は意外と内陸側を通る区間が多い印象があります。始発駅ならではの注意喚起もありました。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿