2024年1月22日月曜日

ジェイ・アール北海道バス 日勝線の旅 (22) 「新デザインのバス停?」

「えりも岬」の次のバス停は「油駒」で、両者は 3.6 km ほど離れています。「アイナメ」の多いところだったので、「アイナメ」の方言「アブラコ」の「澗」で「アブラコ澗」と呼ばれるようになり、やがて「油駒」に変化したのだとか。
ただ、この「油駒」という地名も現在は「えりも町東洋」で、「油駒」は通称扱いのようです。バス停も意外と歴史地名が残っている……ということかもしれませんね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。

新デザイン?

正面に妙な形をした砂山?が見えますが、よく見ると左は海で、どうやら波によって山が崩されつつある……ということみたいです。
この先に「南東洋」というバス停がある……らしいのですが……おおっと!


例によってバス停には立派な待合室があるのですが、デザインがここまでのバス停とは違っていました(トンガリ屋根が無い)。チラっと見た感じでは若干新しそうに見えるのですが、先程の写真をよーく見ると……
どうやらかつては進行方向右側にトンガリ屋根の待合室が存在していて(2017 年時点)、その後 2021 年までのどこかのタイミングで旧・待合室の解体と新・待合室の建設が行われたっぽい感じですね。移設の理由は不明ですが、こうやってメンテナンスが続けられている(メンテナンスに充当する予算がある)というのはなかなか素晴らしいのでは……。

余談ですが、「南東洋」バス停の手前を左折して「東洋漁港」(凄い名前だな……)に向かう途中には


こんなトイレもあったりします。もしかして「南東洋」バス停が魔改造の上で移設されたのか……と思ったりしましたが、このトイレは 2014 年時点で存在が確認されているので、流石に魔改造の線は無さそうです。

自衛隊に入ろう

「南東洋」の次は「自衛隊前」バス停です。高田渡の「自衛隊に入ろう」を思い出しますね(やめなさい)。
えりも町には「航空自衛隊 襟裳分屯基地」があるみたいですが、「自衛隊前」バス停から分屯基地までは 2.2 km ほど離れているようです。ちょうど「東洋」と「百人浜」の間の高台にあるっぽい感じです。

何故に「東洋」

続いて「東洋」バス停が見えてきました(トンガリ屋根はインパクト抜群なのが良いですね……)。かつては「ヤンケベツ」と呼ばれたあたりで、 1942(昭和 17)年に「東洋」に改められたとのこと。戦時中に失われたアイヌ語地名は少なくないですが、ここもその一つですか……。
道路脇の高台(と言っても 7~8 m ほど高いくらい)に小学校があるようで、横断歩道も整備されています。ただ押ボタン信号などは無いようです。

東へ西へ

「えりも岬」→「油駒」→「南東洋」→「自衛隊前」→「東洋」と来て、次のバス停は「西東洋」とのこと。そもそも「東洋」という地名自体の成り立ちが謎なんですが、「西東洋」というのもなかなか……。
「東洋」と「西東洋」の間には覆道があります。落石のリスクは無さそうなところなので、雪崩、あるいは地吹雪対策でしょうか……?
覆道の名前はストレートに「西東洋覆道」です。よーく見るとトンガリ屋根のバス停の存在も確認できます。
ちなみに「西東洋」バス停のすぐ手前にはこんな標識?も。


先程の覆道はシカの通り道なのか……と思ったのですが、北東側に若干の段差があるように見えるので、そういう訳でも無さそうなんですよね。

この地点の標高は 14.7 m

「西東洋」の次は「歌露」です。これはコテコテのアイヌ語地名っぽい感じですが、軽く由来を調べてみると、ちょっとややこしそうな予感も……。
前方にバス停のトンガリ屋根が見えてきました。このバス停の待合室、思った以上に視認性がいいですよね。
バス停の入口ドアには「この地点の標高は 14.7 m えりも町」と貼り出してあります。
確かにこうやって見てみると、海沿いにしてはやや高いところを通っていますね。
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:ダストノイズ除去

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