2024年1月6日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1103) 「ヌカマンベツ川・恩禰比良・ウエンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヌカマンベツ川

nupka-oman-pet??
原野・行く・川
(?? = 記録未確認、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路市動物園」や「山花温泉」のある釧路市山花(かつて「穏禰平」と呼ばれていた)の西で阿寒川に合流する北支流です。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしい川が描かれておらず、また「北海道実測切図」(1895) や「北海道地形図」(1896) にもそれらしい川が描かれていません(厳密には川は描かれているものの明らかに流長が短すぎる)。ただ、陸軍図には「ヌカマンベツ澤」として描かれているため、アイヌ語由来の川名である可能性があるのではないかと考えています。

北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 ヌカマンベツ川 阿寒川下流に合する左小川。アイヌ語「ヌㇷ゚カ・オマン・ペッ」原野に行く川(原野から流れてくる川)の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.689 より引用)
阿寒川から「ヌカマンベツ川」を遡ると、「ポンヌカマンベツ川」が「ヌカマンベツ川」に合流するあたりまで湿原が広がっているように見えます。「ヌカマンベツ」が nupka-oman-pet で「原野・行く・川」だとする案は、実際の地形にも即しているように思われます。

「?」の付け方に少し迷いが生じたのですが、明治時代の地形図に見当たらないということから、念のため「記録未確認」としました。

恩禰比良(おんねびら)

onne-pira
大きな・崖
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路市山花にある「山花温泉」の西に阿寒川にせり出した山があり、山の頂上付近に「恩禰比良おんねびら」という名前の二等三角点(標高 102.8 m)があります。読み方については「二等三角点の記」を確認しましたが、もしかしたら「──びら」ではなく「──ぴら」かもしれません。

釧路市山花の旧称が「穏禰平おんねびら」で、道道 952 号「山花鶴丘線」の「山花橋」のあたりに雄別鉄道の「穏禰平駅」がありました(1956(昭和 31)年に「山花駅」に改称)。

北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 (通称) 隠弥平(おんねびら) 現在の山花の旧名。アイヌ語大崖の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.667 より引用)
onne-pira を逐語的に解釈すると「年老いた・崖」となるでしょうか。onne は「年老いた」を「親である」と同義と解釈し、結果的に「大きな」を意味することが多いので、onne-pira は「大きな・崖」と考えるのが妥当に思えます。

「北海道実測切図」(1895) には恩禰比良三角点のあたりに「コピラ」とあり、やや西(現在の「西山花」四等三角点のあたり)に「オン子ピラ」とありました。本来の onne-pira は西山花三角点の西のあたりだったのかもしれません。

となると気になるのが「コピラ」ですが、素直にアイヌ語で解釈すると ku-o-pira で「仕掛け弓・ある・崖」あたりか……と思ったのですが、流石に安直に過ぎるような気もします。kom-pira で「曲がった・崖」と考えるのが、実際の地形にも即しているように思えます。

湯波内川(ゆばない──)

yuk-pa-oma-nay?
シカ・頭・そこにある・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての雄別鉄道雄別本線(1970(昭和 45)年に廃止)には「山花駅」の西隣に「桜田駅」という駅がありましたが、この「桜田駅」は 1956(昭和 31)年までは「湯波内駅」という駅名でした。陸軍図にも「ゆつぱない」とあり、近くの地名も「ユツナイ」と(ルビつきで)描かれていました。回りくどい言い方になってしまいましたが、現在の「釧路市桜田」の旧称が「湯波内」です。

北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 (通称) 湯波内 (ゆっぱない) 桜田の旧名,今もこの地名を使う人がいる。「ユッパナイ」は「エッパ・ナイ」で,溢れる沢つまり川口が狭くて雨や融雪時には氾濫するのに因む名ともいう。⇒湯波内川
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.666 より引用)
「『ユッパナイ』は『エッパ・ナイ』で」とありますが、アイヌ語で「エッパ」という語があったかどうか、記憶にありません。もしかして「越波」のこと……だったりするのでしょうか?

「⇒湯波内川」とあるので「湯波内川」の項を見てみたところ……

 湯波内川(ゆっぱないがわ) 桜田(湯波内)で阿寒川に入る左小川。アイヌ語で鹿の頭の川の意という。⇒湯波内
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.661 より引用)
いやー、僅か 5 ページの違いで内容がコロっと変わっていますね(汗)。まぁ人のことをとやかく言えた義理では無いのですが……。

かつての記事をあえて参照せずに再検討した地名も少なくないので、同じ地名でも古いページと新しいページで解釈がコロっと違っているケースも少なくない筈です。できれば「変節ぶり」を楽しんでいただければと……

「鹿の頭の川」とあるのは yuk-pa-nay で「シカ・頭・川」と考えた……ということでしょうか。ただ文法的に収まりが悪いので、元は yuk-pa-oma-nay で「シカ・頭・そこにある・川」だった可能性もあるかもしれません。

この川の不思議なところは「北海道実測切図」(1895) などに「チカップウㇱュナイ」とあるところで、陸軍図ではしれっと「湯波内澤」に変わっています。「北海道実測切図」などの明治時代の地形図は「ヌカマンベツ川」を異様に短く描くなどの誤りが多いのですが、この川名についても舌辛川支流の「チロッペ川」と混同した……とかでしょうか。

本題に戻りますが、「北海道実測切図」の 8 年前に作成された「改正北海道全図」(1887) には、「ニヌスヘツ川」(仁々志別川と考えられる)の支流として「ユツバヲハナイ川」が描かれていました。

実際にはこのような川は存在しないのですが、「阿寒川」の北、「ホンニマ?スヘツ」(=ポンヌカマンベツ川)の南西を流れる川と考えると「湯波内川」が最も一致するので、「湯波内川」は yuk-pa-oma-nay で「シカ・頭・そこにある・川」だったと考えてもいい……かもしれません。

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