この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
上機嫌な酩酊
長雨の中の移動を強いられ、なんとか大館までやってきたイザベラでしたが、ようやく雨雲が去り、青空がやってきました。ただ、増水した川の水が引かないことには先に進めないとのことで、結局昼過ぎまで出発を待たされることになります。今日の旅は、川がもっと減水するまでは遠くへ行けないので、たった七マイルである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.294 より引用)
この日のゴールは大館市の白沢で、これは JR 奥羽本線の「白沢駅」のあるあたりでしょうか。ただ大館駅と白沢駅の間は 6.5 km らしいので、約 4 マイルほどしか無い筈なのですが……?イザベラがゲットした馬は「脚をひきずった陰鬱な馬」だったそうですが、陰鬱なのは馬だけだったようで……
私の馬子はほろ酔いかげんで、道中はずっと歌ったり、しゃべったり、跳ねまわっていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.294 より引用)
うーむ。陽気なのは……少なくとも悪いことでは無いと思うのですが、昼間っから酔っ払っているというのは褒められたものでは無いですし、心配になりますね……。酒は暖めて飲むことが多いが、そのとき人は口うるさくなるが上機嫌に酩酊する。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.294 より引用)
これは「熱燗」のことだと思いますが、冷酒とは酔い方にも違いが出るものなんでしょうか? イザベラはこれまで酔った人を多く見かけたものの「喧嘩腰になるものはなかった」と記しています。なんだかんだで節度を保った飲み方をする人が多かったのか、それとも度数がそれほどでも無かったということなのか……?ビール、葡萄酒、ブランデーなどの名で知られているいやな飲物は、人を怒りっぼくさせ、二日酔いやもうろう状態をひき起こす。これらが日本に輸入されつつあり、悪影響を与えている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.294 より引用)
あー、やはりそういうことですか。地方の「地酒」はライトに酔える、ちょうど良いものだったということかもしれませんね。ところで、イザベラは酒に関する話題を何故「普及版」でカットしなかったのでしょう……? オフトピック気味だと思うのですが、このレベルであればギリギリセーフだったのでしょうか?日光の効果
イザベラは久々の晴れ間に心を動かされるものがあったようで……太陽は燦々と輝き、山にかこまれた谷間を照らした。大館はその中にあって、くっきり美しく見える。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.294 より引用)
なんとなくわかる気がします。雨に洗われた家屋はところどころでキラキラと輝き、地面からは薄っすらと湯気が見えそうな印象も……?日本では、太陽が照ると、森におおわれた山、庭園のような野は天国と化してしまう。六〇〇マイルも旅をしてきたが、日の光をあびて美しくならないような土地はほとんどなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.295 より引用)
「天国と化してしまう」とはこれまた誇大な……と思ったのですが、原文を見てみると……When Japan gets the sunshine, its forest-covered hills and garden-like valleys are turned into paradise.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
滅茶苦茶そのままでした。確かに雨が上がった直後の陽の光が齎す「キラキラ感」は凄まじいですからね。川の水位が多少なりとも引くのを待って、午後に出発したイザベラ一行でしたが、やはりと言うべきか、その行程は厳しいものだったようです。
水は馬の胴体の半ばを浸し、ある浅瀬では流れが強くて、馬子は足をさらわれ、馬が彼を岸に引き上げた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.295 より引用)
あー、やはり酔っ払いの馬子はダメダメだったっぽいですね……。そしてダメダメな馬子をしっかりフォローする馬は、内心「やれやれ」と思っていたのでは……。イザベラを苦しめた初夏の長雨はどうやら破壊の限りを尽くしたらしく……
あらゆるものが破壊されていた。今まで一つだけだった水流が、いくつかになっていた。相当の距離の間、道路らしいものはなくなっており、一〇マイルも橋一つなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.295 より引用)
イザベラは大館から白沢までの距離を「たった七マイル」と記していますが、その道中で「五つの浅瀬」を渡ったとしています。現在の地形図では、川らしい川と言えば「長木川」と「乱川」くらいですが、白沢の集落が「下内川」の西側に形成されていることを考えると、どこかで「下内川」も渡っていたと考えられそうですね。羽州街道自体が「下内川」の西側(長面・長面袋・粕田のあたり)を経由していた可能性もあるのかもしれません。強烈な夏の長雨は水害を発生させたものの、地元の農民は早くも復旧に向けて動き出していたようです。
土地の大部分は山腹から流されてきた丸太や、根こそぎになった樹木、小石で一面におおわれていた。しかしもうこの地方の勤勉な農民たちは土を竹籠に盛って馬で運び、川の土手を作っていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.295 より引用)
イザベラも「勤勉な農民」の姿を好ましく感じたようで、次のように綴っていました。この辺では、女の農民は野良着を着ているが、それが大層うまくできているので嬉しくなる。明るい青色のズボンの上にゆるやかな上着をつけ、腰を帯でしめている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.295 より引用)
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