(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
芦雪裡(あしせつり)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「イオンモール釧路昭和」(新釧路川の西側)から愛国北園通を北西に進んだところに「老健くしろ」という老人保健施設があるのですが、その敷地内に「芦雪裡」という名前の三等三角点が存在します(標高 5.2 m)。 2001(平成 13)年選点という新しい三角点ですが、元々は 1987(昭和 62)年に設置された三角点で、 2001(平成 13)年に現在地に移転したものだそうです。ただ、不思議なことに大正から昭和にかけて作図されたと思しき陸軍図にも、現在の三角点の 300 m ほど南南西あたり?に三角点らしきものが描かれています。 1987(昭和 62)年より前から三角点相当のものが存在していた、と考えて良さそうに思えます。
「北海道地形図」(1896) を見ると、ちょうどこのあたりを「アシセッチリ川」が流れていました。元々は雄別鉄道の北側を流れていた川ですが、新釧路川と排水路の開削などもあり、現在は流路を辿ることがほぼ不可能になってしまっています。
新釧路川の東側では「アシセッチリ」川は僅かに生き残ったようで、「アセッツリ川」あるいは「アセツリ川」という名前で健在です。
「芦雪裡」という三角点名は asir-{setsuri} で「新しい・{雪裡川}」に由来すると想像できそうです。現在、三角点のあるあたりは「昭和」という地名ですが、三角点の名前には既に消え失せた川の名前がひっそりと残っている……ということになるのかもしれません。
オタノシケップ川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
JR 根室本線・なし崩し的に「阿寒川」に乗っ取られた感のある「大楽毛川」ですが、明治時代の地図(北海測量舎図)によると、現在の「オタノシケップ川」の流路を途中まで逆流して「ボートピア釧路跡」の西あたりで海に注いでいたとのこと。「北海測量舎図」には河口の位置に「オタノシケプ」と描かれています。
現在の「オタノシケップ川」は大楽毛の西の山から南に向かって流れて、東に向きを変えて阿寒川に注いでいますが、「北海測量舎図」によると元々は「ポンオタノシケプ」という名前だったようです。
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Ota noshikep オタ ノシケㇷ゚ 濱中 白糠釧路二郡ノ界○安政帳「オタノシケプ」トアルハ是ナリやはり素直に ota-noske-p で「砂浜・真ん中・もの」と考えるしか無さそうな感じですね。ただ、このままではなんとなく据わりが悪いので、もしかしたら ota-noske-oma-p で「砂浜・真ん中・そこにある・もの(川)」と見るべきかもしれません。
ota-noske は他ならぬ「大楽毛」のことですが、かつての「オタノシケプ」の跡の河跡湖は「砂浜の真ん中にあるもの」と呼ぶのに相応しいことに気づいてしまいました。
「オタノシケ」を流れる「オタノシケㇷ゚」という川があった……と見るよりは、沿岸流によって流路を曲げられて砂浜の真ん中を流れる羽目になってしまった「オタノシケㇷ゚」という川があり、そこからこのあたりを「オタノシケ」と呼ぶようになった……と考えるべきかもしれません。
比良台(ぴらだい)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路市山花(かつては「比良」をわざわざ「ピラ」と読ませるあたりはアイヌ語由来のように思わせます。この「ピラ」は「穏禰平」ではなく、「平苫内」のネタ元と考えられる「ピラルトルオマナイ」の「ピラ」である可能性が高そうに思えます。
「台」についても tay で「林」と考えることは(理屈の上では)可能ですが、pira-tay で「崖・林」というのもちょっと変な感じがするので、「台」は和語から借用した(アイヌ語・和語混合名)じゃないかな、と思われます。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿