2023年12月23日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1099) 「久著呂川・オンネナイ川・渡辺川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

久著呂川(くちょろ──)

kuchi-oro?
あの喉・の中
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「久著呂川」は標茶町と鶴居村の境界を流れる川で、現在は「キラコタン岬」の南東で新たに掘削された放水路が分岐して、JR 釧網本線・釧路湿原駅の北西で合流しています。本来はこのまま標茶町との境界を南西に向かい、ツルワシナイ川と合流した後に雪裡川に注ぐ川でした(水量は少なくなったと思われるものの、旧河道も健在です)。

クチョロ? クッチャロ?

さすがの松浦武四郎も釧路湿原に流入する河川の全体像を掴むのは困難だったのか、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしき川が見当たりません。「改正北海道全図」(1887) には「クチヨロ川」とあり、「北海道地形図」(1896) には「クツチヤロ」と描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。

過て右の方をクチヨロ、左りをセツリと云其源何れもクスリ(屈斜路湖)の沼のうしろの山々より落るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.512 より引用)
ところが「北海測量舎図」には「クッチャロ」とあるので、明治に入ってから「クッチャロ」呼びが優勢になったようにも見えます。

ただ陸軍図では「クチョロ川」に戻っていて、現在も「クチョロ」に字を当てたと思しき「久著呂川」です。明治時代の一時期に「クッチャロ」と呼ばれたのは「屈斜路湖」と混同された……ということでしょうか?(現に松浦武四郎も「クスリの沼」に言及していますし)。

岩崖を支配するカムイ?

山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」(1971) には次のように記されていました。

この川筋には大きな沼はない。それで kutchar(沼の落口)からきたとは思われない。kucha-or(猟小屋・の処)とも読めるが、その根拠になるものも発見できない。kut(岩層の露われている崖)からきたかも知れないと考えていた。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)
さすが山田さん、穏当な試案が続きますね。ところが……

 八重九郎翁に聞いたら、「この川の奥のシクチョロ(註。久著呂川本流の意)にクッコロカムイが棲んでいた。崖にいた大きな鳥である。その岩崖からクチョロの名がついたのだ」とのことであった。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)
どうやら kut-kor-kamuy で「岩崖・を支配する・カムイ」だと思われますが、kut-kor-kamuy が「クチョロ」に化けるロジックが謎ですね。

 註解すれば、クッコロカムイは kut-kor-kamui(岩崖・の・神)で、それからクチョロ・(ペツ)「kuchi-or-(pet) その岩崖・の処の・(川)」といわれたものらしい。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)
ふむふむ。kut の所属形である kuchi のところの川、で kuchi-or(-pet) ではないか、ということですね。kuchi-or(-pet) は「あの崖・のところの(・川)」と読めそうです。

あの喉の中?

改めて地形図を眺めてみると、なるほど確かにところどころ崖のような、等高線が比較的稠密な地形が見受けられます。

ただ、個人的には別の可能性を考えたくなります。久著呂川を遡ると、標茶町側に「鶴居界」という四等三角点(標高 28.5 m)があり、ちょうどこのあたりで東西から山が迫っているのですが、更に北に遡ると左右に大きく開けた盆地が広がっています。この、山地によって「出口」が狭まった地形が kut-char で「喉・口」のように思えてしまうのですね。

「いやいや kut-char は湖の出口のことでしょうよ」というツッコミは百も承知なんですが、「──小辞典」には次のようにあります。

to-kutchar(沼の・のどもと)とも云う。kut(咽喉)と char(口)とから成った合成語で,原義は‘のどもと’‘咽喉から胃袋へ入る入口’の義である。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.55 より引用)
to-kutchar があるということは、それ以外の kut-char があっても不思議はないんじゃ……という想像力豊かな仮説です(汗)。ついでに言えばお隣の「コッタロ」も kut-taor で「喉・川岸の高所」だったりするかも……?

この考え方だと「クチョロ」が明治時代の一時期に「クッチャロ」と表記されていたことも説明がつきますし、「クチョロ」は kuchi-oro で「あの喉・の中」だったのでは……と考えたくなります。

オンネナイ川

onne-nay
年老いた・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
北海道地形図」(1896) には「オン子ナイ」という名前の川が描かれていました。これは雪裡川幌呂川)の支流の「オンネナイ川」と同じく onne-nay で「年老いた・川」だと思われるのですが、地形図を見てみると細かい支流が多いようにも見えます。

支流は本流(今回の場合は「オンネナイ川」)の「子」なので、支流やその支流(孫)が多い川であるということで onne という「尊称」で呼ばれた、と言ったところかもしれません。

なお、オンネナイ川の河口から見て南南西あたりに「岩井内」(鶴居村下久著呂岩井内)という地名がありますが、残念ながらこの「岩井内」についてはアイヌ語地名に由来するか否か、手がかりが掴めませんでした。

渡辺川(わたなべ──)

o-hattar-us-i???
河口・淵・ついている・もの(川)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鶴居村下久著呂鶴声に「北十四線」という四等三角点ががあるのですが、三角点の 0.3 km ほど南で「渡辺川」が「久著呂川」に合流しています。どう見ても人名由来のように思えるのですが、「北海道地名誌」(1975) によると……

アイヌ語ワタルンペ川の訛りという。「ワッカ・タ・ル・ウン・ペ」(飲水くむ道ある川)か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.693 より引用)
え、マジ? 慌てて「北海道地形図」(1896) を確かめてみたところ、現在の「渡辺川」と思しき場所に「マスタランペツ」という川が描かれていました。「マスタランペツ」と「ワタルンペ川」は似ても似つかないような気がしますが、でもよく見ると「タランペ」と「タルンペ」は似ているような気も……(どっちだ)。

改正北海道全図」(1887) には「ヲワッタラシ川」という名前の川が描かれていました。この川は「オンネナイ川」に相当すると思っていたのですが、実はこの川が「渡辺川」のことだった可能性がありそうな気もします。「ヲワッタラシ川」と「ワタルンペ川」、これも……似てますよね。

仮に「ヲワッタラシ川」が o-hattar-us-i で「ワタルンペ川」が hattar-un-pe だとすると、o-hattar-us-i は「河口・淵・ついている・もの(川)」となり、hattar-un-pe は「淵・ある・もの(川)」となります。

hattar-un-pe が「はたるんぺ」となり、「渡る辺」が「渡辺」に化けた……のだとしたら、なかなか傑作ですよね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事