(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
温根内(おんねない)
(記録あり、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「雪裡川」の西支流である「幌呂川」に西から合流する「オンネナイ川」という川があります。この川は、元々は直接雪裡川に注いでいたようで、鶴居村と釧路市の境界付近にある「恩禰内」三等三角点(標高 3.0 m)にその名残をとどめています。これは「オンネナイ川」の流路が変わったと言うよりは、「幌呂川」が「オンネナイ川」下流の流路を乗っ取った……と捉えるべきかもしれません。
「オンネナイ川」を遡ると、道道 53 号「釧路鶴居弟子屈線」と交叉するところに「温根内橋」があり、0.7 km ほど南に「温根内ビジターセンター」があります。
「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヲン子ナイ」と描かれています(幌呂川ではなく雪裡川の支流として描かれていますが、理由は前述のとおりです)。
戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。
またしばし過行て左りの方に
ヲン子ナイ
川口巾五間計、両岸槲柏木立。其源アカン河筋のウインヘツの方に行よし。追々山峨々となり椴の木等多く成りたり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.511 より引用)
「アカン河筋のウインヘツ」は、「東西蝦夷──」にも描かれていますが、現在の名前は不明です。山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) には次のように記されていました。
オンネ・ナイは温根内とも書く。諸地にあった名。「大きい・沢」とでも訳すべきか。必ずしも大きい川ではない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.268 より引用)
「オンネナイ川」は鶴居村だけでも二つ存在するくらいですから、確かに「諸地にあった名」ですね。逐語的に訳すならば onne-nay で「年老いた・川」でしょうか。onne は「大きい」と捉えることもできますが、「支流とその支流が多い」ことを「子や孫が多い」と捉えて、故に「年老いた」である……と考えることもできます。鶴居村温根内を流れる「オンネナイ川」は、道道 53 号「釧路鶴居弟子屈線」の西でいくつもの支流が合流しているので、「子や孫の多い川」と捉えられていた可能性もありそうです。
アトコシヤラカ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鶴居村温根内から道道 53 号「釧路鶴居弟子屈線」を 2.3 km ほど南に向かったあたりの地名です。地理院地図で検索すると「北海道鶴居村アトコシヤラカ」と「字アトコシヤラカ」がヒットしますが、地形図には「アトコシヤラカ」の文字は見当たりません。鶴居村アトコシヤラカには郵便番号も設定されているので「現役地名」ということになるのですが……地理院地図に消された現役地名というのも、なんかミステリアスな感じがしますね。
「角川日本地名大辞典 (1987) (下巻)」には次のように記されていました。
あとこしやらか アトコシヤラカ〔世帯・人口〕0 ▷村の南端。南は釧路市に接し,釧路湿原に流れる幌呂川の支流大島川上流域に位置する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(下巻)」角川書店 p.831 より引用)
薄っすらと想像はついていましたが、やはり世帯人口 0 のようです。ただ道道 53 号の「梢橋」と「北斗霊園」の間に土砂採取場があるようで、その登記が「阿寒郡鶴居村字アトコシヤラカ」で行われているとのこと。消された「下温根内」
陸軍図には現在の「アトコシヤラカ」の位置に「下温根内」と描かれていました。「角川日本地名大辞典(上巻)」の「鶴居」の項には次のように記されていました(厳密を期すために少し長い目に引用します)。〔近代〕鶴居村 昭和12年~現在の阿寒郡の自治体名。
舌辛村大字舌辛村の一部をもって成立。昭和12年頃中雪裡市街 ・鶴居・下雪裡・中雪裡・茂雪裡・支雪裡・雪裡・雪裡原野・下久著呂・中久著呂・上久著呂・クチョロ原野・クチョロ・クチョロ太・アトコシヤラカ・暁峰・中幌呂・下幌呂・上幌呂・新幌呂・茂幌呂・支幌呂・幌呂原野・幌呂・下恩根内・恩根内の26字が起立。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.900 より引用)
「温根内」と「恩根内」で字が異なるのが気になるところですが、おんねない 恩根内 <鶴居村>
〔近代〕昭和12年頃~現在の鶴居村の行政字名。温根内とも書いた。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.337 より引用)
とのことなので、「下恩根内」は陸軍図の「下温根内」と同じと見て良さそうでしょうか。となると「アトコシヤラカ」と「下恩根内」が併記されているのが謎ですが、なお,字下恩根内は廃止年月日未詳。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.900 より引用)
これ、「下恩根内」という地名がいつの間にか無かったことにされたように思えるのですが、「アトコシヤラカ」と「下恩根内」が実は同じ場所を指していることに気づいた……とかだったら面白いのですけどね。アトイシヤラカ、アトヌシヤラカ?
「アトコシヤラカ」という地名は陸軍図で存在を確認できず、また「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にもそれらしい地名を確認できないのですが、「北海道地形図」(1896) には「アトイ「アトコシヤラカ」であれば etok-us-sar-ka で「(沼の)奥・にある・湿原・の上」」と読めそうな気がします。あるいは at-tuk-us-sar-ka で「もう一つの・小山・ついている・湿原・の上」とかもアリかもしれません。ただ明治時代の地図には「アトイシヤラカ」あるいは「アトヌシヤラカ」と描かれていて、「アトコ──」とするものは見当たりません。
「アトイシヤラカ」であれば atuy-sar-ka で「海・湿原・上」と読めそうでしょうか。昔の人が釧路湿原のことを「海」と捉えていた……とかだったら面白いのですが、流石にちょっと無理がありそうな気もします。
もう一つの峰に入る湿原?
それでは「アトヌシヤラカ」はどうでしょうか。知里さんの「──小辞典」によると tun-nay で「谷川」を意味する雅語がある……とされているのですが、この考え方を「アトヌシヤラカ」に当てはめると at-tun-sar-ka で「もう一つの・谷・湿原・上」と読めたり……しないだろうか、と考えてみました(at- は ar- の音韻変化形)。もっとも知里さんは tun-nay が utur-nay の変形ではないかと考えていたようなので、そうすると ar-utur-sar-ka で「アルトゥルサルカ」となるので「アトヌシヤラカ」からは少し離れることになります。これは困ったな……と思ったのですが、at-tu-un-sar-ka で「もう一つの・峰・そこに入る・湿原・上」と読めそうなことに気づきました。
釧路湿原の西には山地が広がっていますが、山地に割り込むような形でオンネナイ川の湿原と大島川の湿原(=「アトコシヤラカ」の近く)が広がっています。そのことを形容した地名ではないかな……と考えてみました。
実は単に utur-sar-ka で「(谷)間・湿原・の上」が転訛しただけ……だったらどうしよう……。
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