2023年12月7日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (156) 「ランプ・電球・蛍光灯」

帯広百年記念館」の話題を続けます。これは「開拓初期の生活」と題された展示ですが……
当時実際に使用された鉈や鋏などが展示されているのですが、パネルの説明文には「各府県から未開の十勝原野へ移住した人は、それまで耕す畑もせまく、日々食べつなぐのがやっとの生活をしていた人が多かったようです」とあります。

ただこれは「昔の日本は貧しかった」ということではなく、「貧富の差が激しかった」という風に捉えるべきなのでしょう。戦後の農地改革と高度成長で一度は「一億総中流」と自負するまでになったものの、現在は再び貧富の差が拡大する一方なんですよね。要は「なんもかんも政治が悪い」ということです。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

こちらのパネルには「二宮尊親と関ゆたか」とあります。二宮尊親は二宮尊徳の孫で、1897(明治 30)年に牛首別に入植したとのこと。しかもよく見ると 10 年後の 1907(明治 40)年に「開拓事業成功の目途がつき福島へ戻る」とありますが……ちゃんと成功する人もいるんですね(汗)。関寛は医師で、なんと 72 歳で陸別斗満とまむに入植したのでそうです。

十勝の移民者数上位10県

「十勝の殖民地解放と移民の流入」と題されたパネルには「殖民地区画の変遷」「殖民地開放直後の十勝の人口」そして「開拓期の十勝の人口推移」と題したグラフが表示されています。
「十勝の移民者数上位10県」ですが、1 位が富山県、以下岐阜県、宮城県、福島県、福井県、徳島県、石川県、香川県、新潟県、山形県が続くとのこと。降雪地域が大半を占める中、徳島県と香川県がランクインしているのが面白いですね。
こちらは「公園内で発見されたレンガ組の遺構」とありますが、これは「十勝監獄に関連する炊事場と推測される施設の遺構」とのこと。開拓地には何故か監獄があるんですよね……。

ランプ・電球・蛍光灯

テレビのセットのような一角がありますが、これは「伏古村の越中造り家屋」とあります。「床がすべりますので足元にご注意ください」とあると言うことは……上がってもいいよ、ということですよね?
右側にはスイッチがついた台が二つ置いてあり、左のスイッチには「時代によって灯りが違うよ!体験してみよう」とあります。
スイッチオフの状態はこんな感じです。常設展示室の照明が差し込むので真っ暗ではありません。
スイッチを「オイルランプ」の位置に回してみました。これは流石に本物のオイルランプに火をつけたわけでは無い……ですよね? 部屋の明るさには殆ど変化が見られないような気も……。
続いて「はだか電球」の位置にスイッチを回すと……おお、かなり明るさが違いますね。
そして「蛍光灯」の位置にスイッチを回すと……更に明るくなりましたね。これでも昨今の家屋の照明と比べると暗いんでしょうけど。
それはそうと、「最新技術」枠と考えられる「蛍光灯」が、遠からず「昔の照明」枠に移りそうというのが面白いですね。「昔は蛍光灯というものがあって」と語られる日も近そうです。

バイクが 2 台並んでいます。確かに昔の「スクーター」は足元がフルフラットじゃ無かったですよね。隣にミシンが置かれているのもなかなかシュールですが……

十勝農業王国の確立

「十勝農業王国の確立」と題されたコーナーにやってきました。雪車そりを引く輓馬の剥製?があるのは流石ですね。
現在ではトラクターを使って行う畑仕事も、最初は馬力に頼っていたわけですが、そのイメージを掴めるようにミニチュアが置かれています。こういった理解度を高めるための工夫は良いですよね。
「ダイズ」「エンドウ」「アズキ」「インゲン」などの豆類のサンプルが並んでいますが、こうやって見ると圧巻ですね……。豆類の栽培はかなり早くから行われていたようで、幕末の文献にも「豌豆」などをよく見かけます。
こちらは「ビート」「トウモロコシ」「馬鈴薯」のコーナーです。「スノーデン」という種類の馬鈴薯もあるんですね。

フィルムならではの色合い?

「十勝大橋」と帯広の市街地の航空写真が壁一面に貼られていました(右上に「緑ヶ丘公園」も見えますね)。
この色合い、個人的にはフィルムカメラならではと言った感じがするんですが、コントラスト高めでシャドウを強くするとこんな風になるんでしょうか……?

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