2023年11月25日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1091) 「サンタクンベ川・双河辺・モセウシナイ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

サンタクンベ川

san-ta-kunne-pet?
前・にある・黒い・川
(? = 記録あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
別保駅の南東で別保川に南から合流する支流の名前です。「北海道地形図」(1896) には「サンタクンペ」という名前の川が描かれていますが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には別保川の支流(いずれも南支流)として「ヘツシヤム」「サトヌルウンコツ」「ヲソウシ」「セツウシ」とあり、「サンタクンベ川」に相当する川の有無は不明です。

釧路町史」には次のように記されていました。

 サンタクンベ 川の上で石炭のとれるところ
 明治九年(一八七六)ライマンが別保地区に石炭埋蔵発見する。この地名は、サンタクンベ(プ)・サンタクンペと見られるが、いずれもアイヌ語が転化して表記されたものと思われる。即ち、「サン(後から前へ出る・奥地から出る)タ(掘る・〜に・そこに)クン(黒い・暗い)ペ(出るところ・水)」で黒いものが流れてくる・黒い水が流れるところから、石炭のとれるところと解する。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.136 より引用)
うーん……。これは san-ta-kunne-pe で「後ろから前へ出る・そこにある・黒い・水」と考えた……ということでしょうか。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には、釧路町史の解を受けて次のように続けていました。

 この川口の右岸は崖になっていて、そこに黒い層がしまになってみえる。サン・タ・クンネ・ㇸ゜「san-ta-kunne-p 出崎(前にある)・が・黒い・もの」の意でなかろうか。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.289 より引用)
地形図を眺めた感じでは「出崎」といった風の地形には見えなかったので、san-ta は「前・にある」と考えるべきかな……と思えてきました。san-ta-kunne-pet で「前・にある・黒い・川」となりますが、やがて kunnene の音が落ちた……と言った感じなのかなぁ、と。

双河辺(ふたこうべ)

kut-ta-kunne-pet?
岩層のあらわれている崖・そこにある・黒い・川
(? = 記録あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
サンタクンベ川はいくつかの支流を持ちますが、最も下流側(北側)で合流しているのが「日の出川」で、近くに「別保炭山」が存在していました。かつてこの川は「シユムスカルベツ川」と呼ばれていたようで、「釧路博物館新聞 (42)」の p.141 には「シユムスカルベツ川(追珠狩別川)」とあります。

「追珠狩別川」とありますが、「追」という字は「シユム」と読めないような気がするので、もしかしたら誤字なのかもしれません(もしかして:「進」?)。また鎌田正信さんはこの川を「シュㇺヌカルペツ」としていますが、「ヌ」は「ス」の誤読である可能性がありそうです(逆も又然りなのですが)。松浦武四郎が「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) で記録した「サトヌルウンコツ」との関連性も気になるところです。

チシマザサ……?

のっけから脱線してしまったので本題に戻りますが、「双河辺川」は「日の出川」の南を流れる川で、この川の上流域にも炭山が存在していました。てっきり和名かと思ったのですが、「釧路町史」には次のように記されていました。

 フタコウベ(双河辺) 笹原の谷間から流れが合流したところ。
 雪の少ない土地へ進化して、ウラシ(笹)となる。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.136 より引用)
え……?

 この地名はアイヌ語のフータツ(笹原)イキタラ(チシマザサ)の原義で、コツ(沢・谷間)ペ(水)から、フタコウベと転化したもので、笹原の谷間からの流れが合流した小川と解する。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.136 より引用)
知里さんの「小辞典」には hutat が「チシマザサ」とあるので、hutat-kot-pe で「チシマザサ・谷間・水」と考えたようですが、よく見ると全部名詞で、これではまるで「パン!茶!宿直!」みたいですね。hutat-kot-pe を「チシマザサ・くっつく・もの」と読むことは可能かもしれませんが、ここは hutat-kor-pe で「チシマザサ・持つ・もの」と考えるべきでしょうか。

「岩層のあらわれている崖」説

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

クタクンペ
タンタクンベ(営林署図)
 双河辺集落の南はずれを通って流入している。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.307 より引用)
のっけから表記が揺れまくっているのが面白いですね。

 この沢の入り口の左側の崖には黒い層がみられるので、クツ・タ・クンネ・ㇸ゜「kut-ta-kunne-p 岩崖・そこに・黒い・もの(川)」と解したい。ただし町史に害かれているとおり、この沢の流域はクマイザサの群生地でもあるところから、この解も否定できない。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.307-308 より引用)
kut-ta-kunne-p で「岩層のあらわあれている崖・そこにある・黒い・もの(川)」では無いか、ということですね。町史の解とは似ても似つかないものになっていますが……。

北海道地形図」(1896) では、現在の「双河辺川」の位置に「クツタクンペ」と描かれています。また前述の「釧路博物館新聞 (42)」の p.141 にも「クツタクンベ川」とあるため、町史の hutat 説はちょっと無理があるかな、という印象です。

双河辺ふたこうべ」は kut-ta-kunne-pet で「岩層のあらわれている崖・そこにある・黒い・川」だったのではないかと考えています。「サンタクンベ」と「双河辺」は、現在では似ても似つかない川名に見えますが、元はどっちも「黒い川」だったのではないか、ということになりますね。

モセウシナイ

mose-us-nay
イラクサ・多くある・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
サンタクンベ川は上流部に入ろうかとするあたりで二手に別れているのですが、川の西側の高台に「モセウシナイ」という名前の四等三角点(標高 90.4 m)があります。このあたりの住所は「釧路郡釧路町字モセウシナイ」とのこと。

「北海測量舎図」によると、二手に別れた川のうち西側の支流が「モセウシナイ」だったとのこと。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

モセウシナイ
 サンタクンベ川はずうっと南側から流れていたが、上流で90度に方向を変えて東から流れている。この流れが変るあたりで、南側から合流しているのがモセウシナイである。
 モセ・ウㇱ・ナィ(mose-us-nay 工ゾイラクサ(茎)・群生している・川)の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.308 より引用)
はい。これは素直に mose-us-nay で「イラクサ・多くある・川」と考えて良さそうですね。

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