2023年11月23日木曜日

「日本奥地紀行」を読む (155) 大館(大館市) (1878/7/29(月))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十六信」(初版では「第三十一信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

うるさい宿屋 (A noisy Yadoya)

イザベラ一行は、小繋(能代市二ツ井町)から、例によって無理に無理を重ねて大館の宿屋までやってきました。

大館は人口八千の町で、半ば崩れかかった人家がみすぼらしくたてこんでいた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.291 より引用)
現在の大館市の人口は約 6 万 8 千人とのこと。ちなみにイザベラが東京を出発したのは 6/10 で、大館に到着したのが 7/28 ですから、ほぼ 50 日近くかかったことになるのですが(日光や新潟、秋田などでそれぞれ数日逗留していますが)、現在は JR を使えば 5 時間ほどで移動できるとのこと。

 宿屋は大雨で足どめされた旅客で満員であった。私は疲れきった足をひきずって、宿を次から次へと探した。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.291 より引用)
まぁ、そうなりますよね。イザベラは豊岡(三種町)から小繋(能代市二ツ井町)を経由して大館までやってきたわけですが、この二日間は長雨の中を無理に無理を重ねて移動してきました(傍から見ていても「おい無茶だろ」とツッコみたくなるレベルで)。イザベラは「苦痛のために身体が崩れそうであった」と続けていますが、自業自得なのでは……と思ってしまいます。

通りでは大群集に押され、しばしば警官が私の後をつけてきて、非常に具合の悪いときに私に、旅券を見せろ、という全く不当な要求をするのであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.291-292 より引用)
まぁ警察官もそれが仕事なので仕方がないのですが、イザベラ姐さんのイライラが伝わってきますね。

長い間探して、ようやく現在のような部屋しか見つからなかった。薄紙を張った襖は、土間や台所に近く、家の中の騒音の中心となっていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
大館市川口(現在の下川沿駅のあたり?)ではなく、わざわざ大館の中心部まで強行移動したのは「良い宿屋を探すため」だったと思うのですが、折からの長雨でチェックアウトできない旅人で溢れていた……ということなんでしょうか。ただ、その程度のことは最初から想像できそうな気もしますし、もしかしたら「外国人お断り」を食らった可能性もあったりする……?

嵐に閉じこめられた旅人たち (Storm-bound Travellers)

宿を探すのはおそらく伊藤の仕事だったと思われるのですが、ようやく見つけた宿には「嵐に閉じこめられた旅人たち」で溢れかえっていました。

ほとんど男ばかり五十人の旅客がこの家にいて、たいてい大声で話している。分からない方言を使うので、伊藤はいらいらしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
あー、そうですよね。東北の中でもかなり北の方に入ってきたので、ハマっ子には理解できない言い回しばかりになったのでしょうね。イザベラは伊藤の通訳を介して会話を試みたものの、伊藤と旅客の間のコミュニケーションが明らかにうまくいかなかった(のをイザベラも理解した)ということなんでしょう。

宿についての不満を詳らかに記すことが多いイザベラですが、特に騒音についてのクレームが目立つ印象があります。

料理、入浴、食事、最もひどいのは、きいきい音を立てながらしよっちゅう井戸から水を汲み上げていることで、これが朝の四時半から夜の十一時半まで続く。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
あー、井戸から水を組み上げる鋳鉄製?のポンプ、確かにあれはキイキイ音を出しますよね……。もちろん喧しいのは井戸だけでは無く……

二晩とも彼らは酒を飲んで騒ぎ、芸者はうるさく楽器をかき鳴らし、騒ぎを大きくしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
イザベラの不幸には同情するしか無いのですが、それはそうとして「二晩とも」ということは、イザベラはこの宿に二泊したことになるのでしょうか。ここまでの記録を見る限り、1878/7/29(月) は大館に到着した初日のように見えるのですが……(ちょくちょく見落としや勘違いがあるので、気をつけないと……)。

ハイ!ハイ! (Hai! Hai!)

イザベラの不満は「どんちゃん騒ぎ」以外にも飛び火したようで……

 近ごろはどこへ行っても「ハイ」という返事をヘーとか、チ、ナ、ネなどと発音する。伊藤はこれを大いに軽蔑している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
「ヘー」という生返事はわかるのですが、「チ、ナ、ネ」というのはちょっと意味不明な感じがしますね。原文では次のようになっていました。

In all places lately Hai, “yes,” has been pronounced , Chi, Na, , to Ito's great contempt.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
うーん、どう見ても「チ」「ナ」「ネ」ですよね。あるいは「チー」「ナー」「ネー」なのかもしれませんが、どちらにしても意味不明です。

それは返事というよりは無意味な間投詞のように聞こえる。それは相手の言葉に敬意を払うか、注意して聞いていることを示すためだけに用いられることが多い。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
これはその通りだと思いますが、英語でも似たようなものがありますよね。

ときにはその発音は高く鋭く、喉の音となり、溜め息のようなときもある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
ん、これは単なる生返事と言うよりは、女中さんの相槌のことでしょうか……?

特にハイ、ハイと宿屋の女中が一斉に叫ぶ声が、家のどの方角からも聞こえる。これを言う習慣はとても強いもので、朝眠っているのをハイ、ハイという声でたたき起こされる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
なんとなく見えてきたでしょうか。「ハイ」というやや甲高い叫び声は、客からの何らかのリクエストに対するアンサーバックだったのではないかと。これは宿屋に限った話ではなく、商店や食堂でも耳にすることが多かったのでは……と思わせますが、小柄な日本女性が張り上げた声はよく通りますからね。

伊藤は「ヘー」という生返事を嫌っていたようですが、イザベラは寧ろ「ハイ!」という威勢のいい返事のほうが「耳をつんざく」風に感じていたのかもしれません。

ときには、私が伊藤と英語で話をしていると、傍にいる愚かな女中がハイと返事をすることがある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292 より引用)
これは「空耳アワー」でしょうか……?

またも夜の騒ぎ (More Nocturnal Disturbances)

今回は高梨謙吉さんが訳した見出しに原文を併記してみたのですが、これもなかなか巧い訳のような気が……。イザベラは例によって「騒音」に悩まされたわけですが、「私は、ここの騒音の印象を、間違えて伝えたくはない」と前置きした上で、次のように記していました。

もし私が、ここときわめて似た英国の大きな宿屋にいて、五十人の英国人が紙一重を隔てて私の隣にいたとしても、ここの騒音は少なくともその三倍もあるであろう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.292-293 より引用)
まぁ、そんなところかもしれませんね……。日本人は……という主語は大きすぎるので良くないという話もあるかもしれませんが、概して「浮かれやすい」というのが自分の印象です。日頃は勤勉な人間も旅行先では羽目を外す、というのは今でも良くありそうな気がします。

土曜の晩に私が床について間もなく、伊藤が年老いた鶏を持って入って来て私の眼をさました。彼は、肉が柔らかくなるまでとろ火で煮るのだ、と言った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.293 より引用)
伊藤はイザベラが慢性的な「肉不足」に陥っていることを理解していて、滞在先の町でちょくちょく仕入れに出ていたようですが、今回は無事に入手できたようですね。あとイザベラは「土曜の晩に」と記していますが、自分の計算では土曜の晩は豊岡(三種町)にいたことになるんですよね(一日間違っていたとしても小繋にいた筈)。どこかに間違いがありそうな感じですね。

私は、それが悲鳴をあげながら殺される音を聞きながら、また眠りに入った。するとこんどは、二人の警官が来て眼をさまされた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.293 より引用)
夜中に突然警察官がやってきて、何を言い出すのかと思えば「旅券見せて」とのこと。これ、もしかして職務ではなくて「パスポートを見たかった(同僚に見せたかった)」というオチだったりして……。

その次には提灯をもった二人の男が部屋に入り、蚊帳に躓いたり、這ったりして来て、別の旅客のために蚊帳がほしい、という。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.293 より引用)
……は!? 昔の日本はプライバシー保護の観点ではダメダメだった……というのは理解できますが、他人の部屋に勝手に入ってきて「蚊帳ちょうだい」とか、常人の理解を超越していますね……。まぁ「蚊帳ちょうだい」は方便だった可能性もありそうですが、言うに事欠いてそれか……と思わせます。

ただイザベラ姐さんはすっかり慣れたもので、この椿事も

日本を旅行すると、このようにこっけいな出来事が多い。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.293 より引用)
「こっけいな出来事」で片付けてしまっていました。さすが……!

大荒れの天気の中、無理やり大館までやってきたイザベラ一行ですが、やはり今のままではこの先には進めないという判断だったようで……

五時ごろ伊藤が来て私の眼をさまし、背骨の治療はモクサに限る、と言った。どうせ私たちは一日中ここに滞在するのだから、お灸をすえる人を呼んで来ようか、と言った。私は、盲目の按摩も嫌いだが、お灸も嫌いだ、とはっきり断った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.293 より引用)
イザベラは、いわゆる「東洋医学」を「インチキ」だと断定していた節があるので、身体の「ツボ」を刺激する「お灸」についても「効能が確かではない民間医療」と見ていた可能性が高そうですね(あるいは単に熱いのが苦手だったのかもしれませんが)。

大館の街

第三十一信(初版)の最後には、大館の街についての地誌情報が記されていましたが、やはりと言うべきか、普及版ではカットされていました。

大館は他の同じ規模の多くの町と同じく、存在するための特別な理由がないようにみうけられます。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.112 より引用)
……。いきなり酷い言われようですね(原文では "no special reason for existence" となっていました)。

しかしながら、荒れ狂うヨネツルガワ[米代川よねしろがわ] による能代との交易があり、行灯アンドン(ズ)やお椀のための粗悪な大量の漆と、収穫のために使われる短い刃物、ほとんど庭のような日本の耕作地の唯一の道具として使われる鍬や根堀鍬を作っています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.112 より引用)
一語一語に余計なひと言が付け加えられている感がありますが、これがイギリス風なんでしょうか……?(汗) 「米代川を経由した能代との交易と鉄鍛冶が盛んである」と書いておけばいいのに、と思ってしまいます。

 これは惨めに見える町で、つぎはぎだらけで、支柱で押さえてあり、悲惨な溶鉄炉に大勢の鉄工がいますが、これらの鍛冶場がある場所の通りに並ぶさまは、スタッフォードシャの製鉄釘村のスラムに似ています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.112 より引用)
まぁイザベラの舌鋒(書きっぷり)はこれまでも割と酷かったので、これが彼女のスタイルなんでしょうね。有りもしない美辞麗句を並べられるよりは資料的価値もありますし……。

 雨は依然として烈しく降り続けている。これから北へ向かう道筋の道路や橋の災害の噂が、刻々と伝わってくる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.293 より引用)
7 月末の大雨ですが、これはこの年だけのものだったのか、それとも毎年こんな感じだったのでしょうか……?

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