2023年11月11日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1087) 「毘沙門・桂恋」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

毘沙門(びしゃもん)

pes-sam
水際の崖・傍
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路市三津浦の「三津浦神社」の西を「ビシャモン川」という川が流れている……そうです(地理院地図には川名が記載されていませんが、国土数値情報には「ビシャモン川」として記載されています)。

また、「三津浦神社」から直線距離で 1 km ほど西に「毘沙門天稲荷神社」という神社があり、その近くに「毘沙門」というバス停があるとのこと。現在の地名は「三津浦」ですが、「毘沙門」も通称として生き残っている……と言ったところでしょうか。

「ペッシャム(現毘沙門)」の衝撃

「角川日本地名大辞典」(1987) には次のように記されていました。

 みつうら 三津浦 <釧路市>
〔近代〕昭和 7 年~現在の釧路市の町名。三ツ浦とも書いた。もとは釧路市大字桂恋村の一部。地名は地内のコンブ漁村集落がアイヌ語地名ペッシャム(現毘沙門)、オコツ(現三ツ浦第 1) , カンバウシ(現三ツ浦第 2) の 3 つに分けられていたことにちなむという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1446 より引用)
なんと……! 「ビシャモン」は「毘沙門」らしいのですが、これがなんと「ペッシャム」に由来するとのこと。改めて「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) を見てみると、確かに「ヘツシヤム」と描かれています。

ちょっと気になるのが、北海測量舎図では「三津浦神社」の傍の川が「オウコツ」となっているところで、0.6 km ほど西を流れる川(国土数値情報では「三ツ浦川」)の近くに「ペンサム」と描かれている点です。

国土数値情報では「三津浦神社」の西「ビシャモン川」が流れていることになっていますが、神社の南東も谷状の地形となっているので、これは o-u-kot で「尻(河口)・互いに・交合する」だった可能性がありそうです。つまり現在「ビシャモン川」とされているのは、何らかの間違いが含まれてそうな感じです。

ベツシヤム? ヘッチャフ?

加賀家文書「クスリ地名解」(1832) には次のように記されていました。

ヘツシヤフ ヘツ・シヤフ 川・出張
  此所此川口少し出崎に候故斯名附。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.259 より引用)
知里さんは「古い時代のアイヌは,川を人間同様の生物と考えていた」としていましたが、なるほど川も出張するんですね……(違う、そうじゃない)。河口に小さな出崎があったという説明からは、「三津浦神社」の 0.3 km ほど西を流れる小川を指していた可能性もありそうな……?

意外と多くの文献に記録があるようなので、表にまとめてみましょう。

大日本沿海輿地図 (1821)ベツシヤム-
クスリ地名解 (1832)ヘツシヤフヘツ・シヤフ 川・出張
初航蝦夷日誌 (1850)ヘシシヤム-
竹四郎廻浦日記 (1856)ツシヤブ-
午手控 (1858)ヘッチャフ川の手前
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヘツシヤム-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ベチシヤブ岩の岬より山續に成りて、川が有由
豊島翁地名解 (1882-1885?)此所海岸續キ山壇海□□□□ルヲ名付
永田地名解 (1891)ペシ サㇺ崖側 往時アイヌ村アリシ處
北海道地形図 (1896)ペシサム-
陸軍図 (1925 頃)--
地理院地図三津浦-

例によって例の如くですが、豊島三右衛門が絶好調ですね……。これまた例によって「缺〓些傅」で一文字だけ見つけられなかったのですが、
なんともはや……(絶句)。厳密には「傅」の字もちょっと違うっぽいのですが、諦めました(きっぱり)。

「断崖のそば」?

ということで肝心の地名解ですが、永田地名解には次のように記されていました。

Peshi sam   ペシ サㇺ   崖側 往時アイヌ村アリシ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.330 より引用)
pes-sam で「水際の崖・傍」だと思われるのですが、知里さんの「地名解」にも次のように記されていました。

pes-sam, -a  ペㇲサㇺ ①断崖のそば。[pes-sam]。②川ばた。[< pet-sam]。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.90 より引用)
うわぁ、そのまんまでしたね(汗)。「毘沙門」の元は pes-sam で、意味は「水際の崖のそば」と見て良さそうな感じです。

桂恋(かつらこい)

kan-chara-koy??
上方にある・ちゃらちゃら・波
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路市三津浦の西、益浦の東で白樺台の南に位置する海沿いの集落です。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にも「カツラコイ」と描かれています。

桂恋に水鳥はいたか?

古くから名の知れた地名で、多くの記録が残っています。ということで今回も表にしてみました。

東行漫筆 (1809)カツコイ-
大日本沿海輿地図 (1821)カツラコイ-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)カチロコイ此山邊にカチロコイと囀る小鳥のある
クスリ地名解 (1832)カツラコヰカツチリ・コヰ 鳥の名・浪
初航蝦夷日誌 (1850)カツラコイ-
竹四郎廻浦日記 (1856)カツラコイ-
午手控 (1858)カツラコイむかしカツラコイと云鳥が有し
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)カツラコイ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)カツラコイ往昔カツラコイチリといへる鳥が多く寄りし
豊島翁地名解 (1882-1885?)カツコイカツラ水鳥
改正北海道全図 (1887)桂戀-
永田地名解 (1891)カツラ コイ?
北海道地形図 (1896)カツラコイ(桂戀)-
陸軍図 (1925 頃)桂戀-
地理院地図桂恋-

相変わらず豊島三右衛門が絶好調ですが、今回はなんと全ての文字を発見できました! 「渇囉想」で「カツラコイ」らしいのですが、「想」を「コイ」と読ませるとか……すげえな……(汗)。
ただ、地名解の方を引用してみると……

カツコイ  但此所カツラ水鳥集□□イタシ海中迄出岬アリ此出岬ヘ鳥澤山集リ水クヾリ其浪サキ打上ルヲ名付ルナリ小川一里□
但「カツラ」ト云フハ小鷹位ノ鳥ナリ其字ヲ云フ言葉也「コイ」ト云ハ浪ト云フ言葉ナリ此鳥色ハ瑠璃色
(佐々木米太郎・編著「釧路郷土史考」東天社 p.23 より引用)
「カツラ」という名前の水鳥がいた……ということのようですね。面白いことに半世紀ほど遡った「クスリ地名解」にも、次のように記されていました。

カツラコヰ カツチリ・コヰ 鳥の名・浪
  此村下に少し出崎の岩有。右岩にカツチリと申鳥多く居、其岩に浪打を名附由。ツバクラに似たる鳥也。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.258-259 より引用)
また、「クスリ地名解」と「豊島三右衛門地名解」の間に記された「午手控」にも、次のようにありました。

カツラコイ
  むかしカツラコイと云鳥が有しと、此鳥多くよりしと、今でも此鳥シコタンに多しと云也。大さ凡エトヒリカ程も有しと云也。本名カツラコイチリと云よし也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.339 より引用)
名前こそ「カツチリ」「カツラコイ」「カツラ」とブレがあるものの、本筋はどれもほぼ同じで、そういった名前の鳥がいたことに由来する……としています。

「午手控」の頭註にも次のように記されていました。

カツラコイ。本名カツラコイチリ(鳥名)314。カンチャラコイ・腰白海燕〔『蝦夷日誌の地名』小原隆幸〕
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.339 より引用)
「314」という謎の数字が記されていますが、これは「東蝦夷日誌」のページ番号です。314 ページを見てみると、確かにほぼ同じような内容が記されていました。

なんじゃらほい?

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には、次のように記されていました。

 桂恋(かつらこい)
 釧路市郊外の漁村。アイヌ語のカンヂャラコイで、腰白海燕こしじろうみつばめのことであると教えてくれた老婆があった
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.246 より引用)
おっ、これは「午手控」の頭註とも一致する情報ですね。さすが更科さん……と思ったのですが、まだ続きがありました。

が、はっきりしない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.246 より引用)
ガクッ。

気を取り直して。残念ながら「コシジロウミツバメ」は知里さんの「動物編」(1976) には見当たらなかったのですが、日本語版の Wikipedia に記事が立っていました。

日本では1951年に大黒島(北海道)が「大黒島海鳥繁殖地」として他種も含め繁殖地が国の天然記念物に指定されている。
(Wikipedia 日本語版「コシジロウミツバメ」より引用)
この「大黒島」は厚岸ピリカオタの沖合に浮かぶ島のことで、桂恋との距離は 34.4 km ほどです。

それでも恋はコイ?

さて……手詰まり感があるのですが、改めてここまでの記録を眺めてみると、「鳥の名前」とする解釈が圧倒的な中、「コイ」は「波」のこと、とする記録もいくつか目に付きます。

確かに koy は「波」を意味する語なので、「カツラ」が鳥の名前だ……と考えるべきかもしれないのですが、敢えてそこも捨ててみたらどうなるでしょうか。

試案ですが、更科さんが聞き取った「カンジャラコイ」は、kan-chara-koy で「上方にある・ちゃらちゃら・波」と読めたりしないかな……と。何のことやら……と思われるかもしれませんが、又飯時(釧路町)から桂恋のあたりまでは、かなり岩礁が多いのですね。

中でも桂恋のあたりは水面から顔を出している岩も少なくなく、波をかぶる岩がいくつもあるように思えるのです。そういった「岩を洗う波」のことを「(岩の)表面をちゃらちゃらすべる波」と呼んだのでは……と考えてみました。

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