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このあたりの国道 336 号は豊頃町と大樹町の境界付近を通っているので、厳密には一度大樹町に入ってから豊頃町に戻っていたのですが、このカントリーサインは再び大樹町に入ったところに設置されています(手前にはサインは無さそう)。
2023年10月31日火曜日
2023年10月30日月曜日
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2023年10月29日日曜日
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チヨロベツ ま鴨のおりる川
昆布森市街を流れている川である。この地名解は、いづれもなく、チルオロベツとすると、チル(鳥)オルは(内・または中などの意) ベツ(川)となり、鳥のいる川となる。
土地の人の話では、よく川上に、ま鴨が飛んでおりるというので、それが地名となったと思われる。
語義の記録を見ない。あるいはチ・オロ・ペッ「chi-oro-pet(おひょう楡の皮を)我ら・水に漬ける・川」ででもあったろうか。
アイヌ語で「チ・ウオㇽ・ペッ」(われわれのうるかす川)かと思う。
チョロベツいきなり「是も」と言われると「???」ですが、西隣(「昆布森トンネル」を抜けるとすぐのところ)に「アチョロベツ川」が流れていて、その地名解に詳細が記されていました。
是も神が来りて作りし川なるよし。川上に水有て川に下らざりし処のよし。今は川に成る
アッチョロベツ
昔痘瘡の神様此処え来り し 時 、此処えかくれし時、土人水が無故にアッチョロベと呼しかば、神が来りて此川を作りしと。アツと云と 半分と云事。神より半分もらひしと云儀なり
チョロヘツ チョロ・ヘツ 下・川
此所之川浪にて尻を留め居候節、砂の下水通し を名附由。
corpoki 【位名】[所](概は corpok) ……の底、下。
チョㇿポッケ クㇱ 【corpokke kus】
くぐる :下を通る.
2023年10月28日土曜日
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伏古籠(ふしこもり)
昆布森の岬のかげにある部落。フシコ・コンプ・モイのなまったもので、昔の昆布湾の意。現在は伏古(ふしこ)とだけ表記している。
フシコ(伏古) 古い村
この地名はフシコ(古くある・もとの)でフシココタン(元の村)コンブムイを指しているものと思われる。古文書には、マタイトキ・シュクトクナイ・アチョロベツ・チョロベツ・コンブムイ・ポロナイとつづいてフシコはない。
昭和三〇年頃から海岸浸蝕によって浜は決壊し、住み家も不安となって、昭和五三年一〇月に昆布森市街に集落移転したので、ほんとうの意味の(元の村)となろう。
2023年10月27日金曜日
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2023年10月26日木曜日
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2023年10月25日水曜日
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2023年10月24日火曜日
2023年10月23日月曜日
2023年10月22日日曜日
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クスリ地名解 (1832) | - | |
---|---|---|
初航蝦夷日誌 (1850) | - | |
竹四郎廻浦日記 (1856) | ||
辰手控 (1856) | - | |
午手控 (1858) | チトブシ | 細き竹が有 |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | チトフシ | |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | キトウシ(小川) | |
改正北海道全図 (1887) | キトウシ | |
永田地名解 (1891) | キト゚ ウシ | 韮多き處 |
北海道地形図 (1896) | キト゚ウシ | |
北海測量舎図 | キト゚ウシ | |
三角点名(1920) | ||
陸軍図 (1925 頃) | - | |
地理院地図 |
チトブシ確かに top で「竹」を意味するのですが、「チ」を「小さい」とは解釈できないような気が……。松浦武四郎も「東蝦夷日誌」を著すにあたって「あれはキトウシだよなぁ」と気がついた、というオチかもしれません。
細き竹が有、其名也
キトウシ(来止臥) きと(祈祷)ビルの群生しているところ
三方を山や崖に囲まれ砂浜になっている所で、暖い南風を受け、昆布森沿岸でも早く春が訪れる。キト(ギョージヤニンニクの球根)ウシ(そこに群生する・群居する)から名づけられる。
2023年10月21日土曜日
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濱に出てヲヤウシワタラ(大岩)名義、山の如く海中に尖出する故に號 く。此上を越てボントマリ〔浦雲泊〕(小沼)、爰 え下る沙原にして、甚奇麗也。
(十三丁十五間)ウシユンクユシ(岩岬)本名ヘシウトウリシにして、兩方山有、其間より川が下る號くと。(七丁廿問)アトエカ〔跡永賀〕(小川、小休所、人家三軒)、此岬に大崩岩有。
幷而
ヲヤウシワラより凡五、六丁也
ホントマリ
小沼有。沼の上を通る。小高き山有。玫瑰、柏木等有り。
ホントマリ
小沼有。沼の上を通る。小高き山有。玫瑰、柏木等有り。しばし行小流有る也。幷而
ウシユンクシ
又此処より左右二通り有。左り山道にして馬を通ず。右は海岸。歩行道有る也。
ポントマリ(浦雲泊) 舟がかりができる小さな入江
ポン(小さい)トマリ(停泊港)を意味しており、直訳すると小さい舟がかりの澗となるが、ここは沖合の岩場で波が沈み、渚はおだやかな舟がかりの澗になっており、舟の出入りも出来ることから「ポントマリ」と名付けられたと解する。
2023年10月20日金曜日
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2023年10月19日木曜日
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2023年10月18日水曜日
2023年10月17日火曜日
2023年10月16日月曜日
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2023年10月15日日曜日
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大日本沿海輿地図 (1821) | アトヲカ | - | - |
---|---|---|---|
クスリ地名解 (1832) | アトヱカ | フヱマ | ブヱマアトエカ |
初航蝦夷日誌 (1850) | アトイカ | フヱマ | フヱマトユカ |
竹四郎廻浦日記 (1856) | アトイカ | - | - |
辰手控 (1856) | アトイカ | フイマアトイカ | |
午手控 (1858) | アトヱヲカ | フヱマアトヱヲカ | |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | アトイカ | フヨニ | フヨマアトエカ |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | アトエカ(小川) | フイマアトエカ (岩穴) | ブイマユカ(岬) |
改正北海道全図 (1887) | - | フユモイ | |
永田地名解 (1891) | アト゚イ オカケ | プヨマ アト゚イカ | |
北海道地形図 (1896) | アト゚イオカケ | プユモイ | |
北海測量舎図 | アトイオカケ | フヨマアトイカ | プユモイ |
陸軍図 (1925 頃) | - | - | |
地理院地図 | - |
(二丁)フイマアトエカ(岩穴)此穴より則通る故號く。此處また岩の上越て、(八丁廿間)ブイマユカ(岬)、ホンソウ(瀧)過て、(十三丁廿間)リトイ平(平)名義、つづら高き土平と云儀なり。
フヱマ ブヨ・マ 穴・岩
近年迄此所に穴有し岩有レ之候得共、此所は此頃砂多く飛砂下に相成、相見得不レ申候。
冬窓床(ぷゆま)
跡永賀部落の岬の蠟燭岩が、昔は鍋鉉のように穴のある岩であったのが、一方が欠けてしまったという。この岬のかげをプイ・モイ(穴の入江)といったのに当字をしたもの。
Puyoma atuika プヨマ アト゚イカ 穴アル立岩 和俗蠟燭岩ト云フ、大岩海中ニ兀立シテ穴アリ往時二岩並立セシガ今ハ一岩アルノミこの注釈は更科さんの文章とも一致する内容ですが、よく見ると加賀伝蔵も「近年迄此所に穴有し岩有レ之候得共」と記していて、永田地名解よりも 60 年近く古い加賀伝蔵の時代で既に伝聞だったことがわかります。
2023年10月14日土曜日
2023年10月13日金曜日
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2023年10月12日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。
2023年10月11日水曜日
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2023年10月10日火曜日
2023年10月9日月曜日
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。
船の形は、河川によっていろいろと異なっている。この川では二つの型がある。私たちの船は小型で、平底船である。長さ二五フィート、幅は二フィート半。水面上がたいそう低く、両舷が少し内側に曲がっている。
夕闇が迫ると、霧雨も晴れて、絵のように美しい姿をした地方が見えてきた。
川を渡るためには、目指す地点の上流ヘ一マイルたっぷり行かねばならなかった。
そこから大至急で数分かかって向こう岸の船着き場に着いた。そこは暗い森の中の深くて骨の折れる泥水で、私たちはそこのひどい道を手さぐりで進み、やっと宿屋に来た。
暗い土 間 は、足首まで深いぬかるみであった。台所 は天井がなく、屋根や垂木は煤 で黒かった。
囲 炉 裏 の燃えている火を囲んで、十五人の男や女、子どもが、暗く灯っている行灯 の灯火の傍で何することもなく横になっていた。
ここはたしかに絵のように美しかった。奥の方の暗くぼんやりしたところにりっぱな襖 が出されると、大名 の座敷が現われたようで、私は充分に満足な気持ちになった。
それを宿の主人にあげたら、朝になると神棚 の貴重な古薩摩 焼の小さな花瓶の中で咲いていた。
首相が暗殺され、五十人の警官が殺されたという。
《後に私が北海道に着いたときに知ったのだが、近衛部隊の一部が反乱したのを、誤って伝えたものであろう》。このように都から遠く離れたところでは、実にばかげた政治的伝聞が広まるのである。
この十年間の政治的大変動や、最近の首相の暗殺の後は、農民たちが現在の政治体制を信用していないとしてもふしぎではない。
Very wild political rumours are in the air in these outlandish regions, and it is not very wonderful that the peasantry lack confidence in the existing order of things after the changes of the last ten years, and the recent assassination of the Home Minister.
日本人の夜分の悪い習慣だが、煙管 に火をつけようとして火鉢の端に頭を打ったという。
私は非常の場合に備えて、いつも日本の着物をつけて眠るから、すぐさま彼の頭に包帯をしてやり、また眠ったが、翌朝早く豪雨の音で眼がさめた。
小繋 では、私が滞在した他の幾つかの小村と同様に、村の最も主だった住民たちが、自分たちの子どもたちの教育をしてくれる一人の若い青年を確保して、彼に対して、衣服を提供したり、また食事や住居を提供したりする。比較的貧しい者は月謝を払い、最も貧しいものは無償で彼らの子どもに教育を与えることが出来るように取り計らってやる。
これはどこででも見られる習慣のようである。小繋では私を泊めている家の主人は先生に食事と住居を提供し、30人の勉強好きの子どもたちが台所 の一部で教育を受けていた。
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2023年10月8日日曜日
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ニコマナイ(入境内) 川尻に流木の集まる川
この地名には二つの説がある。蝦夷地名解では、ニオッケ・オマ・ナイ(桶・小川に桶あるを見て)名づくとあり、アイヌ語地名解では(昔、桶が流れついたところから名付けた)とあるが、アイヌ語辞典から考えると、「ニ(流木・より木)コ(……に向って)オ(川尻)マ(泳ぐ)ナイ(川)」と解釈すると、川尻に流木の集まる川となる。
更に言うと、ni-ko-o-ma-nay という解釈は珍妙な感じがするものです。おそらく文法的にもおかしいのでは、と思わせます。
ニヲケヲマナイ……。これ、もしかして「荷桶」が流れ着いたから「荷桶のある川」だ、という説だったりしませんか……? つまり永田方正・更科源蔵の各氏のみならず、松浦武四郎も「荷桶」説ということに……?
大古始て樽と云もの三ツ此処え寄り上りし時、始て見て何ともしれず悦びて此名をつけしと云
ニ・オッケ・オマ・ナィ「ni-otke-oma-nay 木(流木)・からみつく・(そこ)にある・川」と解したい。
オㇷ゚ケニ【opke-ni】
コブシ,キタコブシ.▷オㇷ゚ケ=屁 二=木→枝を折ると臭いので屁をする木と名づけた
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2023年10月7日土曜日
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ベチャラセ ヘツ・チャラセ 川・早ひ
小さひ滝川有るを斯名附由。
Pecharase ペチヤラセ 瀧相変わらずざっくりした解が記されていますが、pe-charse で「水・すべり落ちている」と言ったところでしょうか。charse は「細い滝をなして滑り落ちている」という意味なので、わざわざ pe(水)を冠したのは何故だろう……という疑問も出てくるのですが……。
蝦夷地名解では、ペチャラセ(滝)と解いているが、明治三〇年の五万分の一図には、ワッカチャラセとしている。
アイヌ語地名解では、ペもワッカも「水」である。
──pe は多く合成語の中で用いられ,単独で水と言うときは wakka(H). waxka(K)がふつうに用いられる。
wakka-ke-p(「水を・かく・もの」「舟のアカをかき出す道具」),wakka-ta-ru(水を・くむ・路)なども古くは pe-ke-p, pe-ta-ru と言った。
チャラセ(小川が山の斜面を急流をなして、飛沫をなしてすべり落ちる)で、飲水が散らばり落ちると解する。昔は人家が七〜八戸あって滝水を飲料水としていたが、今は人家が滝の上にある。
2023年10月6日金曜日
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2023年10月5日木曜日
2023年10月4日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2023年10月3日火曜日
2023年10月2日月曜日
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2023年10月1日日曜日
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ヲヱシャムマム 不分明に候。
ヲヱサマフ「ヲミは尻を云」というのは少々謎ですが、改めて「地名アイヌ語小辞典」(1956) を眺めてみると om, -i で「ふともも」を意味するとのこと。sama は「横になる」なので、「ふとももが横になったところ」と解釈できたり……するのでしょうか?(誰に聞いている)
本名ヲミサマフ。ヲミは尻を云、サマフは横に臥たると云事。昔し鯨がよりし時神様多くより、よこに伏したと云り
老者舞 おしやまっぼ
東蝦夷日誌はヲエチヤンマフ, 明治 30 年 5 万分図はオエサマㇷ゚と書いたが,解の記録は見ない。形だけからだとオ・イチャン・オマ・ㇷ゚「川尻に・鮭鱒産卵場・ある・もの(川)」とも聞こえるが,訛った形らしいので,うっかり解がつけられない。
老者舞(おしゃまっぶ)
釧路町海岸。思わず噴き出したくなる当て字である。
近くの小川の名で、アイヌ語オ・サマッキ・プで川尻の横になっている川の意。
オシャマップ(老者舞) 川尻に倉の形をした岩山があるところ
アイヌ語で解釈すると「オ(川尻)サマッキ(横たわっている。)プ(倉<のような形>)となり、シュマ(岩)マップ(倉のような山)」と解すことになり、川尻に倉のような形をした岩山のある所と表記する。
川は砂利層で鮭鱒が産卵に入りそうな川ではある。
昆布森地名考は「老者舞(オシャマップ)川尻の倉のような岩のある所、オ(川尻)シュマ(岩)マㇷ゚(をもつ所)となるが語尾をマップにすれば(倉のような山)を意味するもので表記の解釈をとった」と書いた。
確かに川尻には大黒岩と呼ばれている大きな岩がある。
松浦東蝦夷日誌は「ヲエチヤンマフとして(岩)」をさしている。オ・エ・サン・オマ・プ「川尻に・頭が・浜に出ている・もの(岩)」の意でなかろうか。