(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
チョロベツ川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路町昆布森のほぼど真ん中を南に流れて太平洋に注ぐ川の名前です。昆布森の北には「チョロベツ」「チョロベツ沢」などの地名も表示されていますが、これは通称でしょうか。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「チヨロヘツ」と描かれています。「改正北海道全図」(1887) には「チヨヘツ川」とありますが、「北海道地形図」(1896) には「チョロペッ」とあるので、「チヨヘツ」は脱字の可能性がありそうです。
「マガモのおりる川」?
釧路町史には次のように記されていました。チヨロベツ ま鴨のおりる川
昆布森市街を流れている川である。この地名解は、いづれもなく、チルオロベツとすると、チル(鳥)オルは(内・または中などの意) ベツ(川)となり、鳥のいる川となる。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.123 より引用)
chir-or-pet で「鳥・のところの・川」と考えたのでしょうか。chir(鳥)を -or で受けるというのはあまり記憶にないのですが、sey-or で「貝殻のところ」という例もあるようなので……。とは言え、珍しい形とは言えそうなので、要注意でしょうか。土地の人の話では、よく川上に、ま鴨が飛んでおりるというので、それが地名となったと思われる。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.123 より引用)
うーん。地元の方の見解は傾聴に値するのですが、chir-or-pet だと「チロㇽペッ」になりそうで、「チョロベツ」との間に多少の違いがあるのも気になるところです。ただこの程度の違いであれば、単に訛っただけの可能性も十分ありそうです。「我らがうるかす川」?
山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) には次のように記されていました。語義の記録を見ない。あるいはチ・オロ・ペッ「chi-oro-pet(おひょう楡の皮を)我ら・水に漬ける・川」ででもあったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.262 より引用)
chi-woro-pet で「我ら・うるかす・川」では無いかとのこと。「北海道地名誌」(1975) にも次のように記されていました。アイヌ語で「チ・ウオㇽ・ペッ」(われわれのうるかす川)かと思う。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.669 より引用)
あー、やはり……。「神が作った川」!?
なんとなく chi-woro-pet で決まりかなー……という雰囲気になってきましたが、「午手控」(1858) には次のように記されていました。チョロベツいきなり「是も」と言われると「???」ですが、西隣(「昆布森トンネル」を抜けるとすぐのところ)に「アチョロベツ川」が流れていて、その地名解に詳細が記されていました。
是も神が来りて作りし川なるよし。川上に水有て川に下らざりし処のよし。今は川に成る
アッチョロベツ
昔痘瘡の神様此処え来り し 時 、此処えかくれし時、土人水が無故にアッチョロベと呼しかば、神が来りて此川を作りしと。アツと云と 半分と云事。神より半分もらひしと云儀なり
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.339 より引用)
うーん。更に訳がわからなくなった感が……(汗)。「砂の下を通る川」?
加賀家文書「クスリ地名解」(1832) には次のように記されていました。チョロヘツ チョロ・ヘツ 下・川
此所之川浪にて尻を留め居候節、砂の下水通し を名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.260 より引用)
「チョロ」は「下」だと言うのですが、そんな語があったかな……と思って辞書を見てみると……corpoki 【位名】[所](概は corpok) ……の底、下。
(釧路アイヌ語の会・編「釧路地方のアイヌ語語彙集」藤田印刷エクセレントブックス p.20 より引用)
ありました(汗)。「チョロ」ではなく「チョㇽポキ」ですが、「ポキ」が略されたと考えることも可能でしょう。萱野さんの辞書にも次のような記載がありました。
チョㇿポッケ クㇱ 【corpokke kus】
くぐる :下を通る.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.318 より引用)
むむむ……。クスリ地名解には「此所之川浪にて尻を留め居候」とありますが、これは沿岸流によって砂が流されて河口が塞いだ……と読めます。そして「砂の下水通す」とありますが、このことを指して chorpokke-kus-pet で「下を・通る・川」と呼んだ……というのも、個人的には納得感の高い仮説です。そして「午手控」の記述を振り返ってみると、「川上に水有て川に下らざりし処」というのは「此所之川浪にて尻を留め居候」と符合するようにも思えます。ただ「午手控」には「今は川に成る」とあり、河口部の伏流は解消されたと読めます。
「神が来りて作りし川」と言うのは、どこかのタイミングで河口部の伏流が解消されて、そのことを形容した……ということかもしれません。
自らをうるかす川
ちょいと余談ですが、河口部に伏流があったということならば、chi-woro-pet で「自ら・うるかす・川」じゃないか……とも考えてみました。室蘭の「地球岬」を chi-kere-p で「自ら・削らせる・もの」と解する流儀がありましたが、それと似たようなものではないか、と。チョロベツ川が河口を塞ぐ砂をうるかし続けて、ついに流路を確保した……というストーリーで、実はこれを一押しに考えていたのですが、どう考えても chorpokke と比べると分が悪そうなので、「余談」に回ってもらいました。
持文内(もちぶんない)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
チョロベツ川を溯ると、地理院地図で「チョロベツ沢」(地名です)と表示されているあたりで二手に別れていて、現在は右手(南側)の流れが「チョロベツ川」の本流とされています。ただ「北海道地形図」(1896) では左手(北側)が「シノオマンチョロペッ」で、これは sino-oman-{choropet} で「本当に・山奥へ行く・{チョロベツ川}」と読めることから、かつては北側の支流がチョロベツ川の本流と目されていたことがわかります。
「シノオマンチョロペッ」(現在の 4 号支流川)を遡って分水嶺を越えると「ルークシュポル」(=ルークシュポール川)なので、故に重要視されたのかもしれません。
また、現在「チョロベツ川」とされている右手(南側)の流れは「イシュオマンチョロペッ」とあり、これは e-sa-oman-{choropet} で「頭(水源)・海側・行く・{チョロベツ川}」と読めそうですね。この川を溯ると最終的には浦雲泊の北に出るのですが、水源は川の南側の道道 142 号「根室浜中釧路線」のあたりにあります。このことを指して「水源が海側に向かうチョロベツ川」と呼んだ……と言ったところなのでしょうね。
閑話休題
チョロベツ川(かつての「イシュオマンチョロペッ」)の源流部から北に向かって分水嶺を越えるとルークシュポール川の流域なのですが、支流の「3 号川」と「6 号川」(現地ではそれぞれ違う名前で呼ばれているかもしれません)の間の尾根に「持文内」という名前の四等三角点があります(標高 92.0 m)。ルークシュポール川の支流の流域なので、釧路町ではなく厚岸町じゃないの……と思ったりもするのですが、四等三角点の記には所在地が「北海道釧路郡釧路町大字仙鳳趾村字ポンルクシュポール 6 番地 1」と記されています。釧路町と厚岸町には町境未定の区間があるのですが、ここは釧路町扱いなんですね。
陸軍図を見ると、三角点から見て北側に「オモチ
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。
オモチェプンナイ
ルークシポル川の中流付近を、南西側から流入している。
オ・モ・チェプ・ウン・ナィ(o-mo-chep-un-nay 川口・静かな・魚・いる・川)の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.296 より引用)
chip(舟)と chep(魚)は良く取り違えられることがあるのですが、今回は chep と見て良さそうな感じでしょうか。o-mo-chep-un-nay であれば「河口・小さな・魚・入る・川」か、あるいは「河口・おとなしい・魚・入る・川」あたりかな、と思わせます。www.bojan.net
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