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ピクセル等倍の限界写真で失礼します。この川は「浦幌十勝導水路」とのこと。「放水路」ではなく「導水路」なんですね。
そう言えば、道路脇にこんなものが立っていました。北海道の幹線道路には積雪時でも路肩の位置を把握できるように「矢羽根」が立っているのですが、これは超・簡易版の矢羽根みたいですね。確かに路肩の位置を把握することができますし、矢羽根を頭上に設置するよりも安上がりなんでしょうね。
なんとなく道を間違えた気がしたので(実はこれでも目的地?があったんですよね)、U ターンして十勝川の傍までやってきました。左を流れているのが「浦幌十勝導水路」です。
道路の左右に紅白のポールが立っていますが、これも矢羽根の代わりなんでしょう。
浦幌十勝導水路記念碑
なんとなーく車で入らないほうが良さそうに思えてきたので、ちょいと車を停めて散策?することに。水門には「浦幌十勝導水門」とあります。「浦幌十勝導水路記念碑」が立っていました。土台もコンクリート打ちっぱなしのようで、飾らない力強さがある……というのはちょっと良く言い過ぎでしょうか。
碑文を見やすいように整形してみましたが、これは……。
地形図を見ると、この導水路よりも南に「浦幌十勝川」が描かれているのですが、この川は十勝川とは繋がっておらず、巨大な三日月湖のようになっていました。導水路の建設で旧河道になったのだろう……と思ったのですが、実際は「浦幌十勝川」の閉塞のほうが先だったとのこと。
「洪水防止」のために「浦幌十勝川」を閉塞したところ、確かに洪水は起こらなくなったものの、浦幌十勝川に供給される水量が減少した(浦幌川や下頃辺川からの水だけになった)ために土砂が堆積し、河口が閉塞したことで水位が上昇、農地からの排水に困難を来すことになります。
ここまで読んだ限りでは、「浦幌十勝川」の閉塞は結構なやらかし案件だったような……。1963(昭和 38)年に「浦幌十勝川」を閉塞したものの、上記の問題が発生したために 1971(昭和 46)年に「浦幌十勝川改修工事促進期成会」が結成され、1972(昭和 47)年に工事を開始して 1982(昭和 57)年に導水路が完成した……ということのようです。
なるほど、1977(昭和 52)年の航空写真を見ると……
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
見事に工事中の「浦幌十勝導水路」が撮影されていました。全体の 4 割くらいが掘削された状態でしょうか……?記念碑は「救急内水大津地区基地」の敷地に立っていました。十勝川の河口に近い広大な湿地を治水により農地に転換した場所なので、水難に備えてフェンスや土嚢、ゴムボートとかが積んである……のかもしれません(想像ですが)。
お隣は「浦幌十勝導水路管理所」で、
全体の位置関係はこんな感じです。
トイトッキ築堤光伝送路管路工事
「浦幌十勝導水門」の前にやってきました。堤防工事の看板と、その横には「テロ対策重点警戒中」の看板が立っています。工事名を記した杭も立っていました。「トイトッキ築堤光伝送路管路工事」とあります。導水路で水を流すだけではなく、築堤に光ファイバーを敷設してデジタルデータを伝送しよう……と言うのですね?
光ファイバーの敷設は既に進んでいるようで、こんな標識も立っていました。
なんか「ウソくさい補正」のように見えますが、この写真は色味マシと角度修正、ノイズ除去(覆い焼き)だけ行っています。意外とウソくさい写真が撮れるものなのですね。折角なので(何が)、ウソくさく補正したものも置いておきますね。
まるで T 字路
「浦幌十勝導水門」は浦幌十勝導水路の「入口」(十勝川側)に設けられています。この水門で導水路の流量をコントロールしているのですね。導水路の「入口」は T 字路のような形をしています。めちゃくちゃ人工的な造形ですね……。いやまぁ人工の流路なので人工的で構わないんですが……。
浦幌十勝導水路にも十分な水量が流れ込んでいるように見えます。こうやって見ると運河みたいで、やはり干拓地っぽい感じがします。
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:ダストノイズ除去、フロントガラスへの映り込み除去
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