2023年9月30日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1075) 「去来牛・知方学」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

去来牛(さるきうし)

sarki-us-i
葦・多くある・ところ
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
尻羽しれぱ岬から 2.3 km ほど西方にある海沿いの地名で、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「サリキウシエト」と描かれています。1896(明治 29)年の「北海道地形図」には何故か「サㇰシュウウシ」と描かれていますが、9 年前の 1887(明治 20)年に作成された「改正北海道全図」には「サルキウシ」と描かれていました。

1887(明治 20)年から 1896(明治 29)年の間に何があったのかと言うと、永田地名解こと「北海道蝦夷語地名解」(1891) が上梓されていたわけで……永田さん、なかなか罪なことをしてくれましたね。もっとも永田地名解を注意深く読めば、「夏鍋」こと「サㇰ シュウ ウシ」は厚岸湾に面した岬の北側の地名だろうと想定できるので、色々とうっかりミスがあった、ということなのでしょうね。

加賀家文書「クスリ地名解」(1832) には次のように記されていました。

サリキウシナヱ(エト) サキリ・ウシ・ヱト よし(蘆)・有・崎
サリキウシ サリキ・ウシ よし・有
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.262 より引用)※ 原文ママ
また「東蝦夷日誌」(1863-1867) には里程込みで次のように記されていました。

サリキウシエト(小岬)、此上に蘆荻原有岬故に號く。(三丁五十間)サリキウシ〔去来牛〕(小澤)蘆荻有る澤と云儀。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.319 より引用)
三丁五十間は約 418 m なので、「去来牛神社」の南西の丸く飛び出たあたりが「サリキウシエト」で、神社の東の家屋のあるあたりが「サリキウシ」の集落だったっぽい感じですね。

「午手控」(1858) にも次のように記されていました。

サリキウシ
 よし原の事也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.342 より引用)
sarki は「葦」を意味するので sarki-us-i で「葦・多くある・ところ」と考えて良さそうですね。

知方学(ちっぽまない)

chep-oma-nay?
魚・そこにいる・川
chip-oma-nay?
舟・そこにある・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「釧路町の難読地名コレクション」の一つと言えそうな「知方学」は、去来牛の 1.5 km ほど西方に位置しています。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「チホヲマナイ」と描かれていて、「北海道地形図」(1896) には「チㇷ゚オマナイ」と描かれていました(「改正北海道全図」(1887) には何故か記入なし)。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Chip oma nai   チㇷ゚ オマ ナイ   舟川 往時舟流レ寄リシ處故ニ名クト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.332 より引用)
chip-oma-nay で「舟・そこにある・川」と考えたのですね。一方で「東蝦夷日誌」(1863-1867) には次のように記されていました。

チホヲマナイ〔知方學〕(小川)本名チエフヲマナイなるよし。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.319 より引用)
どちらも同じ……ように見えてしまいますが、実は大きな、非常に大きな違いがあります。chip は「舟」を意味しますが、chep は「魚」を意味するのですね(chi-e-p で「我ら・食べる・もの」が転じて「魚」)。chep-oma-nay で「魚・そこにいる・川」と考えた……ということになります。

加賀家文書の「クスリ地名解」(1832) には次のように記されていました。

チホヲマナヱ チブ・ヲマ・ナヱ 船・有・沢
  此所え度々船皆具板寄上り候故名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.262 より引用)
興味深いことに、こちらは永田地名解 (1891) と同じ解釈です。ところが、「釧路町史」には次のように記されていました。

 チポマナイ(知方学) 川口に魚がたくさん集まるところ
 蝦夷語地名解では「チプ・オマ・ナイ(舟のある川の意)。(往時舟流レ寄リシ処故ニ名クト云フ)」と書いた。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.129 より引用)
これは……永田地名解を引用しつつ「東蝦夷日誌」(1863-1867) の解を正としていますね。まだ続きがありまして……

いずれにしても、事実、ここはチカ・コマイ・サケの子などがこの時期になると川口に集まるということから、川口に魚がたくさん集まる所と解する。
(釧路町史編集委員会「釧路町史」釧路町役場 p.129 より引用)
自治体史の地名解は往々にして強引な解釈がなされることがある……と個人的に思うこともあるのですが、今回は「釧路町史」の解でいいんじゃないかなーと思わせます。と言うのも、chip (cip) を含む地名は道内各所で見られるものの、多くは chip-kar(舟・作る)や chip-ranke(舟・おろす)といった地名で、chip-oma という組み合わせは記憶に無いのですね。

まぁ、いつも丸木舟(chip)が係留されている川……と考えることもできますし、道庁の「アイヌ語地名リスト」も「どちらとも特定しがたい」としているので、……念のため両論併記としておきましょうか。

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