2023年9月23日土曜日

「日本奥地紀行」を読む (152) 切石(能代市)~小繋(能代市) (1878/7/28(日))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十六信」(初版では「第三十一信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

米代川の危険(続き)

川が増水したため「渡河禁止命令」が出されてしまい、進退窮まったかに見えたイザベラですが、絶妙なタイミングで救いの手が差し伸べられます。

 ちょうど折よく、向こう岸に小舟が下ってゆく姿を見つけた。舟は岸にとまって男を一人陸に上げた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.285 より引用)
もちろんイザベラ一行がこのチャンスを逃す筈も無く……

伊藤ともう二人の男は、叫んだり大声をあげたり手を一生懸命に振って注意をひこうとした。嬉しいことに、烈しく音を立てて流れる川の向こうから返事の叫び声が聞こえてきた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.285 より引用)
無事コンタクトに成功します。小舟の船頭は増水した川に流されながら、なんと 45 分近くかけて川を渡ってきました。

彼らは小繋コツナギに戻るところで、そこは私たちが行きたいと思っていた目的地であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
小繋(能代市二ツ井町小繋)は米代川の難所を遡った先の集落で、小繋から東は陸路で移動が可能です。イザベラ一行が小繋をこの日のゴールに定めたのも当然の立地と言えそうです。

二マイル半しか離れていなかったが、私が今まで見た男の仕事のうちでもっとも烈しい働きの結果、四時間近くかかって、やっとそこに着いた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
「2 マイル半」は約 4 km ですが、米白橋から 4 km 遡ったとしても二ツ井駅の東あたりで、小繋からは少し離れています。

私は、今にも彼らが血管か筋肉の腱を破裂させてしまうのではないかと、はらはらし通しだった。彼らの筋肉は、疲労で震えていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
船頭や水夫の肉体は既に限界だった……ということでしょうか。

ときどき彼らが全力をあげて棹をさしているとき、今にも棹や背骨が折れてしまうのではないかと思われ、舟は一時に三分か四分もそのままじっと震えながら進まぬこともあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
増水した川の流れに逆らって遡上しようと言うのですから、流れに棹さすのとは訳が違います。流されないようにその場にとどまるだけでも重労働です。

この数日は遅々として何事もない旅行であったから、これはスリルのある輸送であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
イザベラ姐さん……。「渡河禁止命令」が出ている中で無理やり舟に便乗して「スリルのある」は酷いのでは……。

しかしこの先で、他の川が米代川ヨネツルガワに合流し、さらに力を増して一層烈しく音を立てて流れていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
あー、確かに原文では Yonetsurugawa となっていますね。

船頭溺れる

イザベラ一行を乗せた……いや、「無理やり乗り込んだ」が正解かもしれませんが……舟が、二ツ井の市街地のあたりに差し掛かったところで……

 私は、反対側のはるか上手にいる大きな屋形船を長い間じっと見ていた。半マイルほど離れたところにさしかかったと思うころ、その船は激流のために舵をとられ、あっという間にくるくる回り、木の葉のように流されて川を下り、私たちの舷側にぶつかろうとした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286 より引用)
イザベラは「大きな屋形船」が制御不能になる瞬間を目撃します。イザベラを乗せた舟もその場に留まって流されないようにするのが精一杯で、流された「大きな屋形船」が衝突するとイザベラの舟も木っ端微塵になってしまうわけですが……

伊藤は恐怖で顔が土色となった。そのぎょっとした蒼白な顔が、かえって私にはこっけいに思えた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.286-287 より引用)
イザベラ姐さんは泰然自若としていて流石……と思ったのですが、実は単に鈍感だった(かもしれない)と思わせる内容が続いていました。

というのは、あわれな家族たちを乗せている屋形船に危険が迫っていることしか私は考えていなかったからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.287 より引用)
うーむ……。単に鈍感だったと見るべきか、やはり肝が据わっていると見るべきか……。結果的にイザベラを乗せたが無理やり乗り込んだ舟は無事だったわけですが、制御不能に陥った屋形船がどうなったかと言うと……

ちょうどその船が私たちの舟から二フィートのところに来たとき、樹木の幹に当たって、わきにそれた。そのときその船頭たちは、首のない幹をつかんで、大綱をそれにぐるぐる巻き、八人が次々にそれにぶら下がった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.287 より引用)
船頭たちは、もはや制御不能となった屋形船を見捨てる決心をしたようで、「首のない幹」にロープを引っ掛けて、ロープ伝いで陸地に逃れようとします。「首のない幹」の意味するところが少々謎ですが、原文では a headless trunk で、時岡敬子さんは「頭のない木の幹」と訳していました。枯れ木の幹かな……と思ったのですが、果たして……

途端に幹はぷっつり切れて、七人が後ろに落ち、前の一人も流れに落ちて、姿は見えなくなった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.287 より引用)
……。決死の脱出作戦は失敗に終わった、ということですね。

ここまでの文章を見ていると、「あわれな家族を乗せている屋形船」が制御不能に陥り、決死の脱出を試みるも「七人が後ろに落ち、前の一人も流れに落ちた」ように思えます。屋形船には数人の船頭と「あわれな家族」の合計 8 人が乗っていて、惨劇に遭遇してしまった……ということでしょうか。まぁ、川が増水して大荒れの日になんで屋形船に乗ってる家族がいるんだ、という話でもあるのですが……。

ところが、原文を眺めてみたところ、妙な点に気が付きました。高梨さんが「私は、反対側のはるか上手にいる大きな屋形船を長い間じっと見ていた。」と訳した文なのですが、原文では次のようになっていました。

I had long been watching a large house-boat far above us on the other side, which was being poled by desperate efforts by ten men.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
よく見ると、高梨さんの訳文には which was being poled by desperate efforts by ten men. に相当する部分が見当たらないのですね。時岡敬子さんが訳した「イザベラ・バードの日本紀行 上」には該当する部分もちゃんと和訳されているのですが、これは「普及版」で削られたからなのか、それとも高梨さんがうっかり訳出し忘れたのかは不明です。

「普及版」と「完全版」の違いを論じた高畑美代子さんの「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」には、この部分についての言及はありませんでした。

そして「屋形船にあわれな家族が乗り合わせていたのか」という話ですが、原文では "I had no other thought than the imminent peril of the large boat with her freight of helpless families," となっていました。このあたりの文章では sheher が頻出するのですが、文脈から考えるとこれは「屋形船」を意味すると考えられます。

つまり、屋形船が乗せていた「あわれな家族」というのは、「屋形船 *の* 家族」、すなわち「船頭」を意味する……ということ、なんでしょうね(少なくとも私にはそう読むしか無いと思えました)。

イザベラが記した「あわれな家族」はレトリックだった……ということになるのですが、高梨さんが being poled by desperate efforts by ten men. をちゃんと訳してくれていれば、妙な誤解をすることも無かったのに……と思ったりもします(負け惜しみ)。

その晩は、どこかにわびしい家庭があったことであろう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.287 より引用)
まぁ、普通は増水した川に流されたなら最悪の結末を想像してしまいますが、船頭だけに水練にも熟達していたんじゃないか……という、希望的な観測をしたくなるところです。

皮肉なことに、制御不能に陥った屋形船は川下に流れていったものの、程なく巨大なマストが木に引っかかって静止します。船頭も脱出せずにそのまま留まっていれば、増水した米代川に流されることも無かったのかもしれません。

イザベラは伊藤に、顔面蒼白となった瞬間の心境を訪ねたところ……

危険に陥ったときにどんな気持ちであったか、と伊藤にたずねてみたら、伊藤は「私は、母親にやさしい子であったし、正直者だから、きっと良いところへ行けると念じていました」と答えた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.287 より引用)
やはり、その瞬間は死を覚悟していた……ということでしょうか。確かに伊藤はイザベラからの給金の多くを母親に仕送りしていたらしく、「やさしい子」だったのかもしれませんが、果たして本当に「正直者」だったかどうかは……(やめなさい)。

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