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ホームや線路も保存されています。手前に見えているのは廃止後に復元された貨物引き込み線で、奥に見えているのが本線です。
2023年8月31日木曜日
2023年8月30日水曜日
2023年8月29日火曜日
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2023年8月28日月曜日
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2023年8月27日日曜日
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ポンルクシュポール 厚岸町尾幌に出るボンノ沢上流の畑作酪農地区。小路の通る洞窟と解されるが不明。
ル・クㇱ・パㇽ(ru-kus-par 道が・通ってい・入り口)の意で、かつてはこの沢筋を通って跡永賀、昆布森方面へ出たのであった。
午手控 (1858) | 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | 明治時代の地形図 (1897 頃?) |
---|---|---|
ヤマコベツ | ヤマコヘツブト | オポロペツ(一名ヤマコペツ) |
- | ウカウフ(北支流) | - |
- | ルウクシウホロ(北支流) | - |
シラルヲマイ(南支流) | シラルヲマナイ(南支流) | - |
- | クツカウシ(北支流) | - |
トンナイウシ(南支流) | トンナイウシ(南支流) | - |
クトイカウシ(北支流) | - | クト゚イカルウシ(北岸) |
- | - | ロクシ(北岸) |
- | アタ子モト(北支流) | アッタ子モト(北支流) |
- | シユンクホリ(北支流) | - |
チヱルイ(南支流) | チエルイ(南支流) | ツキサニウシ?(南岸) |
アタ子モト(北支流) | - | - |
ロークシ(北支流) | ルウリシ(南支流) | - |
シユンクホク(南支流) | - | - |
シユマヽイ(北支流) | シユマヽイ(北支流) | シユママイ(北岸) |
チリシユニ(北支流) | チサシユマ(北支流) | - |
ニシクルン子(北支流) | ニンリルン子(北支流) | ユンクルンナイ(北支流) |
- | - | チユリンニー?(北岸) |
ヲント(南支流) | ヲント(南支流) | - |
カムイルイ(南支流) | カムイルイ(南支流) | カムイルイ(北岸) |
- | - | ルクシエヌシ(北岸) |
- | アキチヤシ(南支流) | - |
ホマカ(北支流) | ホマカ(北支流) | ホマカイ(北支流) |
アキチヤシ(南支流) | - | - |
サツテクトウ(南) | サツテクト(南支流) | サッテキトー(南沼) |
ヲニヲフ | ヲニヲフ(北支流) | オポロマプ? |
- | - | ライペツ(北支流) |
- | - | フーレペツ(南支流) |
ヲタコハウシ | ヲタコハウシ | オタクッパウシ(南支流) |
- | - | ルークシュポル(南支流) |
- | - | イキタラウシ(北岸) |
- | - | ウ |
- | - | オサルンペ(北支流) |
- | - | オン子オサルンペ(北支流) |
- | - | ワクカペケレペツ(北支流) |
- | - | ワクカク子ペツ(北支流) |
此処並て又ヤ面白いことに、この記録は「午手控」等々とは異同の多いものです。これは「午手控」以外にも「竹四郎廻浦日記」を認める際の手控(取材メモ)が存在していたことを想起させるもので、その中に「ルウクシウホロ」に近い川のメモがあったのかもしれません。コ コヘツと云川有。(中略)扨此川口より川源迄の小名を聞んと土人を呼出しけるが、此川さして漁業も無れば奥深く入る事なしと。然し土人共の行し丈の処は云ていと懇に教呉ける。字モロシリ、同ヲヽヘツ、サヌシヲホロ、ホロコツ、シユマウシ、シコフミ、ヲシツルクシ、チヱハケ、ウベハケ等に字有て其処小沢、小流有と。
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2023年8月26日土曜日
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尾 幌(おぼろ)
所在地 (釧路国)厚岸郡厚岸町
開 駅 大正6年12月1日 (客)
起 源 尾幌川は根室本線に沿って流れ、厚岸の北で別寒辺牛川と一緒になり、厚岸湖にそそぐこの川の名のアイヌ語からとったものである。「上尾幌」の項参照。
上尾幌(かみおぼろ)
所在地 (釧路国)厚岸郡厚岸町
開 駅 大正6年12月1日
起 源 アイヌ語の「オ・ポロ・ペッ」(川口の大きい川) から出たもので、尾幌川の上流にあるため「上」をつけたものである。
特に上尾幌駅周辺には「ウヌコペツ」「オサルンペ」「ポンオサルンペ」「オン子オサルンペ」「ワクカペケレペツ」「ワクカクン子ペツ」などの川名が存在していたようなのですが、今はどれも「尾幌◯◯号川」という名前になってしまったようです。
O-poro pet オ ポロ ペッ 川尻ノ大ナル川どうやらこれが「駅名の起源」の元ネタっぽい感じでしょうか。
ヤマゴベツは山越別にて、和夷混ぜしもの也。本名ウポロ〔尾幌〕と云し也。
ウポロ〔尾幌〕(川幅十四間)是ヤマゴベツの入口也。名義は川の上に處々堀の深き處有と云儀也。此邊蘆荻原也。
ウホロ
川の上に処々深き堀が有と云事なり
2023年8月25日金曜日
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2023年8月24日木曜日
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2023年8月23日水曜日
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2023年8月22日火曜日
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2023年8月21日月曜日
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2023年8月20日日曜日
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初航蝦夷日誌 (1850) | ヤアアンベッ |
---|---|
竹四郎廻浦日記 (1856) | ヤワンヘツ |
午手控 (1858) | ヤワンベツ ヤワンは岡と言う事。 |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヤーマシヘツ |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヤワアンベツ 岡川。アーは陸の事。 |
永田地名解 (1891) | - |
明治時代の地形図 (1897 頃?) | オキマンペツ |
陸軍図 (1925 頃) | 沖万別 |
地理院地図 | 沖万別 |
沖万別(おきまんべつ)
厚岸湾沿いの漁村。川口に萱のある川の意。
土石流(どせきりゅう、英語: debris flow)とは、土石が河川の水と混合して、河川・渓流などを流下する現象のこと。渓流沿いで発生する土砂災害の代表的なものである。山津波・鉄砲水・泥流ともいう。(Wikipedia 日本語版「土石流」より引用)。
日本の災害報道では1960年頃から山津波と同義語として使用されていたが、1975年頃からは土石流が使用されるようになり山津波や鉄砲水も同義語として使用されるようになった。その後、1991年の雲仙普賢岳の土石流災害で土石流が広く認知されるようになったことから土石流に対して用いられることは少なくなった。(Wikipedia 日本語版「鉄砲水」より引用)。
十勝の本別町に「オキラウンベ川」という川があり、それと似た名前の川かもしれません。
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2023年8月19日土曜日
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トマタロtoma は「エゾエンゴサクの塊茎」で ta は「打つ、断つ、切る」や「掘る」あるいは「汲む」と言った意味なのですが、問題は「ロ」あるいは「ル」ですね。
トマ多し。多く有と云、本名トマタルなるか
トマタロ〔苫多〕(鯡漁)本名トマターヲロにて、トマ取に多しとの儀。此邊今日見るに、如何にも紫氊を敷たる如也。
2023年8月18日金曜日
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2023年8月17日木曜日
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2023年8月16日水曜日
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2023年8月15日火曜日
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2023年8月14日月曜日
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2023年8月13日日曜日
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(三丁廿間)シンシウニコロ(平磯)名義、鍋 の釣の如く曲りし處と云儀。
Shushu-o pe シュシュオペ 柳泉 柳林ノ中清泉湧出ス
Shin riunenkoro, =
Shin ri un enkoro シン リウネンコロ 高崎 直譯高キ地額、○眞龍村ノ原名
永田氏は「シンリウネンコロ。高崎。直訳高キ地額。真竜村ノ原名」と地名解で解いている。松浦地図ではシュンニコロ、また他にシンレウニコロともあって、どれとも決しがたい。
永田氏のいう高い崎であるとすれば、シリ・サネン・コㇽで大地の出鼻が正しいように思う。
永田地名解は「シンリウネンコロ shinri-un-enkoro(高崎)。直訳高き地額。真竜村の原名」と書いた。逐語訳をして見ると,「ほんとうに・高く・ある・鼻」とでも読んだものか? 何だかぎごちない形であるが,一応そのまま書いた。
厚岸駅の西の辺に山崎が湾岸に迫っている処がある。それをエンコロ(enkor 鼻,山崎)と呼んだのであろう。
伊能大図 (1821) | シユンシユンベ | シユンレウコル |
---|---|---|
初航蝦夷日誌 (1850) | シユヽヤ | シンシウニコロ |
竹四郎廻浦日記 (1856) | シンウ? | シンシラニコロ・シンシウニコロ |
午手控 (1858) | シユシユウベ | シンレウニコロ |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | シユヽベ | シユシウニコロ |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | シユンベツ? | シンシウニコロ |
永田地名解 (1891) | シュシュオペ | シンリウネンコロ |
明治時代の地形図 (1897 頃?) | シンリウ子ンコ | シシヨペ |
陸軍図 (1925 頃) | 真龍 | |
Google Map | 厚岸消防署 | 厚岸真龍神社 |
síyus, -i しユㇱ 【H】《雅》大湾。(→虎杖丸,387)。[<si-us]そう言えば、us には「湾」という意味もあったんでしたね。となると si-us-un-enkor で「大きな・湾・そこにある・岬」と読めそうでしょうか(「厚岸湖」に面した岬ではなく「厚岸湾」に面した岬、というニュアンス)。ただ真宗大谷……じゃなくて「シンシウ──」派は松浦武四郎オンリーっぽい雰囲気で、手控の「レ」を「シ」と読み間違えた可能性もありそうな感じが……。
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2023年8月12日土曜日
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門静駅の西北西 2.5 km あたりに尾幌川の旧河道だった可能性のある谷があり、ここを尾幌川が流れていたとすると、ホマカイ川の最下流部がかつては尾幌川だった可能性が出てきます。少なくとも明治の時点では尾幌川の流路は現在の位置にあったため、尾幌川が西北を迂回していた時代は不明です。
ホマカ永田地名解 (1891) には全く異なる解が記されていました。
川口小石多し、川上ひろきよし也。依て号
Homaka-i ホマカイ 後背ノ處 アイヌ云「ホマカイ」ハ分レルコト?homaka ですが、「藻汐草」(1804) には「ホマカノ」という語があり、「去る」あるいは「後、アト」を意味するとのこと。また「アイヌ語千歳方言辞典」(1995) には「ホマカシ」という語が採録されていました。
ホマカシ homakasi【副】【動1】奥の方から(来る)。山の方から(来る);〈反〉ヘマカシ hemakasi。
標茶町の「ホマカイ川」については北海道のアイヌ語地名 (266) 「タンネヌンベ川・オモシロンベツ川・ホマカイ川」でも取り上げているので、ご一緒にポテトもご覧ください。
2023年8月11日金曜日
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。
しかし私は、進まなければならないから先へ進むだけである。夜の宿泊地に到着すると、すぐに横になって休まなければならない。
北日本を旅する人は身体の丈夫な人に限る。
もちろん、この地方に対する私の印象も、それに影響を受けないわけにはゆかない。灰色の霧雨やずぶ濡れの雨で泥まみれになっている村落は、明るい日光に照らされているときよりもはるかに楽しいものではない。
このような気候は今まで三十年間になかったという。
それでも天候は一向に回復の兆しが見えない。北国の道路をよこぎる河川は水量が増して通行できなくなり、痛みのためもあるが、嵐のために当地に閉じこめられている。
「たいそうお気の毒ですが、何度同じことを言っても仕方がありません。私は何もしてあげられないのですから、盲目の按摩さんでも呼んだらどうですか」
日本の町や村では、晩になると毎日のように、男の人〈あるいは人たち〉が歩きながら特殊な笛を低く吹く音を聞く。大きな町では、この音がまったくうるさいほどである。それは盲目の人が吹いている。
しかし盲目の乞食は日本中どこにも見られない。盲人は自立して裕福に暮らしている尊敬される階級であり、按摩や金貸しや音楽などの職業に従事している。
盲人たちは古代には二つの職業組合に形成され、一つは妻が亡くなった悲しみで彼自身泣き暮れて盲目になった天皇の皇子訳注1によって作られ、もう一つは寛大な王子──彼を捕まえたのちも特別の親切さで彼を取扱った──の殺害の誘惑から救われるように自分の目をくり抜いた将軍訳注2によって作られた。
彼らの多くはマッサージ師の仕事に加えて、月に15から20パーセントで金貸し業もしている。
盲目の人の数は大変多く、救貧所や慈善に頼らず、自立して生活しているのを発見するのは大変興味深いものです。日本人におけるこの珍しい種類の金銭上の自立性は極めて大きなものがあり、盲人の経済的自立性は、外国人のあり方からかけ離れている分目立つことです。
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2023年8月10日木曜日
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2023年8月9日水曜日
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2023年8月8日火曜日
2023年8月7日月曜日
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2023年8月6日日曜日
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大別川 (おおべつがわ) 大字太田村の北方から流れ出し,鬼仙鳳趾川などを合わせ別寒辺牛川の右から入る小川。アイヌ語で水の深い川の意か。
ヲホナイやはり「大別川」の ooho は「水かさが深い」ではなく「深く掘れた」が正解っぽい感じですね。
両岸壁に成し由
2023年8月5日土曜日
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チャンベツはアイヌ語のヤワアンペツ(内陸にある川の意)から転化したものという(北海道の地名)。
「角川日本地名大辞典(下巻)」の「北海道参考図書目録」には「北海道の地名 山田秀三 北海道新聞社 昭和59」とあり、草風館版の「復刻版刊行にあたって」には「本書は『北海道の地名』(北海道新聞社、第5刷、1994年刊)を底本とした」とあります。1984 年(昭和 59)版にあった記載が 1994 年版でカットされた……ということなんでしょうか?
チャンペツ
チャンベツ川(地理院・営林署図)
別寒辺牛川は中流部に入る付近で三股になっており、真ん中の川が本流で、左股がチャンペツ川である。
ヤ・アン・ペッ(ya-an-pet 内陸・にある・川)の意でなかろうか。
〔山田北海道の地名〕昭和59年(1984) 山田秀三「北海道の地名」
(四丁)サリヤ(平)、平下しばし(十八丁十五間)ヤワアンベツ(小川)名義、岡川と云、アーは陸の事。此邊小貝多しと。(十一丁)トマタロ〔苫多〕(鯡漁)本名トマターヲロにて、トマ取に多しとの儀。
2023年8月4日金曜日
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