2023年8月27日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1067) 「ルークシュポール」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ルークシュポール

ru-kus-{oo-poro}?
道・通る・{尾幌川}
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
言わずとしれた(?)厚岸町西部の地名です。国道沿いを流れる「ルークシュポール川」と、その南支流で「オタクパウシ川」の西を流れる「ポンルークシュポール川」があり、地理院地図では「ポンルークシュポール川」沿いに「ルークシュポール」と表示されています(字ルークシュポール)。

このあたりは厚岸町と釧路町の境界が未確定なのですが、これはかつての仙鳳趾村が釧路町に含まれていることが影響しているものと思われます。仙鳳趾村の村域は尾幌川水系なので、分水嶺で町境を引けないんですよね。

また不思議なことに「国土数値情報」では「ルークシュポール川」ではなく「ポン尾幌川」となっていて、「ポンルークシュポール川」も「ポンノ沢川」となっています。そのため国土数値情報のデータに準拠している(と思われる)OpenStreetMap では「ルークシュポール川」の存在を確認することができません。

道の通る洞窟? 道の通る入口?

北海道地名誌」(1975) には、「ポンルークシュポール」の項に次のように記されていました。

 ポンルクシュポール 厚岸町尾幌に出るボンノ沢上流の畑作酪農地区。小路の通る洞窟と解されるが不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.670 より引用)
これは pon-ru-kus-poru で「小さな・道・通る・洞窟」ではないか、と言うことですね。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) にも似たような解が記されていました。

 ル・クㇱ・パㇽ(ru-kus-par 道が・通ってい・入り口)の意で、かつてはこの沢筋を通って跡永賀昆布森方面へ出たのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.296 より引用)※ 原文ママ
こちらは poru ではなく par となっていますが、これは地元で「ルークシュポールには洞窟は無い」と言われている(少なくとも地元の人はそう認識している)ことと関係があるかもしれません。

謎の「ルウクシウホロ」

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には、「ヤマコヘツ」(=尾幌川)の源流部に「ヲタコハウシ」(=オタクパウシ川)と「ヲニヲフ」(=オッポロ川の可能性あり)という川が描かれています。

明治時代の地形図で尾幌川の上流部を見ると、「オタクッパウシ」(=オタクパウシ川)の上流に「ルークシュポル」(南支流)「イキタラウシ」(北側の地名)「ウコペツ」などの支流があるほか、上尾幌の周辺には「オサルンペ」「オン子オサルンペ」「ワクカペケレペツ」「ワクカク子ペツ」(いずれも北支流)が描かれています。これらの記録から「東西蝦夷──」は「ヤマコヘツ」(=尾幌川)の源流部の記述が壊滅的に乏しいということがわかります。

一方で下流部は随分と記述が充実している印象があります。こんな時は表にまとめるのがいいんでしたよね。

午手控 (1858)東西蝦夷山川地理取調図 (1859)明治時代の地形図 (1897 頃?)
ヤマコベツヤマコヘツブトオポロペツ(一名ヤマコペツ)
-ウカウフ(北支流)-
-ルウクシウホロ(北支流)-
シラルヲマイ(南支流)シラルヲマナイ(南支流)-
-クツカウシ(北支流)-
トンナイウシ(南支流)トンナイウシ(南支流)-
クトイカウシ(北支流)-クト゚イカルウシ(北岸)
--ロクシ(北岸)
-アタ子モト(北支流)アッタ子モト(北支流)
-シユンクホリ(北支流)-
チヱルイ(南支流)チエルイ(南支流)ツキサニウシ?(南岸)
アタ子モト(北支流)--
ロークシ(北支流)ルウリシ(南支流)-
シユンクホク(南支流)--
シユマヽイ(北支流)シユマヽイ(北支流)シユママイ(北岸)
チリシユニ(北支流)チサシユマ(北支流)-
ニシクルン子(北支流)ニンリルン子(北支流)ユンクルンナイ(北支流)
--チユリンニー?(北岸)
ヲント(南支流)ヲント(南支流)-
カムイルイ(南支流)カムイルイ(南支流)カムイルイ(北岸)
--ルクシエヌシ(北岸)
-アキチヤシ(南支流)-
ホマカ(北支流)ホマカ(北支流)ホマカイ(北支流)
アキチヤシ(南支流)--
サツテクトウ(南)サツテクト(南支流)サッテキトー(南沼)
ヲニヲフヲニヲフ(北支流)オポロマプ?
--ライペツ(北支流)
--フーレペツ(南支流)
ヲタコハウシヲタコハウシオタクッパウシ(南支流)
--ルークシュポル(南支流)
--イキタラウシ(北岸)
--(ヌ)コペツ(南支流)
--オサルンペ(北支流)
--オン子オサルンペ(北支流)
--ワクカペケレペツ(北支流)
--ワクカク子ペツ(北支流)

めちゃくちゃでかい表になってしまってすいません。「午手控」「東西蝦夷山川地理取調図」「明治時代の地形図」の地名・川名をリストアップしたものですが、多少順序に異同は見られるものの、全体的に地名・川名は一致しているように見えます。

ところが、「東西蝦夷山川地理取調図」に描かれた川の中で、「ヤマコベツ」(=尾幌川)河口にほど近いところに描かれている「ウカウフ」と「ルウクシウホロ」だけは該当する川が見当たりません(不思議なことに「午手控」にもそれらしい川の記録がありません)。

そして、この幻の「ルウクシウホロ」は ru-kus-{uhoro} で「道・通る・{尾幌川}」と読めそうな気がします。「尾幌」は oo-poro-pet かもしれないので、「ルウクシウホロ」であれば ru-kus-{oo-poro} となりますね。

道の通る尾幌川(支流)?

増毛郡増毛町(留萌振興局)の東部に「信砂のぶしゃ川」という川が流れているのですが、明治時代の地形図では、この川は「ルークシュヌプシャペッ」と描かれていました。これは ru-kus-{nup-sam}-pet で「道・通る・{信砂}・川」と解釈できるもので、実際にこの川に沿って「信砂越え」のルートが切り開かれたこともありました(ほとんど利用されずにいったん廃道になってしまいますが)。

現在の「ルークシュポール川」沿いには国道 44 号が通っていて、町境にほど近い鞍部を越えると釧路町のチョロベツ川(の支流)に抜けることができます。つまり、「ルークシュポール」は ru-kus-{oo-poro} で、「交通路の通る尾幌川(支流)」という意味だったのではないかと考えています。

幻の「ルウクシウホロ」はどこから来たのか

難点としては「東西蝦夷山川地理取調図」の「ルウクシウホロ」と現在の「ルークシュポール川」の場所が全く異なるというところですが、「東西蝦夷山川地理取調図」では尾幌駅よりも上流側の情報が著しく乏しいことは既に確認した通りです。また「東西蝦夷──」の「ルウクシウホロ」も、尾幌川筋では珍しく他の文献や地図での裏付けの無いものです。

では何故「東西蝦夷──」に「ルウクシウホロ」が *混入* したのだ、という話にもなるのですが、今回表には入れなかった「竹四郎廻浦日記」(1856) に次のような記載がありました。

此処並て又ヤ(マ)コヘツと云川有。(中略)扨此川口より川源迄の小名を聞んと土人を呼出しけるが、此川さして漁業も無れば奥深く入る事なしと。然し土人共の行し丈の処は云ていと懇に教呉ける。字モロシリ、同ヲヽヘツ、サヌシヲホロ、ホロコツ、シユマウシ、シコフミ、ヲシツルクシ、チヱハケ、ウベハケ等に字有て其処小沢、小流有と。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.433-434 より引用)
面白いことに、この記録は「午手控」等々とは異同の多いものです。これは「午手控」以外にも「竹四郎廻浦日記」を認める際の手控(取材メモ)が存在していたことを想起させるもので、その中に「ルウクシウホロ」に近い川のメモがあったのかもしれません。

まぁ何もないところから「ルウクシウホロ」という川名を捏造したと考えるよりは、「ルウクシウホロ」(=ルークシュポール)という川名を聞き書きしたものの、正確な位置を認識していなかった……と考えるしか無いんじゃないかな……と。

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