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このキハ 22 239 は「別海町鉄道記念館」の中から見えていたものですが……、どう見ても、やはり傾いてますよね。
「ホーム」の左右に線路が敷かれていますが、キハ 22 239 側の線路は最小限の長さしかありません。この車輌の自重は 32.9 t らしいので、路盤が車輌の重みに耐えられずに不同沈下を起こしている……とかで無ければ良いのですが……。
そして輝く JR マーク
ホームから車体を眺めます。傷んだ塗装の上をそのまま再塗装したように見える部分もありますが、概して塗装の状態は良さそうに見えます。というか、ぶっちゃけ車齢の高い現役車両よりも塗装の状態は良いのでは……(汗)。「定員 81」の右側に見える跳ね上げタイプのドアは何でしたっけ。トイレのタンクか……と思ったのですが、トイレは標津側にあるみたいなので、となると
車体の中央付近には「キハ 22 239」の文字がペイントされています。サイドボード(通常は行き先などが表示される)は装着されていません。
車体の標津側には「JR」の文字が。標津線が廃止されたのは JR 北海道の発足から 2 年後なので、最後の 2 年間はこのマークをつけた車輌が走っていた……ということになりますね。「R」の右側に見えるドアがトイレのタンク関連かもしれません。
国鉄時代の「たらこ色」こと「首都圏色」に JR のロゴマークというのも時代背景が感じられて良いと思うのですが(民営化直後はカラーリングの大きな変更はなかったので)、わざわざ JR ロゴをつけたままにしたのは民営化してから僅か 2 年で廃止されたことに対する意趣返し……なんてことは無いですよね(きっと車輌を無償提供してくれたとか、その辺の「お礼」の意味がある……と信じてます)。
黄金比?
後部ドアです。ガラスを固定する H ゴムはそれなりに劣化しているようにも見えますが、概して状態は良さそうに見えます。それはそうと、ドアの窓の下にある窪みは何の意味があるんでしょう……?(もしかして強度が上がったりする?)キハ 22 239 の前面部を眺めます。貫通型のよくあるデザインですが、この窓のサイズ(比率)が絶妙なバランスに思えるのは私だけでしょうか。
この「60-10」というのは「昭和 60 年 10 月」なんでしょうか? 実は左下に見える尾灯にしっかり撮影中の姿が映り込んでしまっていて……ヒヤッとしました(ありがとう Firefly ちゃん)。
(尾灯部で Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用)
キハ 22 239 は 1965 年(昭和 40)に宇都宮の富士重工で製造されたとのこと。銘板の上には同じ形をした「JR 北海道」の銘板も装着されています。小首を傾げる感じ
標津側からキハ 22 239 を眺めますが、やはり傾いていますよね。そして逆光が残念な感じなので……ここはウソくさい補正の出番ですね。
連結器の下にはスノープラウが装着されています。除雪車を出すほどではない軽めの積雪は、このスノープラウで排雪してしまおう……ということですね。
ん、なんで自動車にはスノープラウがついてないんだろう……?(ごく小さなフィンがついている場合はありますが) 轍の形成を助長する、ということなんでしょうか?
ドアレールの掃除用?
ホームの反対側に回ってみました。こちら側からはしっかりと車輌の下部も見ることができます。床下部分もしっかりと塗装されてますね。あと「定員 81」の文字の横の小さなドアが開いていますが、そうか、この場所はドアの戸袋でしたね。ドアレールの戸袋部分に溜まったゴミを掃除するためのドアだったのかも。腕木式信号機とのツーショットです。それにしても傾き加減が気になるのですが、これ以上不同沈下が悪化しないと見込まれる場合は、このまま放置されたりするのでしょうか。まあ転倒する危険が無いのであれば、これはこれで面白いのですが……。
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:ノイズ除去、尾灯部への映り込み除去(別途記載)
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