2023年8月13日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1063) 「真竜」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

真竜(しんりゅう)

sin-ri-un-enkor??
大地・高い・そこにある・岬
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
現在「厚岸駅」のあるあたり(厚岸大橋の北側)は、元々は「真龍」という地名で、1872(明治 5)年から 1900(明治 33)年までは「真龍村」という村の名前でした。その後は「厚岸町真龍村」となり、「角川日本地名大辞典」(1987) によると「厚岸町真竜町」として現存する……とありますが、地理院地図には見当たらず、厚岸町の郵便番号の一覧にも見当たりません(「真栄」という住所はあるのですが)。

歴史ある「真龍」という地名も消されてしまったか……と思ったのですが、厚岸駅の 2.2 km ほど西にある四等三角点の名前として健在でした(標高 8.7 m)。この三角点が選点されたのは 1957(昭和 32)年とのことで、当時は「真龍」という地名が生き残っていた……ということになりますね。

「シユンレウコル」と「シユシウニコロ」

伊能大図 (1821) には「シユシユンベ」と「シユンレウコル」と描かれていました(「シユンシユンベ」の三文字目は何故か逆さまに描かれています)。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) では「シユヽベ」と「シユシウニコロ」が並んで描かれていました。

「シンリウ子ンコ」

明治時代の地形図にも「シンリウ子ンコ」と「シシヨペ」という地名が並んで描かれていました。前者は「厚岸消防署」のあたりで後者は「厚岸真龍神社」のあたりですが、面白いことに伊能大図や「東西蝦夷──」と明治時代の地形図では両者の順番は逆になっています。

「東蝦夷日誌」(1863-1867) には次のように記されていました。

(三丁廿間)シンシウニコロ(平磯)名義、シユウの釣の如く曲りし處と云儀。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.325 より引用)

「シンリウネンコロ」

また永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Shushu-o pe   シュシュオペ    柳泉 柳林ノ中清泉湧出ス
Shin riunenkoro, =
 Shin ri un enkoro シン リウネンコロ 高崎 直譯高キ地額、○眞龍村ノ原名
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.351 より引用)

「シリサネンコㇽ」!?

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

永田氏は「シンリウネンコロ。高崎。直訳高キ地額。真竜村ノ原名」と地名解で解いている。松浦地図ではシュンニコロ、また他にシンレウニコロともあって、どれとも決しがたい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.269 より引用)
まだ続きがありまして……

永田氏のいう高い崎であるとすれば、シリ・サネン・コㇽで大地の出鼻が正しいように思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.269 より引用)
え゛。また新しい解釈が……(汗)。

とりあえず「エンコロ」は確定か?

ほぼ失われた地名ではありますが、幸いなことに多くの言及が見られます。山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) には次のように記されていました。

永田地名解は「シンリウネンコロ shinri-un-enkoro(高崎)。直訳高き地額。真竜村の原名」と書いた。逐語訳をして見ると,「ほんとうに・高く・ある・鼻」とでも読んだものか? 何だかぎごちない形であるが,一応そのまま書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.258 より引用)
うーん、確かにぎこちないですよねぇ……。「シンリ」を sinrit で「根」あるいは「先祖」と考えることも可能かもしれませんが、「根のある岬」というのも意味不明ですし……。

厚岸駅の西の辺に山崎が湾岸に迫っている処がある。それをエンコロ(enkor 鼻,山崎)と呼んだのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.258 より引用)
これは同感です。-enkor じゃないか、というのはほぼ全ての記録で共通していますからね。

こんなときは®

今更ですが表にまとめてみましょうか。

伊能大図 (1821)シユンシユンベシユンレウコル
初航蝦夷日誌 (1850)シユヽヤシンシウニコロ
竹四郎廻浦日記 (1856)シンウ?シンシラニコロ・シンシウニコロ
午手控 (1858)シユシユウベシンレウニコロ
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)シユヽベシユシウニコロ
東蝦夷日誌 (1863-1867)シユンベツ?シンシウニコロ
永田地名解 (1891)シュシュオペシンリウネンコロ
明治時代の地形図 (1897 頃?)シンリウ子ンコシシヨペ
陸軍図 (1925 頃)真龍
Google Map厚岸消防署厚岸真龍神社

さて……どうしましょうね(汗)。「真龍」という地名の本命は「シンリウネンコロ」だと思うのですが、「シンシウ──」派と「シンリウ──」派に大別されるでしょうか。よく見ると「シンシウ──」派は松浦武四郎だけかもしれませんが……。

「大きな湾にある岬」??

ヒントを得ようと「地名アイヌ語小辞典」(1956) を眺めていたのですが、siyus で「大きな湾」を意味するとのこと。

síyus, -i しユㇱ 【H】《雅》大湾。(→虎杖丸,387)。[<si-us]
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.125 より引用)
そう言えば、us には「湾」という意味もあったんでしたね。となると si-us-un-enkor で「大きな・湾・そこにある・岬」と読めそうでしょうか(「厚岸湖」に面した岬ではなく「厚岸」に面した岬、というニュアンス)。ただ真宗大谷……じゃなくて「シンシウ──」派は松浦武四郎オンリーっぽい雰囲気で、手控の「レ」を「シ」と読み間違えた可能性もありそうな感じが……。

「高台にある岬」?

似たような感じで多数派かもしれない「シンリウネンコロ」を読み解け無いか考えてみたのですが、sin-ri-un-enkor で「大地・高い・そこにある・岬」と読むしかないかな……と。sin-ri ではなく ri-sir だろうとか、あるいは ri-un ではなく rik-un だろうとか、ツッコミどころは山程あるのですが……。

そもそも山田秀三さんが「何だかぎこちない」とした解釈と大差ないですし、自分でも「それってどうなの」と思ってるんですが……(汗)。

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