2023年8月11日金曜日

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「日本奥地紀行」を読む (150) 大館(大館市) (1878/7/29(月))

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは普及版の「第二十六信」(初版では「第三十一信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

旅の疲れ

豊岡(山本郡三種町)を出発したイザベラでしたが、蓄積した疲労が背骨に来たのか、「毎日七マイルか八マイル以上旅行することができなかった」と記しています。8 マイルは約 12.9 km なので……これは厳しいですね。

しかし私は、進まなければならないから先へ進むだけである。夜の宿泊地に到着すると、すぐに横になって休まなければならない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.282 より引用)
まぁ「進むかリタイアか」という状況だったら、ペースが落ちたとしても進むしか無い……ということですよね。

北日本を旅する人は身体の丈夫な人に限る。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.282 より引用)
まるで「目黒のさんま」のような……。

奔流と泥

イザベラは蓄積した疲労について「やむをえない」としつつ、悪天候によって「疲労が倍加される」と記しています。悪天候はイザベラの体力を奪うだけではなく……

もちろん、この地方に対する私の印象も、それに影響を受けないわけにはゆかない。灰色の霧雨やずぶ濡れの雨で泥まみれになっている村落は、明るい日光に照らされているときよりもはるかに楽しいものではない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.282 より引用)
あー、わかります。やはり天気が良いほうが、その土地の印象も明らかに良くなりますからね。

このような気候は今まで三十年間になかったという。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.282 より引用)
最近は「観測史上初」とか「観測史上最大」と言った表現を良く耳にするようになってしまいましたが、「あれ、昔から?」と思ってしまいますね。そう言えば地球規模の気候変動って、いつ頃から観測されていたんでしょう……?

それでも天候は一向に回復の兆しが見えない。北国の道路をよこぎる河川は水量が増して通行できなくなり、痛みのためもあるが、嵐のために当地に閉じこめられている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.282-283 より引用)
第二十六信(第三十一信)は「大館にて」とあるので、「当地」というのは「大館」のことです。悪天候と河川の増水は既に始まっていて、大館に向かう途中の能代川で、イザベラと伊藤は遭難直前の事態に遭遇していました(後に詳述)。

伊藤の不機嫌

大館で無聊を託っていたのはイザベラだけではなく伊藤も同様で、イザベラに「按摩さん」を呼ぶことを薦めていました。

「たいそうお気の毒ですが、何度同じことを言っても仕方がありません。私は何もしてあげられないのですから、盲目の按摩さんでも呼んだらどうですか」
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.283 より引用)

按摩

そう言えば、ということでイザベラは「盲人」についての話題を始めます。

 日本の町や村では、晩になると毎日のように、男の人〈あるいは人たち〉が歩きながら特殊な笛を低く吹く音を聞く。大きな町では、この音がまったくうるさいほどである。それは盲目の人が吹いている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.283 より引用)
この「特殊な笛」というのは「尺八」のこと……で良いのでしょうか。

しかし盲目の乞食は日本中どこにも見られない。盲人は自立して裕福に暮らしている尊敬される階級であり、按摩や金貸しや音楽などの職業に従事している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.283 より引用)
そうだったのか……と思わせる話ですね。按摩(マッサージ師)というキャリアパスは今も存在しているかと思いますが、「金貸し」や「音楽」というのは認識がありませんでした。

目の不自由な人たちの職業組合

さらに盲人の話題が続きますが、「奥地紀行」としてはオフトピックだからか、普及版ではバッサリとカットされた内容です。「目の不自由な人たちの職業組合」の原題は Guilds of the Blind でした。

 盲人たちは古代には二つの職業組合に形成され、一つは妻が亡くなった悲しみで彼自身泣き暮れて盲目になった天皇の皇子訳注1によって作られ、もう一つは寛大な王子──彼を捕まえたのちも特別の親切さで彼を取扱った──の殺害の誘惑から救われるように自分の目をくり抜いた将軍訳注2によって作られた。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.110 より引用)
うわ、なんだこれ……という話ですが、「訳注1」によると「天皇の皇子」は「光孝天皇の皇子元光太子(雨夜之尊)」とのこと。ただ Wikipedia によると「雨夜あめや尊」は光孝天皇の *同母弟* の「人康さねやす親王」だとあります(皇太子に立てられたことは無さそう)。

人康親王は出家後に法性と号し、四ノ宮(京都市山科区)に隠棲したとのこと。この「四宮しのみや」という地名は人康親王が仁明にんみょう天皇の第四皇子だったことに由来するという説もあるのだとか。

「訳注2」のほうも気になるところですが、「悪七兵衛景清」こと「平景清」(藤原景清)だとのこと。だとすると「寛大な皇子」は「大日房能忍」のことかもしれないのですが、どう見ても「皇子」では無いので……謎ですね。

彼らの多くはマッサージ師の仕事に加えて、月に15から20パーセントで金貸し業もしている。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.111 より引用)
ふわああ、トイチとまでは行かないものの、相当な高利ですよね……。本業?のマッサージについても、イザベラは「タバコと風呂上がりの後のマッサージは国民的贅沢となっていて、いかに貧しくてもそれなしでは済まされない」として、その施術は「ハワイのロミロミに匹敵する」と記しています。

伊藤はイザベラに「按摩さん」を薦めていましたが、本人もちょくちょく「按摩さん」のマッサージを受けていたとのこと。伊藤は日々の給料以外にも「コミッション」でがっつり稼いでいた(要するに上前をはねていた)ので、「按摩さん」を頻繁に呼べるだけの財力があったのでしょうね。

盲目の人の数は大変多く、救貧所や慈善に頼らず、自立して生活しているのを発見するのは大変興味深いものです。日本人におけるこの珍しい種類の金銭上の自立性は極めて大きなものがあり、盲人の経済的自立性は、外国人のあり方からかけ離れている分目立つことです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.111 より引用)
「目の不自由な人」に対しては真っ先に「福祉」の必要性を想像してしまうのですが、盲人がある種の特権階級的存在だった……というのは驚きですよね。

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