2023年8月10日木曜日

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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (82) 「28 年目の JR 標津線代替バス」

 

国鉄標津線・西春別駅跡に設けられた「西春別」バス停の「西春別駅前待合所」の中をチラッと覗いてみましょう。
(右下で Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用)
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

入口には何故か「出会いの家」との文字が。「上西春 3 年」とあるのはバス停のすぐ近くにある「別海町立上西春別中学校」のことでしょうか。ただ中学校のすぐ隣には「別海町立上西春別小学校」もあるので、あえて「上西春」としたのは何故なんでしょう(もしかして:小中学校合作?)。
右側のドアの上には短歌が掲げられています。国鉄 JR 標津線が廃止されたのは 1989 年ですが、「出会いの家」の額は 1997 年でこの短歌は 1999 年と、若干のタイムラグがあります。

待合所

中に入ってみると……おお、普通に「待合所」ですね。
壁にはバスの時刻表が掲出してあるのですが、このスタイル、鉄道駅の時刻表とそっくりですよね。行き先が「標茶」と「標津」なのは最高に紛らわしいですが、それもあってか「標茶駅」という表現にしているのでしょうか。
あと「接続関係・その他」の欄に運休日しか書かれていないのも面白いかも……? バスと鉄道を乗り継いで釧路に行く人が少なくなった、ということでしょうか。

時刻表の横には地元の中学生が描いた絵が飾られていました。

JR 標津線代替バス

出入口のドアには「ダイヤ改正のお知らせ」が貼られていました。標津と標茶を結ぶ系統は 5 往復ですが、別に計根別と中標津の間の区間系統が 3 往復あるんですね。
それはそうと、1989 年に廃止された JR 標津線の「代替バス」という表現が 2017 年にも生き残っているというのは感慨深いですね。
それでは、待合所の隣にある「別海町鉄道記念館」に向かいましょう。「西春別駅前待合所」と「別海町鉄道記念館」の間は 30 m ほど離れているのですが、歩道には屋根が設けられています。至れり尽くせりですね……!

西春別スケートリンク

歩道の向こうに見えるのが「別海町立上西春別中学校」で、その左隣に見えるのが「別海町立上西春別小学校」です。ところで、手前に見える小さな物置のようなものは何なんでしょう。駅の遺構のようにも見えますが……?(信号設備とか?)
「鉄道記念館」の裏には真っ白なオーバルトラックが見えますが……
このオーバルトラックは「西春別スケートリンク」とのこと。冬場は水を撒いて一晩寝かせたらスケートリンクに早変わり!ということなんでしょうね。真っ白なのは日射熱をなるべく溜め込まないように、ということでしょうか。

何故離れた場所に……

「鉄道記念館」の前にやってきました。
「鉄道記念館」の横には蒸気機関車などが静態保存されています。
そして、何故かこんなところにバス停が……。どうやら別海町が運営しているコミュニティバスみたいですが、何故阿寒バスと離れたところにバス停を設置したのか……?(大人の事情があったんでしょうか……?)
「鉄道記念館」の建物の脇には、これまた謎の顔出しパネルが。「②」とあることは、町内の何箇所かに似たような顔出しパネルがある……とかでしょうか? 別海町、広いからなぁ……(汗)。
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:ノイズ除去、周辺部の拡張(別途記載)

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