2023年8月5日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1060) 「チャンベツ川・セタニウシ・サッテベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チャンベツ川

ya-wa-an-pet??
陸のほう・に・ある・川
(?? = 記録未確認、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広大な「別寒辺牛湿原」を有する「別寒辺牛川」は、中流部で東から「トライベツ川」が合流し、そのすぐ下流側で西から「チャンベツ川」が合流しています。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしい名前の川が見当たりませんが、明治時代の地形図には「チヤンペツ」と描かれています。

地名としての「──チャンベツ」は上流部の標茶町側にあり、「中チャンベツ」では国道 272 号と道道 14 号「厚岸標茶線」が交叉しています。

「陸のほうにある川」

「角川日本地名大辞典」(1987) の「中チャンベツ」の項には次のように記されていました。

チャンベツはアイヌ語のヤワアンペツ(内陸にある川の意)から転化したものという(北海道の地名)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1036 より引用)
ほほう……。ya-wa-an-pet で「陸のほう・に・ある・川」では無いかと言うのですね。この解だと斜里郡小清水町の「止別」と同型……ということになりそうでしょうか。

この「北海道の地名」とあるのは山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) を指している筈ですが、不思議なことに手元にある草風館版にはそれらしき言及が見当たりません。

「角川日本地名大辞典(下巻)」の「北海道参考図書目録」には「北海道の地名 山田秀三   北海道新聞社 昭和59」とあり、草風館版の「復刻版刊行にあたって」には「本書は『北海道の地名』(北海道新聞社、第5刷、1994年刊)を底本とした」とあります。1984 年(昭和 59)版にあった記載が 1994 年版でカットされた……ということなんでしょうか?

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

チャンペツ
チャンベツ川(地理院・営林署図)
 別寒辺牛川は中流部に入る付近で三股になっており、真ん中の川が本流で、左股がチャンペツ川である。 
 ヤ・アン・ペッ(ya-an-pet 内陸・にある・川)の意でなかろうか。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.298 より引用)
ya-an-pet で「陸のほう・ある・川」では無いかとのこと。うーん、これも同じとは言えないものの、かなり大筋で似た解釈ですね。「道東地方のアイヌ語地名」の「参考及び引用文献」を見ると……

〔山田北海道の地名〕昭和59年(1984) 山田秀三「北海道の地名」
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.6 より引用)
あー、やはり 1984(昭和 59)年版ですね……(もっとも、鎌田さんが「チャンペツ」の解で「北海道の地名」を参考にしたとは明記していない点は注意が必要ですが)。

もうひとつの「ヤワアンベツ」

ちょっと気になるのが「東蝦夷日誌」(1863-1867) に次のように記されていることで……

(四丁)サリヤ(平)、平下しばし(十八丁十五間)ヤワアンベツ(小川)名義、岡川と云、アーは陸の事。此邊小貝多しと。(十一丁)トマタロ〔苫多〕(鯡漁)本名トマターヲロにて、トマ取に多しとの儀。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.324 より引用)
「苫多」は門静の南西の地名で、「サリヤ」は尾幌分水の北あたりの海沿いの崖だと考えられます。となるとこの「ヤワアンベツ」は現在の「沖万別」あたりを指していた可能性がありそうでしょうか。

捨てがたい「陸のほうにある川」説

「チャンベツ」という音からは cha-an-pet で「柴・ある・川」あたりの可能性もありそうだな……と思っていました。別寒辺牛川の支流の中では焚き火に使える細枝が拾いやすい川だったのかな……と考えてみたのですが、これだけの規模の川のネーミングとして適切か? と言われると、そう言われてみれば……

「出典が未確認」という致命的な弱点があるものの、ya-an-pet で「陸のほう・にある・川」説はなかなか魅力的な仮説です。実は小清水町の「止別」も ya-wa-an-pet ではないかと言われているのですが、これを「網走から見て手前のほうにある川」とする考え方があります。

「チャンベツ川」も本流の「別寒辺牛川」に引けを取らない規模の川で、厚岸、あるいは釧路側から見ると(別寒辺牛川よりも)「手前のほうにある川」と言えなくも無いな……と。「チャンベツ」というネーミングが相対的なロケーションを指すものだった可能性もあるんじゃないかな、と。

セタニウシ

setanni-us-i
エゾノコリンゴ・多くある・ところ
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地理院地図には、チャンベツ川の南、道道 14 号「厚岸標茶線」の東側に「町営セタニウシ牧場」とあります。「セタニウシ」という地名も現役のようですが、Wikipedia によると 2015 年の時点で常住人口 0 人とのこと。

明治時代の地形図では、現在「下チャンベツ川」と呼ばれる川の名前として「セタニウシ」と描かれています。どうやら元々は川の名前だった可能性がありそうです。

「セタニウシ」は道内各所に存在する地名で、setanni-us-i で「エゾノコリンゴ・多くある・ところ」と考えられます。

サッテベツ川

sattek-pet?
夏やせする・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
別寒辺牛川を横断する道道 813 号「上風連大別線」の南側を流れて、別寒辺牛川の下流部で西から注ぐ支流の名前です。「サッテベツ」という地名も現役のようですが、ここも Wikipedia によると 2015 年の時点で常住人口 0 人とのこと。

サッテベツ川の北(道道よりも北)には「サツテベツ」という四等三角点があります(標高 59.5 m)。不思議なことに「サツテベツ」三角点の 3 km ほど西北西にも「去天別さてんべつ」という名前の四等三角点が存在するのですが、面白いことに「去天別」三角点は「サッテベツ川」の流域ではなく、北隣の「チャンベツ川」の流域にあります。

明治時代の地形図を見てみると、現在の「サッテベツ川」の位置には「オイワケウシ」とあり、「去天別」三角点の東を流れる川(現在の「1号川」)が「サツテペツ」となっていました。陸軍図には現在と同じ位置に「サッテベツ川」と描かれているので、明治から大正の間に川名がうっかり移転してしまったっぽい感じですね。

謎の「オイワケウシ」

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

オイワケウシ
サッテベツ川(地理院・営林署図)
 チライカリベツ川口から上流4.5キロ付近を、北西側から下流で分岐して別寒辺牛川に流入している。
 永田地名解は「オイワケウシ?追分の和名なるべし」と記してあるが、そのとおりなんともわからない地名である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.298 より引用)
あ。うっかり見落としていましたが、確かに永田地名解 (1891) の p.358 にそう書いてありますね。「神様が住まうところ」という意味の kamuy-ewak-i という地名がありますが、この ewak と意味を同じくする oriwak という語があるそうです。

oriwak-us-i であれば「住まう・いつもする・ところ」となりそうですが、田村すず子さんの辞書によると「oriwak オリワㇰ は動物が巣くうことにも言う。」とのこと。ヒグマか、あるいは何らかの動物が住む場所だったのかもしれません。

「夏やせする川」

本題に戻りますが、鎌田さんの文章には続きがありまして……

地理院図の地名はサッテク・ペッ(sattek-pet やせる・川)の意で、川が夏になって水がかれて細々と流れている状態をさしている。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.298 より引用)
sattek-pet で「夏やせする・川」ではないか……という点については同意です。ただ本来の「サッテベツ川」はチャンベツ川の南支流の「1号川」だった可能性がある(その可能性が高い)ので、その点に注意が必要ですね。

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