2023年7月22日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1056) 「瑠美・トキタイ川・御供」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

瑠美(るみ)

mokoriri-o-i???
タニシ・多くいる・ところ
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
東梅川中流部に西から飛び出た形をしている高台にある四等三角点(標高 22.6 m)の名前です。三角点にたどり着く道が現存しないらしく、秘境度が半端無さそうなところですが……。

手元の地図を見た限りでは「瑠美」という地名らしきものは確認できません。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には厚岸湖岸の地名として「モマリル」と描かれているのですが、これは「トウハイ」(=東梅川)と「トウキタイ」(=トキタイ川)の間に描かれているので、「瑠美」三角点とは少し位置が異なります。

午手控 (1858) の「アツケシ海岸地名の訳覚書」には次のように記されていました。

bコリルイ
 つぶが有るよしなり。モコリはになの名也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.350 より引用)
また頭注には次のように記されていました。

b モコリ 螺・蜷。
巻貝の総称
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.350 より引用)
ふむふむ。ということで裏付けを得るべく知里さんの「動物編」(1976) を確認したところ……

§ 228.エゾバイの類 (Buccinum spp.)
(1) mokoriri《美〔巻貝・ホラ貝〕,幌〔ツブ〕》エゾバイの類(Buccinum spp.)
(2) mokoriri《美》タニシ。皮のつるつるしたツブ(タニシ? ビ IX, 75)
A snail. Periwinkles. Whelks. The name of any kind of whelk-shaped shell(B)
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.127 より引用)
あ。(B)とあるということは……

Mokoriri, n. A snail. Periwinkles. Whelks. Jap. Maimaitsuburi. Tsubu. Nemuri-tsubu. 蝸牛。田螺。眠螺。
(ジョン・バチェラー「蝦和英三對辭書」国書刊行会 p.144 より引用)
言い回しがびみょうに異なりますが、これが元ネタっぽい感じでしょうか。「タニシ」の類を意味する mokoriri という語があるんですね。

となると「モコリルイ」は mokoriri-o-i で「タニシ・多くいる・ところ」である可能性が出てくるでしょうか。この mokoriri-o-i が略しに略された上に「イ」が「ミ」に転訛して「瑠美」になった……という仮説はどうでしょう。いつも以上に強引な推論ですが、まぁ一つの可能性の提示ということで。

トキタイ川

to-kitay
沼・奥
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸湖の東岸に注ぐ川の名前です。川の流域は「厚岸町登喜岱ときたい」で、〒088-1102 という郵便番号も設定されているのですが、果たして登喜岱に居住する人がどれだけいるのか……。Wikipedia によると

2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている。
(Wikipedia 日本語版「厚岸町」より引用)
あー、やはり……。ちなみに陸軍図にはトキタイ川の北に「風澗」という地名が描かれているのですが、この「風澗」という地名は影も形もありません。ただ、すぐ近くまで「風澗林道」が通っていて、林道の名前として健在のようです。

閑話休題それはさておき。トキタイ(登喜岱)ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トウキタイ」と描かれています。「初航蝦夷日誌」(1850) には「トキタイ」とあり、午手控 (1858) の「アツケシ海岸地名の訳覚書」には次のように記されていました。

トキタイ
 沼中に一ツの出岬有。其上をこへるをいう
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.350 より引用)
ちょっと謎な感じなので、永田地名解 (1891) も見ておきましょうか。

To kitai   トー キタイ   沼頭
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.352 より引用)
あー、随分といい感じになってきましたね。to-kitaykitay ですが、知里さんの「──小辞典」によると……

kitay, -e(H)/he(K)キたィ 頭のてっぺん;山の頂(nupuri-kitay)。川の水源(nay-kitay)。沼の奥(to-kitay)。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.49 より引用)
ということなので、「沼の頭」は「沼の奥」と読み替えると、より分かりやすいでしょうか。今回は to-kitay で「沼・奥」としておきましょう。

御供(おそなえ)

o-so-nay???
河口・滝・川
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸町奔渡の市街地の後背に聳える山のあたりの地名です。何故今頃出てきたのかと言うと……見落としてました(汗)。「消滅集落」のリストに出てきて「あっ」と気づいたわけでして……。常住人口ゼロですが郵便番号の設定があるのも「厚岸町登喜岱」と同じで、「厚岸町御供」の郵便番号は 〒088-1117 とのこと。

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 御供 (おそない) 奔渡町と若竹町の間の山の上の畑地。御供型の砦趾による。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.672 より引用)
「御供型」とは何だろう……と思ったのですが、「角川日本地名大辞典」(1987) を見てみると……

町名の由来は鏡餅の形状に似たお供山による。昭和44年4基のチャシが厚岸お供山砦跡として道指定の史跡となる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.295 より引用)
あっ、そういうことですか。ここまでの話を見る限り、どう見ても和名由来にしか思えないのですが、ところが明治時代の地形図を見てみると、現在の「奔渡川」の位置に「オソーナイ」と描かれている……んですよね。

「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にも「ヲソナイ」とあり、「竹四郎廻浦日記」(1856) にも次のように記されています。

並にヱトルンペ、イクイラウシ、ツカンコタン、ヲン子ナイ、ヲソナイ、ヲヤコツ、此所昔は七軒有しが今は漸二軒(イコナバ家内三人、岩吉家内五人帰俗者)。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.435 より引用)
ややこしいことに、現在の「御供山」のあたりはかつて「ヲヤコツ」と呼ばれていたとのこと。こんな時はタウンp表にしてしまうのが良いんでしたよね。

竹四郎
廻浦日記
東西蝦夷
山川地理取調図
永田地名解 (1891) 明治時代の地形図現在の地名
ヱトルンペエトルンベエト゚ オロ ペエト゚オロペ(川)-
イクイラウシ--イクエラウシ(川)イクラウシ川
---ポンシユマナイ(川)-
ツカンコタン-チ カラ コタンチカラコタン(川)奔渡七丁目
-タン子ヘサンタンネ ピサシホホカルウシ(崖)-
ヲン子ナイヲン子ナイ(川)オンネ ナイオソーナイ(川)奔渡川
-チカラコタン---
ヲソナイヲソナイオソー ナイ-奔渡六丁目?
-トツテヘサントㇷ゚ エサシ
又 トプビサシ
--
-ヲツム子ナイ(川)イチンネ ナイ--
-ラシカンル(川)ラシュ カン ルー--
ヲヤコツヲヤコツオヤ コッ-御供

表からいくつかの点が見えてくるのですが、まず「東西蝦夷山川地理取調図」と「永田地名解」のリンク率が高いというところでしょうか。そして「オソーナイ」が明治時代の地形図で東に移転している可能性がありそうに見えます。

また、この表を見る限り「御供」と「オソーナイ」は無関係のようにも見えますが、「北海道地名誌」にも「おそない」とあり、「オソーナイ」と「おそない」の間に何らかの関連があったと考えても不自然では無いように思えます(もちろん偶然の一致という可能性も多分にありますが)。

永田地名解には次のように記されていました。

Osō nai   オソー ナイ   川尻ノ瀑
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.353 より引用)
確かに o-so-nay で「河口・滝・川」ですが、一般的には o-so-un-nayo-so-oma-nay となるケースが多いでしょうか。これは「オソーナイ」のアイヌ語起源を否定するわけではなく、単に -un あるいは -oma などが略された可能性がある、という話です。

「鏡餅型の山」を「御供山」と呼んだ……というのも十分説得力のある話なのですが、「オソーナイ」という名前がフラフラっと流れ着いたと見ることも可能ですし、あるいは現在の「奔渡四丁目」と「奔渡五丁目」の間の谷が「オソーナイ」と呼ばれていた……と考えることも実は可能だったりします。

ここまで散々「あーでもない、こーでもない」と記してきましたが、現時点の印象では 6:4 くらいでアイヌ語由来の可能性が高いんじゃないかなぁ、と。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事