2023年7月16日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1055) 「奔渡・イクラウシ川・東梅(厚岸町)」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

奔渡(ぽんと)

pon-to
小さな・沼
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸大橋の南、厚岸湖に面した道道 123 号「別海厚岸線」沿いの地名です。明治時代の地形図にも「奔渡」とあります。1872(明治 5)年から 1900(明治 33)年までは「奔渡村」で、1900(明治 33)年に厚岸町と合併してから 1916(大正 5)年までは「大字奔渡村」だったようです。

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 奔渡町(ぽんとちょう)厚岸湖南岸の町区。ポントはアイヌ語の小沼の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.672 より引用)
まぁそんなところでしょうね。ちなみに続きがありまして……

明治13年にはこの地に官営かき缶詰所がおかれ,同21年ころまで続いたので俗にこの地はカンヅメと呼ばれたという。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.672 より引用)
ほう。カンヅメ、なんか別の意味も見いだせそうな気も……(汗)。

「ポントはアイヌ語の小沼の意」の裏付けを取るべく「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) を眺めてみたのですが、厚岸町奔渡のあたりにはそれらしい地名が見当たりません(崖しか描かれていない)。あれ……と思って午手控 (1858) の「アツケシ海岸地名の訳覚書」を見てみたところ……

○ノテト
 本名ノツイト 岬の鼻也
ヲントニ
 小沼有るによって
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.352 より引用)
どうやらこの「ヲントニ」が「奔渡」なのかもしれません。ちなみに「ノテト」は厚岸大橋の南側あたりらしく、「ヲントニ」の先は「ヘトヱ」「ホ子コヱ」「ノサウシ」「トマリ」「バラサン」(=バラサン岬)と続いています。厚岸湖側(東側)ではなく海側(西側)の地名という扱いのようですね。

「東西蝦夷山川地理取調図」でも「ヲントニ」は海側(西側)の地名として描かれていますが、ご丁寧にも沼(入江かも)が描かれています。明治時代の地形図では既に沼(入江?)らしきものは確認できませんが、このあたりにかつて沼、あるいは入江があったということでしょうか。

やはり奔渡は pon-to で「小さな・沼」で、理由は不明ですが海側(西側)から厚岸湖側(東側)に移転したと見るべきかもしれません。「ヲント」ではなく「ヲントニ」なので、もしかしたら pon-to-ne で「小さな・沼・のような」と言った意味だったのかも……?

pon-tunni で「小さな・柏の木」という可能性もありそうですが、「東西蝦夷──」にわざわざ沼らしきものが描かれているので、やはり沼と考えるべきかな……と。

イクラウシ川

yuk-iraye-us-i??
それ(鹿)・殺す・いつもする・ところ
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸町奔渡の東、厚岸町東梅とうばいのあたりで厚岸湖に注ぐ川です。明治時代の地形図では「イクエラウシ」と描かれているように見えます。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

 イクラウシ
 厚岸湖南岸の畑地、アイヌ語イキタラ・ウシで笹の多いところの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.270-271 より引用)
ふむふむ。ikitara-us-i で「チシマザサ・多くある・ところ」ではないか……ということですね。違和感の無い解です。

陸軍図には「イクイラウシ」という地名が描かれていました。ikuyra は「尾行する」という意味らしいので、ikuyra-us-i であれば「尾行する・いつもする・ところ」となるでしょうか。でも、これまで聞いたことの無い解ですし、ちょっと意味不明な感じが……。

「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしき地名が見当たらないのですが、「竹四郎廻浦日記」(1856) には次のように記されていました。

並てホロンタイ、トキタイ、此所より東海岸ヒハセ(へ)道有と聞り。並にヱトルンペ、イクイラウシ、ツカンコタン、ヲン子ナイ、ヲソナイ、ヲヤコツ、此所昔は七軒有しが今は漸二軒(イコナバ家内三人、岩吉家内五人帰俗者)。此所蛎島の南に当て会所より後に当る。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.435 より引用)
ここでも「イクイラウシ」ですね。また「東蝦夷日誌」(1863-1867) にも次のように記されていまして……

トウバイ(沼の源也)、エトルンベ(小澤)岬とさきの潟にて、ウトルウシベにて間の儀。タンネベサン(小岬)、イクイラウシ(小岬)、鹿取る儀也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.329 より引用)
うーむ……。「イクイラウシ」は「鹿を取る」という意味だと言うのですが、これは yuk-iraye-us-i で「鹿・殺す・いつもする・ところ」あたりでしょうか。あるいは i-ku=raye-us-i で「それ(鹿)・私は殺す・いつもする・ところ」かもしれませんが、これだと「イクウシ」になりそうな気も……。

更科さんの「チシマザサ」説も違和感のない解ではありますが、「イキタラウシ」が「イクイラウシ」に化けたと考えるよりも「ユクイライェウシ」あるいは「イクライウシ」が「イクイラウシ」に化けたと考えるほうが、なんとなく自然な感じがします。

東梅(とうばい)

to-paye
沼・山手に入る
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸湖の南東の地名で、同名の川も流れています。同名の「東梅」という地名は根室市にもありますね。

明治時代の地形図には「トーパイ」という名前の川が描かれていました。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にも「トウハイ」と描かれていて、古い地名がそれほど変化なく残っているように思えます。

何故か「竹四郎廻浦日記」(1856) には記載がありませんが、「東蝦夷日誌」(1863-1867) には次のように記されていました。一部は再掲になりますが引用すると……

モコリルイ(小川)つぶがある故なづく。トウバイ(沼の源也)、エトルンベ(小澤)岬とさきの潟にて、ウトルウシベにて間の儀。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.329 より引用)
また永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Tō pa-i   トー パイ   沼頭ノ處 根室國「オンネトー」ニ「トーパイ」アリ沼行クノ義ナリトアイヌ云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.352 より引用)
うーん、確かに to-paye だと「沼・行く」と読めるんですよね。

アイヌ語千歳方言辞典」(1995) にヒントとなりそうな記述がありました。

アラパ arpa 【動1】(単)パイェ paye(複)。行く。(川や道筋などが)伸びている;一般に、話者の視点の位置から別の位置に移動することを表わすが、山手一浜手という方向軸に沿って移動する場合には、山手の方向に進む場合にしか用いられない。浜手に向かう場合にはサン san「下りる」が用いられる。
(中川裕「アイヌ語千歳方言辞典」草風館 p.21 より引用)
ふむふむ、san の対義語だと考えるとわかりやすいですね。paye は単に「行く」と言うよりは「山手に入る」と考えるべきなのでしょう。ということで to-paye は「沼・山手に入る」と読めそうでしょうか。

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