2023年7月8日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1052) 「床潭・アイニンカップ岬」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

床潭(とこたん)

to-kotan
沼・集落
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸末広まびろの西北西に位置する地名で、同名の沼もあります。沼の南は砂浜が広がっていますが、砂浜の南東部には漁港も整備されています。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トコタン」と描かれています。のっけから余談ですが「トコタン」と「ヒリカヲタ」(=ピリカオタ)の間に「エンカルウシ」という地名が描かれていて、これは inkar-us-i で「見張る・いつもする・ところ」と読めそうですね。

本題に戻りますが、「初航蝦夷日誌」(1850) にも「トコタン」とあり、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

又山の平まゝしばし平磯
     トコタン
と云り。此上に小さき沼有るが故に号るとかや。本名トウコタンと云よし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.548 より引用)
どうやら to-kotan で「沼・集落」では無いかとのこと。「トコタン」も道内のあちこちで見られる地名で、tu-kotan で「廃・集落」と解釈できる場合もあるのですが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

To kotan   ト コタン   沼村 此ハ「ト゚コタン」即廢村ノ意ニアラズトアイヌ云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.354 より引用)
あー、ちゃんとフォローが入っていましたね。やはり to-kotan で「沼・集落」と見て良さそうです。

アイニンカップ岬

aynu-inkar-pe??
人(男)・見張る・もの(ところ)
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
床潭の西に位置する岬の名前です。頂上付近には「床潭平とこたんだいら」という名前の四等三角点(標高 83.0 m)があります。

「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「アエニシカフ」という名前の岬が描かれています。伊能大図 (1821) には「アイニイカツフ岬」とあり、明治時代の地形図では「アエニンガㇷ゚崎」「アイネンカツフ岬」などなど……バラエティ豊かですね(汗)。

愛冠あいかっぷ」と「アイニンカップ」

現在、地理院地図では「アイニンカップ岬」と表示されていますが、この岬から 2.2 km ほど北西に「愛冠あいかっぷ岬」があります。また随分と紛らわしいネーミングだなぁ……と思うのですが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

並びて
     アイニンカツフ
同じく大岩海中に突出す。是もアイカツフと同名同意なれども、其地のまぎらはしきが故に如此呼なしたりとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.548 より引用)
あああ、やはり「紛らわしい」ですよね……。「アイカツフ(=愛冠岬)と同名同意」とありますが、午手控 (1858) には次のように記されていました。

アヱニンカッフ 上え矢を射かけしが、届かずしておち
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.353 より引用)
そして「アヱカツフ」(=愛冠岬)の項には次のように……

アヱカツフ
 上まで矢を射たるに、其上まで届かざりしより号るなり
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.353 より引用)
要はどちらも aykap で「できない」(=届かない)ではないかとのこと。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Aeningap   アエニンカㇷ゚   矢達セヌ處 アイヌ云矢ヲ放ツモ山ノ半腹ニ落チテ山頂ニ達セズ故ニ名クト
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.354 より引用)
ふむふむ……。ただ aykap であれば理解できるものの、間に入った「ニン」の意味がどうにも良くわかりません。

「ニン」はどこに消えた

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていたのですが……

 アイニンカップ岬 築紫恋と床潭の間の岬。アイヌ語で「矢の消える上のもの」となるが意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.671 より引用)
ほうほう……。nin にそんな意味があるのかな、と思って調べてみると、「アイヌ語沙流方言辞典」(1996) に次のように記されていました。

nin ニン【自動】減る。(消費して減ることでなく、それ自身縮んで小さく/かさが少なくなることを言う。野菜、雪、水、月などについて言う。)
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.417 より引用)
また「厚岸なのに沙流方言は無いだろう」とのツッコミ多数と思われるので「釧路地方のアイヌ語語彙集」も見てみたのですが、残念ながら nin という語は見つからず。

ただ「地名アイヌ語小辞典」(1956) にも次のように記されていて……

nin  にン 《完》減る; しみこむ; 消える。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.66 より引用)
また久保寺逸彦アイヌ語・日本語辞典稿」(2020) にも「nin v 消える,融ける (樺太)」とあるので、実は割と広いエリアで使われていた語の可能性もありそうです。ただ「消失する」と言うよりは「小さくなる」というニュアンスのように思えるので、「矢が小さくなる」というのは……ちょっと意味不明な感じが。

「アイヌを見張るところ」?

結局「アイニンカップ」の「ニン」の意味は分からずじまい……ということで、これは何か根本的に勘違いしているような気がしてきました。ここで思い出したのが「東西蝦夷──」で「ヒリカヲタ」の近くに「エンカルウシ」と描かれていたことで、「アイニンカップ」が「もう一つのエンカルウシ」だった可能性は無いかなぁ、と。

ただ ar-inkar-pe で「もう一方の・見張る・もの(ところ)」だとした場合、「アリンカルペ」という発音は「アイニンカップ」とは隔たりが大きいように思えます。

では aynu-inkar-pe で「人(男)・見張る・もの(ところ)」だったらどうでしょう。これだと「アイニンカルペ」になるので「アイニンカップ」にも近づいたような気がします。アイニンカップ岬は、床潭の浜を見張るのにも絶好の位置なんですよね。

この説の難点は「厚岸に和人が入ってから成立した地名」だと考えられる点ですが、元は ar-inkar-pe だったものが aynu-inkar-pe に変化し、いつしか「アイニンカップ」になった……と考えることも不可能ではないかな、と。

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