2023年6月24日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1048) 「琵琶瀬・渡散布」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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琵琶瀬(びわせ)

pipa-sey?
カワシンジュガイ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
霧多布の南西、嶮暮帰島の西に位置する地名で、同名の川も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヒハセイ」と描かれています。

秦檍麿の「東蝦夷地名考」(1808) には次のように記されていました。

一ビバセイ
  ヒバは蠣の名、セイは介の通称。此處の海底おりおり産す。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.33 より引用)
上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」(1824) にも次のように記されていました。

ビバセイ
  夷語ピバセイとは蛎貝の事。扨、ビバとは蛎の事。セイは貝の惣名にて、此所蛎貝の多くある故、此名ありといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.66 より引用)
「初航蝦夷日誌」(1850) にも「ヒハセ」とあり、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」にも次のように記されていました。

行まゝ
     ビ ワ セ
今此ワタラチロフヽの番屋を、ビワセの番屋と云なり。地名ビバセーなるべし。ヒハセーは蚌の事なり。此処の川蚌多きによつて号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.552 より引用)
どれもほぼ同じ……ですよね。pipa は「沼貝」で sey は「貝殻」だと思っていたのですが、「釧路地方のアイヌ語語彙集」によると sey は「貝」とのこと。「蚌」は「どぶがい」あるいは「からすがい」なのですが、松浦武四郎は pipa-sey をまとめて「蚌」と認識していたようです。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Piba sei   ピバ セイ   貝殼アル處 古此處ニ「アイヌ」村アリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.355 より引用)
見事にここまでの貝を、じゃなくて解を踏襲していますね。pipa-sey というのは地名としては少々妙な感じもするのですが、-us-i あたりが省略されたとすれば問題無さそうに思えます。

「ピパ」とは何?

pipa については、田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」(1996) に次のように記されていました。

pipa ピパ【名】[動物]「沼貝」(貝の名)。〔知分類 p. 121 長万部 ホロベツ 川シンジュ貝 p. 122 ナヨロ カワシンジュガイ 幌 カラス貝 カキ ハルトリ、モシオ、拾 カラス貝 ハルトリ p. 123 河貝 アバシリ〕{E: name of a shell found in swamps.}
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.529 より引用)
なんか呪文のようになってますが、これは知里さんの「動物編」(1976) の内容をコンパクトにまとめたもの……ですね。「拾」が少々謎ですが、これは「蝦夷拾遺」のことのようです(「動物編」の p. 321-322 にちゃんと纏めてありました)。

本題に戻って pipa ですが、春採(釧路市)で「牡蠣」あるいは「カラス貝(=カワシンジュガイ)」と認識されていたようです。また「動物編」によると pipa-sey で「カワシンジュガイ」を意味するとあるので、「牡蠣」あるいは「カワシンジュガイ」と見るべきなんでしょうね。

あれ、図らずも松浦武四郎の解釈に一致してしまいましたね……(いつの間に?)。

渡散布(わたりちりっぷ)

watara(-us)-chir-o-p?
岩礁(・ある)・鳥・多くいる・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
琵琶瀬から 5 km ほど南西に位置する海沿いの地名です。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ワタラチロフ」と描かれていますが、現在の「ロウソク岩」の西の断崖あたりを指しているように見えます。

現在の「渡散布」の集落のあるあたりは、「東西蝦夷──」では「ヲタノシケ」と描かれているように見えます。「ヲタノシケ」は ota-noske で「砂浜・中央」と見て良さそうですね。

岩礁の名前か、それとも陸地の名前か

この「ワタラチロフ」ですが、どうやら本来は岩礁の名前だったようで、伊能大図 (1821) には「ワタラウシチロツプ岩」という岩礁が描かれています(現在の「窓岩」のことだと考えられます)。

まずは「ワタラチロフ」が岩礁の名前なのか、それとも陸側の名前なのか……という点を問題にしたいのですが、「初航蝦夷日誌」(1850) には次のように記されていました。

余は是より海岸通り、道甚不宜候得共見物之事なれば左りの方陸道行けるニ、砂浜の通り岩石浜を越て
     ワタリチロフ
へ出る。番屋有。此処迄ヒロ(ハ)セより壱り也。又此処前ニ小じま有。越而
     ワタリチロフ
此海岸故則此名を島の名ニ用ゆ。周廻凡十丁と見ゆ。草少し生汐満れば隠るゝ也。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.448 より引用)
なんとなく「『ワタラチロフ』は岩礁の名前なのか、それとも──」という問いに対する答が記されているように見えますね。松浦武四郎は岩礁が「ワタリチロフ」の沖にあるので島(岩礁)の名前に流用した……と認識しているように思えます。

戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

少し行、また少しの岩岬をこゆるや、左りは砂浜まゝ、また右のかたに
     ワタラチロツフ
 此岩島二ツ並び有り。廻り凡五六丁と思はる。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.551 より引用)
今度はあっさりと「渡散布」の位置についての不明点が明らかになりました。「東西蝦夷──」では「ロウソク岩」の西の断崖のあたりに「ワタラチロフ」と描かれているようにも見えたのですが、やはり砂浜のあるあたり、つまり現在の「渡散布」が「ワタラチロツフ」だったことになりそうです。

ワタラは岩島等の事也。よつて号るなり。左り砂浜まゝしばし過る哉、陸のかたにワタラチロフヘツといへる川一ツ有。其上に少しの谷地有て赤楊欝叢たりと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.551 より引用)
「ワタラは岩島等の事なり」とありますが、「地名アイヌ語小辞典」(1956) にも watara で「海中の岩」を意味するとあるので、間違いなさそうでしょうか。

伊能大図には岩礁の名前として「ワタラウシチロツプ岩」とありましたが、「ワタラウシ」は watara-us と読めるので「岩礁・ついている」と解釈すべきに思えます。となると岩の名前に「ワタラウシ」というのはあり得ない……ということになりますね。やはり「ワタラウシチロツプ」あるいは「ワタラチロツプ」は陸地側の地名と見るべきでしょう。

「チロプ」か「チュルプ」か

このあたりは「──散布ちりっぷ」という地名がやたら多く、「渡散布」以外に「養老散布」「火散布」「藻散布」「丸山散布」などのバリエーションがあり、永田地名解 (1891) にも次のように記されています。

Mo churup     モ チュルプ     アサリノ小沼
Shi churup     シ チュルプ     蜊ノ大沼
Watara churup   ワタラ チュルプ   岩側ノ蜊
Ioro churup    イオロ チュルプ   海中ノ蜊
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.355 より引用)
永田方正は「散布ちりっぷ」は churup で「アサリ」だとしています。知里さんの「動物編」(1976) にも次のように記されています。

(8) ciúrup(チウルㇷ゚ [<ci-uri-p(↑)]《美》アサリ
 cf. ciurup-sey とも,尚約めて curup 地名解 355(厚岸),チルップ(拾),シュルップ(モシオ;エゾゴセン)
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.124 より引用)
これらの地名群について、山田秀三さんは次のように記していました。

 地名一般のつけ方から考えれば,大きい火散布沼の辺であさり貝が採れるかしてチウルㇷ゚という地名ができ,それが小さい火散布沼にも使われ,岩場の処や,漁場(イオロ)の処の名にも使われるようになったのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.256 より引用)
ふむふむ……と思わせるいつもながらの名調子ですが、一方で更科源蔵さんは次のような見方を示していました。

永田氏はチュルプはのことであると述べている。この地方ではたしかにあさりはチルップ(われらの掘りだすもの)というが、渡散布のワクラ(海中の岩)や養老散布のイオロ(それをひたすということであるが、エオルであれば山が崖になって水にささっているところをいう)とあさりとの結びつきがきわめて不自然である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.272 より引用)
うわー、私が感じていた違和感がまさにそれ!でした。ここまでの解をよーく見ると、伊能忠敬や松浦武四郎は「チロフ」あるいは「チロツフ」としていて、「チュルプ」と言い出したのは(おそらく)永田方正が最初なんですよね。

「鳥のいるところ」かも?

では更科さんはどう考えたのか……という話ですが、

散布は鳥川、鳥沼ともとれるが疑問の地名として置く。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.272 より引用)
あー、やはり。「チロフ」あるいは「チロツフ」という表記からは、chir-o-p で「鳥・多くいる・ところ」と読めるんですよね。「渡散布」であれば watara(-us)-chir-o-p で「岩礁(・ある)・鳥・多くいる・ところ」となるんじゃないかと。

実は「午手控」(1858) にもこんなことが書いてあって……

モチロッフ むかし鷲さめ等を取て商売する処のよし。老人に成るまて居りしが故也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 三」北海道出版企画センター p.353 より引用)
まぁ、この説明が地名解であるとは断定できないのですが、「鳥のいるところ」が商売の種になっていた(=地名になり得る)と言えるかもしれないなぁ、と……。本来は両論併記すべき内容かもしれませんが、「アサリ」説が随分と有名になってるので、今回はあえて「鳥」説一本で……!

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