2023年6月17日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1046) 「霧多布・湯沸」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

霧多布(きりたっぷ)

ki-ta-p?
茅・刈る・ところ
kit-ta-p???
前頭(島)・切る・もの
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)(??? = 記録なし、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浜中暮帰別の東に位置する陸繋島で、浜中町の中心地です(役場などが存在する)。暮帰別と霧多布の間は「霧多布大橋」で結ばれているので、霧多布は「有人島」だと強弁することもできそうな気がするのですが、まぁ霧多布と暮帰別を隔てているのは海と言うよりは「運河」ですからね……。

などと言いつつ、明治時代の地形図には「霧多布島」とあるんですけどね。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にも「霧多布」は島として描かれていて、島の地名として「シレナイ」「キイタツフ」「トウフツ」などが描かれていました。霧多布は南北で海に面した立地ということもあり、風待ちの港として古くから重宝されてきたようです。

「蚊が飛びまくったので」説と「茅の森」説

秦檍麿の「東蝦夷地名考」(1808) には次のように記されていました。

一 キイタプモシリ
 キイは蚊の名。タプはタプカリの下略の語とみゆ。タフカリは舞躍の名なり。按するに夏秋、蚊群り飛をおどると見て云習わせたる地名成へし。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.34 より引用)
「キイタプ」は「蚊が群れをなして飛び回るから」という説のようですね。一方で上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」(1824) には次のように記されていました。

キイタプ
  夷語キイタプとは茅森と譯す。扨、キイとは茅の事。タプとは森の様なる山の事にて、此嶋樹木無之、茅の繁りて森の形状なる故、嶋の「かく」となす「くる」由。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.66 より引用)
「蚊が飛びまくるから」と比べると随分と穏健な解になりましたね。

「キツネが踊る」説と「矢柄用の茅」説

松浦武四郎の「初航蝦夷日誌」(1850) には次のように記されていました。

キヱタツフ。訳而踊奔の語なるべし。又聞ニキヱタツフは島の端の踊るがごとしと云こととも云り。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.447 より引用)
あれ……? また「踊りまくってフィーバーDAZE☆」な解に戻っちゃってますね。ただ戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」では若干トーンダウンしていて……

其訳矢柄に用る茅が有ると云儀。キイは蘆荻の事也と。また一説狐が踊ると云事も古く云伝えぬ。何れが是なる哉。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.553 より引用)
今度は「狐が踊る」と来ましたが、tapkar が「踏舞」だとすると「キツネ」は ki あるいは kii と考えるべきでしょうか。知里さんの「動物編」(1976) には「キタキツネ」あるいは「きつね」を意味する語として (1) čirónnup, (2) sumári, (3) kimótpe, (4) húrep, (5) húrep-čironnup, (6) sitúmpe, (7) páykarmatumpe, (8) sákkimotpe, (9) kemákosnekur, (10) kemátunaskur, (11) sekúma-sarkes-wa-ača-ne-kamuy, (12) sikúma-kes-unkamuy, (13) ké(y)sasi-koro-kamuy, (14) čáwčaw の 14 種類が列挙されていました。ki あるいは kii に近いのは kimótpe あたりでしょうか。kimotpe-tapkar 略して「キタップ」というのは……流石に苦しいような気もしますが。

無難な「茅を刈るところ」説

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ki ta-p   キタㇷ゚   茅ヲ刈ル處 「ピブウシ」ニ「アイヌ」村アリシトキ此島ニテ茅ヲ刈リシト云フ○霧多布村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.359 より引用)
「ピブウシ」がどこなのか不明ですが、概ね無難なところに来ましたね。茅を刈る理由は戊午日誌にある通りで、刈った茅を矢柄として使用するとのこと。「蚊が飛びまくるから」を除けばおおよそ方向性は合致しているように思えます。

「島を切るもの」説

ただ……ちょっとモヤモヤするというか、若干「これって本当かなぁ」という疑問が残るんですよね(いつもの悪い癖)。「霧多布島」の特徴的な形を無視した実務的なネーミングだよ、というところが引っかかるんです。

前頭ぜんとう」を意味する kip という語があるのですが、地名では稜線からちょこんと飛び出た山で見かける印象があります(「イルムケップ山」みたいな)。霧多布島は海沿いなのでベースとなる稜線は存在しませんが、海岸線からちょこっと飛び出たと考えると共通点がありそうに思えます。

ということで、kip-ta-p で「前頭(島)・切る・もの」ではないかと考えてみました。kip が「霧多布島」だとすると、それを「切る」ものは「霧多布大橋」の南北を流れる運河……となるかと。

「いやいや『キㇷ゚タップ』じゃなくて『キータップ』なんですけど」と思われるかもしれませんが、知里さんの「アイヌ語入門」(1956) を見てみると……

 (5) 破裂音の同化 北海道の北東部(北見釧路・十勝など)の諸方言において,‘k’ ‘t’ ‘p’ が隣りあったばあい,前のものが後のものに同化してしまう。
  opke(放屁〔する〕)> okke
  popke(煮たつ)> pokke
  hotke(寝る)> hokke
  apto(雨)> atto
  rek-te(鳴らす)> rette
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.175 より引用)
このロジックを適用すれば、kip-ta-pkit-ta-p になるんですよね。ついでに言えば永田地名解の ki-ta-p よりも kit-ta-p のほうが発音が「キータップ」に近くなるんじゃないかなぁ、とか……(いやまぁ「キッタップ」になるんでしょうけど)。

湯沸(とうふつ)

to-putu
海・口
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浜中町霧多布の東、島の高台部分の地名……という認識でいいでしょうか?(誰に聞いている) 霧多布島(半島?)の東端は「湯沸岬」ですが、地理院地図では「湯沸岬(霧多布岬)」となっています。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

 湯沸(とうぶつ)
 ト・プッは沼の入口の意。ここは湯沸岬のところで沼がないので、古い時代海をトといったので入江の入口という意味であったかもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.273 より引用)
湯沸とうふつ」が岬の名前か、それともその手前の地名か……という点が気になるところですが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

 扨此島の北面に
     ハエキシヤニ
 是島根少しの砂浜有る処、浜中と対してうつくしき処なり。また南え廻りて
     トウブツ
 是南岸一ツの湾にして、少しの砂浜有。其両岸簇々たる高岩、また南え出岬、号て
     シレトヱ
 是一ツの大岩の出岬。是よりまた東え廻りて、沖に一ツの岩島有
     エタシベヱソウ
 と云。大岩畳重りて一ツの(島)をなしたり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.553-554 より引用)
「此島」とあるのが「キイタツフ」(=霧多布島)のことで、「トウブツ」は「南岸の湾」だとしています。また「シレトヱ」という岬があるとしていますが、霧多布島には岬状の地形が少なくとも三つはあり、「シレトヱ」がどの岬を指すのかは読み取れませんでした。

「エタシベヱソウ」は「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) に「エタシヘエシヨ」と描かれた島(岩)のことで、おそらく現在の「帆掛岩」のことだと思われます。「湯沸岬」の北東の沖合に「帆掛岩」と「黒岩」という岩があるのですが、「シレトヱ」が「湯沸岬」だとすると、「東え廻りて、沖に一ツの岩島」という表現が奇妙に思えてしまいます。

「シレトヱ」の位置も気になるところですが、閑話休題それはさておき。「トウブツ」の位置が現在の「湯沸川」のあたりでは無いか、という見立てについては間違い無さそうに思えます。更科さんの「古い時代海をトといった」というのも大胆な仮説のように思えますが、実は「地名アイヌ語小辞典」(1956) にもこんな風に記されていました。

to と(とー) 沼;湖。──古くは海をも云ったらしく,北海道の山中の忌詞では海を to と云い,樺太の祈詞や古謡では海の風を「とーマゥ」to-maw(トーの風)と云う。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.129-130 より引用)
ふむふむ。「海の風を to-maw と云う」というのは説得力のある傍証ですね。今回の「湯沸とうふつ」についても更科さんの解のように to-putu は「海・口」と考えるべきかもしれません。

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