2023年5月20日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1038) 「熊牛・円朱別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

熊牛(くまうし)

kuma-us-i?
魚乾棚・ある・もの(川)
kuma-us-i?
横山・ついている・もの(川)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
姉別川の上流部、浜中駅の北あたりに位置する地名です。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には現在の「左支姉別川」(姉別川の北支流で、アイヌの流儀で言えば *右* 支流)の南支流として「クマウシ」という川が描かれていますが、明治時代の地形図には姉別川の南支流として「クマウシ」が描かれています。位置に異同こそあれ、川の名前として認識されていたと見て良さそうです。

「熊牛」という地名は十勝の清水町南弟子屈にもあるのですが、どちらも kuma-us-i だと考えられます。

ほかに「熊碓」や「熊臼」なども含めると、道内のあちこちにあると言えそうですね。あ、「熊石」もそうだったかも。

「魚乾棚」か「横山」か

ただ地名における kuma は二通りの解釈が成り立ちそうな感じです。知里さんの「──小辞典」によると……。

kuma  クま ①両方に柱を立ててその上に横棒を渡し,それに肉をかけて乾す施設;肉乾棚。②横山。この語はクワ(杖)と同じく本来は棒の意味であった。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.53 より引用)
要は「肉乾棚(魚乾棚)」を指す場合と、「肉乾棚(魚乾棚)のような山」を指す(比喩表現)場合があるとのこと。個人的には(地名においては)比喩表現だったケースもそれなりに多そうな印象があるのですが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

       アネペツ右支
Kuma ushi   クマ ウシ   魚棚アル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.372 より引用)
また「北海道地名誌」(1975) にも次のように記されていました。

 熊牛原野(くまうしげんや)浜中市街北方の広い畑作酪農地区。アイヌ語「クマ・ウㇱ」は,魚を乾す竿の多いことで豊漁の意味。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.678 より引用)
うー。ここまでズバっと言い切られてしまっては逃げ道が無いですね。明治時代に「クマウシ」と呼ばれた川は、国道 44 号が「熊牛橋」で渡っている川で、現在の名前は「横山川」とのこと。え゛っ!

よりによって「横山川」

「地名アイヌ語小辞典」(1956) にも kuma には「魚乾棚」という意味と、そこから転じて「横山」という意味がある……とありました。「魚乾棚」でほぼ決まりか……と思われたのですが、よりによって川の名前が意訳の可能性があるということに……。

kuma-us-i は「魚乾棚・ある・もの(川)」と考えられますが、kuma-us-i で「横山・ついている・もの(川)」の可能性も捨てられなくなってしまいました。

国道 44 号沿いは目立った山らしい山も無く、ずっと台地が続くような印象がありますが、熊牛川の上流部は台地を深く刻み込んでいるようにも見えます。これを「横山」と呼んだ……という可能性もありそうですが、単に「横山さん」が入植・開拓した可能性もあるので……。

円朱別(えんしゅべつ)

{kom-ni}-us-pet
{柏の木}・多くある・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浜中町熊牛の北西、(風蓮川の南支流である)ノコベリベツ川の *東側* 一帯の地名です(ノコベリベツ川の西、西支流である「三郎川」の西に「西円朱別」という地名あり)。まぁ「──別」という位ですからきっと川名由来の地名ですよね。ということで「北海道地名誌」(1975) を見てみると……

 円朱別(えんしゅべつ)熊牛原野の西北部畑作酪農家が点在する広い区域。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.678 より引用)
は……? え? えっ?(かつてない焦りぶり)

手がかりがまったく見えてこないので、ちょっとアプローチを変えてみましょうか。実は「円朱別」という三等三角点があるのですが(標高 64.6 m)、「浜中町茶内西八線」に位置しているっぽいのですね。三角点はノコベリベツ川の *西* にあり、西支流の「丸佐川」と「オラウンベツ川」の間あたりに存在する……と言えそうなのです。

改めて明治時代の地形図を見てみると、現在「丸佐川」と呼ばれる川が「エムシッペ」と描かれていました。そして良く見ると「丸佐川」の上流部が「西円朱別」でした。理由は不明ですが「丸佐川」の流域が何故か「茶内」に取り込まれてしまって、何故か川向いに「円朱別」がお引越ししてしまった……ように見えます。

どうやら「円朱別」は「エムシッペ」だと思われるのですが、「エムシ」と言えば「刀剣」を意味する上に、「エムシペ」で「刀の中身」を意味するとのこと。となると「円朱別」は「刀の中身」を意味する……というのは、流石に無茶がありますよね。

「コムニウシヘツ」→「コムニウヘシ」→「エムシッペ」

さてどうしたものか……という話ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) をよーく見てみると「ノコヘリヘツ」(=ノコベリベツ川)の上流部に「ヲラウンナイ」という川が描かれていました。この「ヲラウンナイ」が現在の「オラウンベツ川」(=ノコベリベツ川上流)だとすると、現在の「丸佐川」に相当する位置に「コムニウヘシ」と描かれているように見えます。

「竹四郎廻浦日記」(1856) にも次のように記されていました。

十六日。霽。大風起る。出立す。是よりまた槲の木立をしばし行、
     シユフンナイ
     ヘンシユフンナイ
     (中略)
     ホンヘンシユブンナイ
     コムニウシヘツ
     サツテクヲラウンベツ
     ヲラウンヘツ
此辺も前に言ごとく何れも小川有。皆末流はフウレン湖へ落る也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.433 より引用)
「東西蝦夷──」と照らし合わせてみると、「シユフンナイ」(supun-nay)の支流が「ヘンシユフンナイ」(pen-supun-nay)と「ホンヘンシユブンナイ」(pon-pen-supun-nay)で、「シユフンナイ」は現在の「三郎川」だと推察されます。そして「東西蝦夷──」に「コムニウヘシ」とあった川が「コムニウシヘツ」であるように見えます。

「コムニウシヘツ」は {kom-ni}-us-pet で「{柏の木}・多くある・川」と読めますね。「竹四郎廻浦日記」にも「槲の木立をしばし行」とありますが、「槲」も「かしわ」なので裏付けが取れた、とも言えそうです。

それにしても「コムニウシヘツ」が「円朱別」に化けるというのも、なかなか難易度が高いような……。

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