2023年4月30日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1033) 「初田牛」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

初田牛(はったうし)

apa-ta-us-i??
戸・そこに・ある・もの
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室市西部の地名で、かつて JR 根室本線(花咲線)にも同名の駅がありました。ということでまずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  初田牛(はったうし)
所在地 根室市
開 駅 大正9年11月10日 (客)
起 源 アイヌ語の「ハッタラウシ」、すなわち「オ・ハッタラ・ウシ」(川口にふちのある所) から出たもので、現在も川口が深いふちとなっている。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.157 より引用)
ところが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Hat ta ushi   ハッ タ ウシ   葡萄ヲ採ル處 厚岸村アイヌ村田紋助云フ「ハッタウシ」ハ葡萄ヲ採ル處ノ義ナリト今此説ニ從フ根室郡穂香村アイヌ村田金平ハ「ハッタラウシ」ニテ淵ノ義ナリ古夷「フーラリチエプ」(方言キウリ魚)ヲ取リタル淵ナリト云フ然レ𪜈未タ「ハッタラ」ノ下ニ「ウシ」ノ詞ヲ加ヘタルヲ聞カズ紋助ノ説是ナルニ似タリ○初田牛村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.360 より引用)
またか……という感じですね。永田方正が既存の説を「違う、そうじゃない」として新説を唱えたものの、広く受け入れられることなく忘れ去られた……というパターンに見えます。実際、更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」(1982) にて次のように記していました。

オ・ハッタラ・ウㇱ(川口が淵になっている所)からでたという。またこの川と並んでいる流れを、松浦地図にハッタウシとあり、永田氏も葡萄をとる処と訳し、これは厚岸のアイヌ太田紋助にきいたとある。現在はこの流域は伐り開かれ勿論一本の葡萄もない、付近の人の話では昔からなかったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.274 より引用)
永田方正は「厚岸村アイヌ村田紋助云う」と記していましたが、これはどうやら「太田紋助」の間違いのようですね。「村田金平」とごっちゃになった可能性がありそうです。

更科さんは「一本の葡萄もない、付近の人の話では昔からなかったという」としていますが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名 (1995) 解」にも次のように記されていました。

永田氏は前者を採ったが、根室市史によると「昔から葡萄なんてみたことがないと村人はいう」とある。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.356 より引用)
ということで、やはり hattar-us-i で「淵・ついている・もの(川)」と読むべきかなぁ、と思ったのですが……。

「初田牛」=「アフタウシ」?

ところが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」を眺めていて妙なことに気づきました。

下るや
     ヲワタラウシ
是も前に似たる如き小湾にて、両岸峨々たる出岬。ヲワタラは立岩磯と云儀。過て又九折を上り五六丁過て下り
     アフタウシ
此処両岸峨々たる岬、其間転太浜小川有。アフタは鈎を作る儀のよし。釣をするや魚多く得る義にて号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.560-561 より引用)
「初田牛川」の西隣に「和田牛川」が流れていて、地理院地図では「和田牛川」の河口の近くに「ヲワツタラウシ」と記されています。どうやら戊午日誌の「ヲワタラウシ」は現在の「和田牛川」河口あたりと見て良さそうでしょうか。

根室には花咲港の東にも「オワッタラウシ川」があるのでややこしいですが……。

「ヲワタラウシ」が「和田牛川」ということは、「アフタウシ」が「初田牛川」ということになります。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヲワタラウシ」という川と「ハツタウシ」という地名が描かれていますが、明治時代の地形図では「オワタラウシ」だけが描かれていて、現在の初田牛川は無名の川という扱いです。

初田牛に「淵」はあったか

更科さんは永田地名解の hat-ta-us-i で「山ぶどうの実・採る・いつもする・ところ」説を否定して o-hattar-us-i で「河口・淵・ある・もの(川)」だとしましたが、この解釈にも若干の疑問が残ります。疑問点を列挙すると……
  1. 地理院地図を見る限り、初田牛川の下流部は湿原状となっていて、淵があるようには見えない
  2. 地理院地図を見る限り、初田牛川の河口には砂浜が描かれていて、淵があるようには見えない(但し河口の東側には砂浜が描かれていないため、淵がある可能性はある)
ついでに言えば、o-hatta-us-i というネーミングは「和田牛川」のほうが当てはまりそうな気がするんですよね(かなり小さな淵に注いでいるように見えるので)。ただそうなると「初田牛」は「和田牛川」に由来し、「東西蝦夷山川地理取調図」の「ハツタウシ」とは一切関係ない……という意味不明なことになってしまうのですが。

「ハッタウシ」か「アフタラシ」か

また、戊午日誌「東部能都之也布誌」に「アフタウシ」とあったことも注意が必要です。ap-ta-us-i で「釣り針・作る・いつもする・ところ」では無いかと言うのですが……。

面白いことに、秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」(1808) には次のように記されていました。

一 ヲワタラウシ
 ワタラは海邊の巌也。名義未考。
一 アプタラウシ
 アフはつり針。タラは垂。ウシは生也。鉤を垂るゝによき處と云語なり。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.34 より引用)
ちょっと出遅れた感もありますが、表にまとめてみました。

現在名初田牛川和田牛川
東蝦夷地名考 (1808)アプタラウシヲワタラウシ
大日本沿海輿地図 (1821)(伊能大図ハフタウシ岬-
蛾夷地名考幷里程記 (1824)-ヲワタラウシ
初航蝦夷日誌 (1850)ハウタラシヲワタラウシ
戊午日誌 (1859-1863)アフタラシヲワタラウシ
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ハツタウシヲワタラウシ
永田地名解 (1891)ハッ タ ウシオワタラ ウシ
明治時代の地形図-オワタラウシ
陸軍図初田牛-
地理院地図初田牛川和田牛川

かなり意外な感じがしますが、「ハッタウシ」の初出は永田地名解東西蝦夷山川地理取調図だったんですね。そしてノイズのように思われた「アフタラシ」という記録も、実は類例がいくつかあったことに気付かされます。

「戸・そこに・ある・もの」説

「アフタラシ」は apa-ta-us-i で「戸・そこに・ある・もの」と読めそうな気がします。初田牛川は河口の近くでクランク状に曲がっているのですが、このことにより河口から上流部が見通せなくなっています。

道北の中川町に「安平志内あべしない」という川があるのですが、この川も中流部に大きくせり出した山があり、下流側から上流部を見渡すことができなくなっています。このことから「安平志内川」は apa-us-nay で「戸・ついている・川」ではないかと思っているんですが、「初田牛川」も同じではないか……という考え方です。

また apa-tarara で「戸を・閉める」という意味になるとのこと。東蝦夷地名考の「アプタラウシ」は apa-tarara-us-i だった可能性もある……かもしれません。

この考え方の最大の難点は ap- ではなく apa- だというところですが、原義が忘れ去られたとともに転訛した(因果関係が逆かも)と考えるしか無い……かなぁ、と。

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