2023年4月29日土曜日

「日本奥地紀行」を読む (145) 土崎港(秋田市) (1878/7/26)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、普及版の「第二十五信」(初版では「第三十信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

休日の光景

久保田(秋田)に四日ほど滞在したイザベラは、ようやく北に向かって旅を再開した……と思ったのですが……

 三マイルにわたり、りっぱな道路は、歩いたり人力車に乗ったりした久保田の人たちで半分近くも混雑していた。馬にひかれる赤い荷車、二人連れで人力車に乗っている警官、背に負われてゆく何百人という子どもたち、さらに何百人も歩いている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.275 より引用)
イザベラ一行は羽州街道を北西に向かったと思われるのですが、この日はちょうど夏祭りだったようです。

広々とした水田が緑の海のように右手に続いている。左手には青緑色の水を湛えた海がある。久保田の灰色の屋根の波が、緑に囲まれて浮かんで見える。深い藍色をした太平山が、南の視界を遮っている。すばらしく上天気で、夏の太陽はすべてに光を注いでいる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.275 より引用)
詩的な光景ですが、太平山は久保田(秋田)の市街地から見て東北東に位置している筈なので、「南の視界を遮っている」というのはちょっと謎な感じもします。また、羽州街道の左に見えるのは雄物川の河口で、厳密には海では無いのですが、さすがにこの指摘は無粋だったでしょうか。

祭り

夏祭りは土崎の港(現在の秋田港)で行われていたようです。

男も女も子どもも、荷車も人力車も、警官も乗馬者も、今祭りをやっている港へみな急いでいる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.275 より引用)
現在の土崎は秋田市の北西部という扱いですが、1941 年に秋田市に編入されるまでは「土崎港町」という独立した町でした。秋田駅の近くには「久保田城」がありましたが、土崎港の近くには奈良時代に「秋田城」が築かれていて、土崎港は「秋田城」への物資の補給に活用されたとのこと。

秋田城は「久保田城」と「土崎港」の中間あたりに位置するということもあり、一体化した町を「秋田」と呼んだというのは、ある種の先祖回帰のようなものだったのかもしれません。

港は久保田の荷揚げ港で、このみすぼらしい町では神明シンマイ(天照大神)という神の誕生日を祝って祭りをしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.275-276 より引用)
ところでイザベラ姐さん、いきなり「みすぼらしい町」ですか……(汗)。それはそうと、土崎港について Wikipedia の記事を見ていたのですが、「土崎港」の概要には次のように記されていました。

毎年7月に、土崎神明社の例祭であり国の重要無形民俗文化財に指定されている勇壮な祭り「土崎神明社例祭」(土崎港曳山まつり)が行われる。
(Wikipedia 日本語版「土崎港」より引用)
ふわー、「土崎神明社例祭」とありますね。イザベラはこの「神明」を「天照大神」だとしていますが、確かに土崎神明社の祭神は「天照大神」とのこと。イザベラ姐さんのリサーチ能力は相変わらず冴えていますね。

お祭り騒ぎの魅力

もっとも、何故これだけの祭が行われる日に出発することにしたのかは、謎というかリサーチ不足のような気もするのですが、祭があるならついでに見物しておこうか……というレベルで考えていたのでしょうか。

ただ、混雑した街道を人力車でスイスイ~と移動しよう、という考えはやはり無謀だったようで、イザベラは徒歩での移動を余儀なくされます。

 人力車がそれ以上進めなかったので、私たちは車から降りて群集の中にわけ入った。群集は狭い通りの中をぎゅうぎゅう押しあっていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276 より引用)
この日の羽州街道は空前の賑わいを見せていたと思われるのですが、イザベラの手にかかれば……

貧弱な茶屋や店先の並ぶあわれな街路ではあったが、人があふれて街路そのものは見えないほどだった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276 より引用)
「貧弱な茶屋や店先の並ぶあわれな街路」ですか(汗)。いやまぁその通りなのかもしれませんけど、なんか個人的に恨みでもあるんじゃないですか……? あ、人力車での移動を断念させられたのを恨んでいたとか……?

猿芝居や犬芝居の小屋があり、二匹の汚い羊と一匹のやせ豚を、群集が珍しそうに見ていた。日本のこの地方では、これらの動物は珍しいのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276 より引用)
「猿芝居」と「犬芝居」で「羊」と「豚」……? と思ったのですが、どうやらこれは私の読み違いのようで、「猿芝居」(時岡敬子さんの訳では「猿回し」)や「犬芝居」と「羊や豚の見世物」が並行して行われていた、ということみたいですね。

三十分ごとに女が観客に首を切らせる小屋もあった。料金は二銭。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276 より引用)
は……? と思ったのですが、原文を見てみると……

a booth in which a woman was having her head cut off every half-hour for 2 sen a spectator;
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
流石に 30 分ごとに殺人が繰り返される……ということではなさそうですが、まぁ品のない「出し物」ですね……。

神社のような屋根をつけた車の行列があって、四十人の男たちが綱で引いていた。その上で上流階級の子どもたちが踊りをしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276 より引用)
ん、これは祇園祭みたいなヤツですかね……?

正面の開いている劇場があり、その舞台には昔の服装をした二人の男が長い袖を下まで垂れて、退屈になるほどゆっくり古典舞踊を演じていた。これは退屈なしぐさで、主として長い袖をたくみに動かし、ときどき強く足を踏み、ノーという言葉をしわがれ声で叫ぶ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276 より引用)
これは歌舞伎か、それとも能か……? 「退屈になるほどゆっくり」という表現からは、どことなく能のような雰囲気もあるのですが……?

イザベラは祭の露店について、次のように記していました。

子ども崇拝は猛烈なもので、あらゆる種類のお面や人形、いろいろな姿に固めた砂糖、玩具、菓子類が、地面に敷いた畳の上に売り物として並べられている。日本では、どんな親でも、祭りに行けば子どもに捧げるための供物を買うであろう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.276-277 より引用)
あー、露店の雰囲気は今もそんなに変わらないような……。そしてお祭りの日は親の財布の紐が緩くなるというのも昔からのお約束だと思うのですが、イザベラは「日本では」特にこの傾向が強い……と感じたようです。そう言われてみれば、平時は抑圧的な生活で、ハレの日に羽目を外す傾向があるのかもしれませんが、これは一長一短のような気も……。

 警察の話では、港に二万二千人も他所から来ているという。しかも祭りに浮かれている三万二千の人々に対し、二十五人の警官で充分であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.277 より引用)
このあたりのリサーチ能力は流石ですね。おそらく通訳兼アシスタントの伊藤があること無いことを吹聴して情報を仕入れていたのだと思われますが……。それにしても「土崎神明社例祭」のクライマックスとイザベラの旅程がぶつかったのは意図的なものだったのか、それとも本当に偶然だったのか……?

イザベラは土崎港の街並みを「みすぼらしい」として、また「貧弱な茶屋や店先の並ぶあわれな街路」などと悪罵の限りを尽くしていたようにも見えますが……

私はそこを午後三時に去ったが、そのときまでに一人も酒に酔っているものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。私が群集に乱暴に押されることは少しもなかった。どんなに人が混雑しているところでも、彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.277 より引用)
ん、イザベラは警察官に護衛されていたということでしょうか。イザベラはどんな手を使ったのか、久保田(秋田)の市街地を訪問する際に警察の護衛を受けていましたが、土崎神明社例祭でも護衛が続いていた……ようにも見えますね。

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