2023年3月31日金曜日

石北本線ほぼ各駅停車 (18) 「西留辺蘂・金華信号場」

特別快速「きたみ」は留辺蘂を出発しました。駅を出発してしばらくの間は、留辺蘂の市街地の中を走ります。

西留辺蘂駅(A55)

一見、何の変哲もない風景ですが、西留辺蘂駅を通過中です。各駅停車……したかったんですが、こればかりはどうしようも無く……。
留辺蘂駅と西留辺蘂駅の間は僅か 2.0 km しかありません。JR も何を考えてこんな近くに駅を作ってしまったんだ……などとあらぬ誤解をしてしまったのですが、Wikipedia によると……

北海道留辺蘂高等学校への通学に利用するという地元の要望で請願駅として2000年に開設された。
(Wikipedia 日本語版「西留辺蘂駅」より引用)
あー……そういうことでしたか。留辺蘂高等学校は国道 39 号の南、国道 242 号の西に位置していて、西留辺蘂駅からは 0.9 km ほどの距離です。ちなみに留辺蘂駅には南口が無いという事情もあってか、高校までは徒歩だと 2.0 km ほど、チャリだと 2.4 km ほど走る必要があったようです(Google マップ調べ)。

ここだけの話ですが、仮に留辺蘂駅に南口が存在したと仮定すると、高校までの距離はチャリで 1.4 km に短縮されます。なので西留辺蘂駅を設置する代わりに留辺蘂駅南口を整備する……という選択肢もアリだったような気もするのですが、駅周辺に結構な数の民家が存在する、というのも隠れた理由としてあったのかな、と思わせますね。

JR 北海道もこの「請願駅」を無下にはしていないようで、西留辺蘂駅発着の列車も 1 日 2 本設定があるようです。8:02 着 → 8:22 発 と 16:31 着 → 16:51 発なのですが(2017 年時点)、あからさまに登下校に合わせたタイミングなのが微笑ましいですよね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

西留辺蘂を通過して無加川を渡ると、民家の数が激減して山越え区間に入ります。これはチシマザサでしょうか……?

金華信号場

おや、こんなところに謎の空き地が……?
ポイントが見えます。どうやらかつての金華駅、現在は「金華信号場」に到着したようです。
このポイントはどうやら安全側線のポイントのようです。先程の「謎の空き地」は安全側線を撤去した跡である可能性がありそうですね。

特別快速「きたみ」が金華信号場に到着したのは 11:00 で、特急「オホーツク 1 号」の到着を 3 分ほど待つことになります。いくら「特別快速」でも、天下の特急列車さまには敵うわけが無い……ということですね。
この金華信号場ですが、1914 年に「鉄道院」の「湧別軽便線」が開通した際に「奔無加ぽんむか駅」として開業し、1951 年に「金華駅」に改称した後、2016 年 3 月 26 日に駅としては廃止されて金華信号場となりました。つまり 2016 年まではホームがあった筈なのですが……
どうやら金華駅は東相内駅相内駅と似た構造だったようで、1 番線の左側(駅舎側)に 1 番ホームがあり、右側(1 番線と 2 番線の間)に 2 番ホームがあったとのこと。上の写真は本来は 2 番ホームがあった場所のようで、かつての 2 番ホームは綺麗に撤去された……ということのようです。

かつてのホームは撤去済み

特別快速「きたみ」は、(かつての)駅舎と信号小屋の前を通り過ぎたところで停車しました。
そう言えば……いつの間にかとても良い天気になりましたね。どんよりと雲が立ち込める景色も悪くないですが、やはり青空の下で眺める色鮮やかな景色には抗しがたい魅力があります。
前述の通り、旧・金華駅の 2 番ホームは撤去されていて、1 番ホームも線路沿いの部分が斜めにカットされています。あ、こうしないと除雪車の通過に支障があったのかもしれないですね。
1 番線の停止位置が遠軽寄りに移ったように思われる理由は……何故なんでしょう?(駅だった頃は駅舎の真ん前に停車していたと思うのですが)

特急「オホーツク 1 号」!

待つこと 3 分ほど、ついに 2 番線に……おっ!
おおっ!
特急「オホーツク 1 号」が颯爽と現れて、あっさりと通過して行きました。
特急「オホーツク」だけあってか、運転席の下にはキリル文字で「НЕТ」の文字が(違う)。旧ソ連の外相で、国連安保理で “нет” (英語の “no” に相当)を連発して「ミスター・ニェット」と呼ばれたアンドレイ・グロムイコをリスペクトしたものでしょうか(違う、そうじゃない)。運転席の下の“НЕТ”には「部外者立入禁止」という意味が込められているのかもしれません()。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑

特急「オホーツク 1 号」の通過待ちを良いことに、車輌の後尾から旧・金華駅の駅舎を撮影してみました。
金華駅の近くには「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」があるのですが、(旧)駅舎にも追悼碑の存在を知らせる案内が掲出されていました。
常紋トンネルは常呂川水系と湧別川水系の間の分水嶺を貫通するトンネルで、全長こそ 507 m と決して長大では無いものの、完成に 36 ヶ月もの工期を要した上に、凄惨な「タコ部屋労働」の結果、100 人以上の死者を出してしまいます。なんとも恐ろしいことに「人柱」の実在も確認されているとのこと……。

間もなく出発

特急「オホーツク 1 号」は煤煙を巻き上げながら、金華信号場を通過して留辺蘂に向かいました。
特別快速「きたみ」も、間もなく出発です。

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