2023年3月11日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1019) 「コンブウシムイ・トーサムポロ沼・ヒリカヲタ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

コンブウシムイ

kompu-tuye-us-moy
昆布・切る・いつもする・湾
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
サンコタン岬の南に「コンブウシムイチャシ跡」という名前の「チャシ」(砦)の跡があります。明治時代の地形図にはそれらしい地名が見当たりませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トウシヤム」(「トーサムポロ沼」と思われる)の西に「チヤシコツ」(chasi-kot)と描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

出立する哉否
     チヤシコツ
是トウシヤムの川口の西に、一ツ突出する也。また行ことしばしにて小湾
     コンフトイウシモイ
と云。此処に昆布取小屋有しが、今はなしと。よつて号るよし。また岬を一ツこへて
     ヲベツ子カウシ
小川にして少しの湾に成り居たり、此処に昔し人家有し由。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.595 より引用)
あ……。トーサムポロ沼とコンブウシムイチャシ跡の間に「トウシャム 2 号チャシ跡」があるらしいのですが、松浦武四郎が記録した「チヤシコツ」は「トウシャム 2 号チャシ跡」の可能性が高そうな気が……(すいません)。

「コンブウシムイ」であれば kompu-us-moy で「昆布・多くある・湾」と考えられそうでしょうか。個人的には moy(湾・入江)ではなく muy で「」と考えたいところですが……(箕のような形の地形なので)。

戊午日誌の「コンフトイウシモイ」は、午手控 (1858) には「コフントヱ・・ウシモイ」と記録されています。「コフン」はおそらく「昆布」の誤字で、kompu-tuye-us-moy で「昆布・切る・いつもする・湾」と見て良さそうに思えます。

トーサムポロ沼

to-asam-poro
沼・奥・大きい
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「コンブウシムイチャシ跡」の東にある沼の名前で、その北東には同名の岬もあります(トーサムポロ岬)。「トーサムポロ沼」は入江のようにも見えるのですが、「沼」という扱いなんですね。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) では沼の出口のところに「トウシヤム」と描かれていました。明治時代の地形図には「トーサㇺポロ」とあり、岬にも「トーサㇺポロ崎」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Tō sam poro   トー サㇺ ポロ   沼傍廣キ處 古アイヌ此處ニ住シ蜊ヲ食ヒシト云フ今人「トサポ」ト云フハ略言ナリ又「トーサムセブ」トモ云フ同義ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」(1891) 国書刊行会 p.363 より引用)※「蜊」は虫偏に「刺」
トーサムポロ沼でアサリが取れるというのは知っていたのですが、昔からアサリを取っていたのですね。戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」にも次のように記されていました。

其上まゝを来りて下るや、トウの東岸え到る。是を
     トウシヤム
と云。此処沼一ツ有。其廻り凡二里にて谷地多く、沼の口両岸は高くして崖、沼の底はしじみまたあさりの類の殼にして、馬足抜からずして至極わたりよしと。トウシヤムは沼浅しと云儀なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.594 より引用)
沼の底はアサリやシジミの殻で埋まっているので馬も歩きやすい……いやー、アサリが多いのは知っていましたが、なかなか凄いですね。そして「トウシヤムは沼浅しと云儀なり」とあるのですが、永田地名解とは解釈が異なりますね。

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 トーサムポロ沼 (~とう)トサップ沼とも書かれている。納沙布岬の北面海岸の沼。この地方には,沼をトー(アイヌ語沼の意)と読む例が多い。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.706 より引用)
そして肝心の「トーサムポロ」の意味については言及が無いという……(汗)。じゃあ何故引用したんだという話ですが、「トサップ沼とも書かれている」というのが重要かなぁ、と。これは永田地名解の「トーサムセプとも言う」の裏付けと言えそうなんですね。

この「トーサムポロ」ですが、to-sam-poro ではなく to-asam-poro で「沼・奥・大きい」なのでしょうね。「トーサムセプ」は to-asam-sep で「沼・奥・広い」ということなのでしょう。

どちらも語順がちょいと不思議な感じもしますが、過去の記録と実際の地形を合わせて考えると、今はこう読むしか無さそうな気がしています。え、「沼浅し」はどこへ行ったんだって? さぁ……(ぉぃ)。

ヒリカヲタ

pirka-ota
美しい・砂浜
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
トーサムポロ沼の東に「ヒリカヲタチャシ跡」という名前の「チャシ」(砦)の跡があります。テンプレ書き出し、便利ですねぇ(ぉぃ)。

明治時代の地形図には見当たりませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にも「ヒリカヲタ」と描かれているほか、「初航蝦夷日誌」(1850) にも次のように記されていました。

并而
     ヒリカヲタ
美き砂浜と訳す也。字のまゝなり。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.441 より引用)
……。字のままなり……、そりゃそうですよね。地理院地図を見ると、トーサムポロ沼の北、トーサムポロ岬の西に砂浜があるっぽいのですが、元々はこのあたりを指した地名だったのでしょうか。pirka-ota で「美しい・砂浜」と考えて良さそうです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事