2023年3月5日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1018) 「オンネップ川・コネップ川・サンコタン川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オンネップ川

onne-o-ni-o-p
年長である・河口・標木・多くある・もの(川)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ノッカマップ川の 2 km ほど東を流れる川です。明治時代の地形図には「オン子オニオプ」という名前で川が描かれているのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ホロホニヨフ」と描かれています。僅か 100 年ほどで随分と *改変* された感がありますね。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Onne oniop   オンネ オニオㇷ゚   寄木ノ大灣 高橋圖「ポロニオイ」トアルモ同義ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.363 より引用)
また、「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 オンネップ川 コネップ川の西,ノッカマップ川との間の小川。アイヌ語の歳老いたものの意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.705 より引用)
普通に考えると「北海道地名誌」の解にたどり着くと思われるのですが、「オン子オニオプ」や「ホロホニヨフ」という記録がそれを否定している……と言えそうでしょうか。今回は永田地名解にある通り、onne-o-ni-o-p で「年長である・河口・標木・多くある・もの(川)」と見て良さそうに思えます。

コネップ川

pon-o-ni-o-p
小さな・河口・漂木・多くある・もの(川)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「オンネップ川」の 0.8 km ほど東を流れる川です。随分と短い川ですが、地理院地図に川として描かれている上に、なんと川名まで記載されています。しかも国土数値情報にも記載がある上に、OpenStreetMap では地理院地図よりも遥かに長く描かれています。あまりの厚遇ぶりに「コアップガラナ飲みたい」などと言ってる場合では無くなった感も……(結局言ってる)。

この「コネップ川」ですが、明治時代の地形図では「ポンオニオプ」と描かれています。「東西蝦夷山川地理取調図」や「初航蝦夷日誌」(1850) には「ホンホニヨフ」とあり、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には「ホンヲニヨフ」と記録されています。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Pon oniop   ポン オニオㇷ゚   寄木ノ小灣
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.363 より引用)
ということで、pon-o-ni-o-p で「小さな・河口・漂木・多くある・もの(川)」と見て良さそうな感じです。pon には「子である」という意味もあるので、中途半端に和訳された……ということではないかと。

サンコタン川

sam-kotan?
隣人(日本人)・村
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
コネップ川の 1.2 km ほど東を流れる川です。サンコタン川の 2 km ほど東には「トーサムポロ沼」があります。

隣人の村、日本人村?

「初航蝦夷日誌」(1850) には次のように記されていました。

     シヤムコタン
小川有。此名何より起るや。人間と云処不思議也。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.441 より引用)
なんとなく意味不明な感じですが、sam には「隣国人」という意味もあり、おそらく「日本人村」ではないかと考えたようです。ただこの「隣国人」は日本人に限らない筈なので、千島やカムチャツカからやってきた「隣人」である可能性も……ゼロでは無いんですよね。

山から浜へ出る村?

一方で戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」では次のように記していました。

また少し行
     シヤムコタン
といへるえ下る。小川有。此処下る処と云よし。昔しより土人山より下る時は、必ず爰え下るが故に号しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.596 より引用)
これまたちょいと意味不明な解ですが、永田地名解 (1891) を見てみると……

San kotan   サン コタン   低村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.363 より引用)
更に意味不明に(ぉぃ)。san-kotan で「山から浜に出る・村」と読めるのですが、「東部能都之也布誌」の「下がる処」が謎に変化して「低村」になってしまったみたいです。

乾いた村? 夏の村?

また、更にややこしいことには、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「サコタン」と描かれていました。sat-kotan であれば「乾いた・村」と解釈できるのですが、すぐ隣の「トーサムポロ沼」の周辺は湿地が多いので、「乾いた・村」という地名にも蓋然性がありそうに思えてきます。

ただ、そうなると「サ○コタン」で最も一般的な「サㇰコタン」ではないのか、という疑いの目も向けたくなります。sak-kotan で「夏・村」という可能性ですね。

出崎の村?

そういえば、「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 サンコタン川 根室半島のオホーツク海にそそぐ小川。出崎の村の意か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.705 より引用)
百花繚乱ですね……(汗)。地名アイヌ語小辞典 (1956) を見てみると……

san, -i さン 《名》①坂。②出崎。③棚;棚のような平山。④山から浜へ吹きおろす風。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.116-117 より引用)
ということで、san-kotan で「出崎・村」と解釈することもできちゃうんですよね……。サンコタン川とトーサムポロ沼の間に「サンコタン岬」があるのも「!」なのですが、戊午日誌「東部能都之也布誌」によると岬の西側は「ヲベツ子カウシ」と呼ばれていたとのことで、「サンコタン岬」というネーミングは明治以降に後付されたように見えます。

やはり「隣人の村」か

かなり訳が分からなくなってきたのですが、「角川日本地名大辞典」(1987) にこんな記述がありました。

文化年間の「東蝦夷地各場所様子大概書」によれば,ネモロ場所内のアイヌ住居地名として「シヤモコタン」とあるのが当地のことと思われる(新北海道史7)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.626 より引用)
これは……! 「初航蝦夷日誌」の記述を裏付ける記録ですね。松浦武四郎は「samsan だったかもしれない」と日和ったようにも見えますが、やはり sam-kotan で「隣人(日本人)・村」あるいは「隣・村」と考えて良いのではないでしょうか。

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