2023年1月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1009) 「ルツチヤル・伏古遠太・ハルタモシリ島・遠太」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ルツチヤル(ルッチャル)

rutu-us-sar???
押してずらす・いつもする・葭原
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
本別海の南から道道 475 号「風蓮湖公園線」を 2.5 km ほど入ったところにある四等三角点の名前です(標高 4.8 m)。選点は 1985 年 5 月で、1980 年代の土地利用図にも「ルッチャル」という地名?が描かれているため、当時は現役の地名だったことが窺えます。

「ルッチャル」と「ルエサンサル」

陸軍図」にも同じ場所に「ルッチャル」と描かれていました。ところが不思議なことに明治時代の地形図には地名の記入がありません。更に時代を遡ると「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) に「ルエサンサル」と描かれていました。

「ルエサンサル」はおそらく「ルエサニ」の親戚で、ru-e-san-sar で「路・そこで・浜へ出る・葭原」だと思われます。問題は「ルエサンサル」がいつの間にか(遅くとも大正時代に)「ルッチャル」に化けているという点なのですが、「ルッチャル」を素直に解釈すると rut-char で「崩す・口」あたりでしょうか。

ただ rut-ke で「崩れる」となるものの、rut 単独での用法は手元の辞書類では確認できません。rup-char で「氷・口」か……とも考えてみましたが、「ルッチャル」のあたりがそう呼ぶに相応しい特性を有していたかと言われると、今一つ確信が持てません。

押しずらす?

改めて辞書類を眺めてみると、rutu という語が複数の辞書で確認できました。例えば「アイヌ語千歳方言辞典」(1995) には次のように記されています。

ルトゥ rutu 【動 2】 ~を押しずらす。
(中川裕「アイヌ語千歳方言辞典」草風館 p.420 より引用)
また「アイヌ語沙流方言辞典」(1996) にも次のように記されています。

rutu ルトゥ【他動】...を押してずらす、持ち上げないで下を引きずりながら押して動かす。{E: to push along, drag...}
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.593 より引用)
ということで、「ルッチャル」は rutu-sar で「押してずらす・葭原」ではないか……と考えてみました。文法的にちょいと謎な感じもしますが、rutu-us-sar で「押してずらす・いつもする・葭原」と考えれば違和感も減少するでしょうか。

何を「押してずらす」のかと言えば、やはり丸木舟かな……と。つまり「ルエサンサル」も「ルッチャル」(ルツサル?)もほぼ同じニュアンスだったんじゃないか……という *想像* です。

伏古遠太(ふしことうぶと)

husko-to-putu
古い・湖・口
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
走古丹漁港」の手前で道道 475 号「風蓮湖公園線」から左折して岬の先端に向かう道路があります。この道は途中からダートに変わるのですが、ちょうど舗装区間が終了するあたりに「伏古遠太」という名前の二等三角点があります。「ふしことうぶと」と読むのですが、そう言えば「──とおぶと」では無いんですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」(1994) には次のように記されていました。

伏古遠太 ふしことうぶと
 走古丹の中の地名。フㇱコ・トー・プトゥ(hushko-to-putu 古い・湖・の口)の意。風蓮湖の昔の湖口であったからの称。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.238 より引用)
はい、ど直球でしたね。husko-to-putu で「古い・湖・口」と見て良いかと思われます。御存知の通り「風蓮湖」は根室湾に面した汽水湖で、走古丹(別海町)と春国岱(根室市)の間に湖口が開いているのですが、昔はこのあたりにも湖口があった……と言うことなのでしょうね。

ハルタモシリ島

haru-ta-mosiri
黒百合の根・掘る・島
(記録あり、類型あり)
伏古遠太」三角点の南の沖合に「ハルタモシリ島」があります。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

 ハルタモシリ
 風蓮湖中の中島。ハル・タ・モシリは食糧掘る島の意味のアイヌ語。黒百合が多く、あさりなども多い浅瀬がある島。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.279 より引用)
haru-ta-mosiri で「食料・掘る・島」ということですね。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) にも次のように記されているのですが……

 ハル・タ・モシリ(haru-ta-mosiri 食料・掘る・島)の意であるが、黒百合も「ハル」と呼ばれていた。根室市史によると、この島には黒百合が残っていると記された。あるいは「黒百合(根)掘る島」であったかもしれない。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.367 より引用)
ふむふむ……と思いながら知里さんの「植物編」(1976) を眺めていたところ……

また,北海道の厚岸でわ haru わクロユリの鱗莖のことだった (§ 342)。
(知里真志保「知里真志保著作集 (1973) 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.268 より引用)※ 原文ママ
あー、「ハルタモシリ」の haru は「黒百合の根」と断言しても良さそうな勢いになってきましたね。haru-ta-mosiri は「黒百合の根・掘る・島」としておきましょう。

遠太(とうぶと)

to-putu
湖・口
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
風蓮湖の湖口の北側に「遠太」という名前の四等三角点があるのですが、「遠太」と書いて「とぶと」と読むとのこと。この三角点は、元は昭和 25 年に選点されたもののようで、当時は「とぶと」と読むのが一般的だったんでしょうか……?

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には、「遠太」三角点の位置に「トウフト」と描かれていて、対岸(春国岱側)には「トウハエ」と描かれていました。「春国岱ネイチャーセンター」のあるあたりにも「トウハエ」があり、これは現在「東梅」と呼ばれていますが、色々と謎のある地名という印象があります。

陸軍図」では、「遠太」三角点(=走古丹側)ではなく、対岸の春国岱側に「遠太」と描かれていました。風蓮湖の湖口には渡船も描かれていますが、これは「遠太の渡し」と呼ばれたものでしょうか。根室から本別海への最短ルートですが、風蓮湖の西側を大回りする道路が整備されるとともに衰退していった……と言ったところでしょうか。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Tō putu   トー プト゚   沼口
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.368 より引用)
はい。to-putu で「湖・口」と考えて良いかと思います。

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