2023年1月14日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1004) 「戸春別・レウシナイ川・封春別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

戸春別(としゅんべつ)

tu-sum-pet?
二番目・油・川
tu-sum-pet??
古い・萎れた・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
尾岱沼漁港と道の駅「おだいとう」の中間あたりを「戸川」が流れていて、河口から 2 km ほど西に「戸春別」という名前の二等三角点があります(標高 26.6 m)。現在「戸川」の河口のあたりは「別海町尾岱沼」ですが、かつては地名も「戸春別」だったようです。

「油・川」説と「溺死・川」説

東蝦夷日誌 (1863-1867) には「ポロシユンベツ」と「ホンシユンベツ」という川があるとして、その意味について次のように記していました。

 名義、油川と云儀也。昔し鯨を取、油を絞りしが故に此名有と。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.341 より引用)
sum-pet で「油・川」ということですね。一方で、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Shum pet    シュㇺ ペッ    溺死川「エシユムペツ」ノ略言ナリト云フ
Tu shum pet  ト゚ シュㇺ ペッ  溺死ノ二ッ川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.374 より引用)
これが「戸春別」の初出でしょうか。「ト」ではなく「ト゚」とあるので、tu-sum-pet と考えて良さそうですね。そして sum-pet は「溺死する・川」だと言うのですが……。

sum の意味は?

sum をどう解釈するかですが、「地名アイヌ語小辞典」(1956) には次のようにあります。

sum, -i すㇺ ①西。(対→menas)。②【H】油。=ke. ③【K】泡。=koy-sum. ④ 合成語の中では水の意をあらわすこともある。
sum すㇺ 《完》① しおれる; なえる。② 【ナヨロ】溺死する。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.134 より引用)
sum を松浦武四郎は「油」とし、永田方正は「溺死」としましたが、他にも「西」と解釈することもできますし、「しおれる」と解釈することもできます。面倒なことに sum-un-pet で「西・に入る・川」という解釈も成り立ってしまうんですよね。

更に言うなら、sum-pet で「しおれる・川」という解釈もできるのではないかと。川の規模から言っても「枯れ川」だとは考えられないですが、当幌川西別川と比べると(川筋を遡った際に)「萎れる」のが早い……とも言えそうな気も。

永田方正が「溺れる川」としたのも、実は人が溺れるのではなく「川の流れ」が「溺れる」のではないかと思えてきました。平たく言えば「伏流」ですが、川筋を遡るといつの間にか川が居なくなる(?)ことを「(川の流れが)溺れる」と呼んだ……と解釈できないかなぁ、などと。

結局「油・川」なの?

……と言った感じで「萎れる川」に傾きつつあったのですが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

 別海町百年史は『この沿岸では昭和に入ってからでも鯨が浅瀬に乗り上げること数回に及ぶことなどから、鯨の解体等が行われたこともあろうが、加賀文書中の地名解には「此川上谷地水にして油の多く光るを名付よし」とある。この春別川の上流の地形などから、戸春別川(トウシュㇺペッ)同様、加賀説の解明が妥当であろう。戸春別川とは二番目の油川の義である』と書いた。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.375 より引用)※ 原文ママ
思いっきり孫引きですいません。そしてここに来てまさかの「油・川」説推し……。うー、これはどう考えたものか……。

sum を「油」と見るか「萎れる」と見るかでしばらく悩んだのですが、tu についても「二番目」でいいのか、あるいは「古い」とも読めるので悩ましいところです。結論が出なかったので両論併記で、tu-sum-pet で「二番目・油・川」か、あるいは「古い・萎れた・川」か……ということで。

レウシナイ川

rewke-us-nay?
曲がる・いつもする・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
春別川の北支流で、春別川とエトシナイ川当幌川南支流)の中間あたりを流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「シユンヘツ」の支流がいくつか描かれていて、位置からは「チエフンシユンヘツ」(魚の入る春別川)あたりの可能性がありそうですが……。

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 レウシナイ川 春別川の左小支流。アイヌ語の意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.711 より引用)
あー、まぁそうなりますよねー。re-us-nay だと「名前・ある・川」あたりでしょうけど、確かに意味不明な感じが。

ただ、明治時代の地形図には「レウケウㇱュナイ」と描かれていました。これだと rewke-us-nay で「曲がる・いつもする・川」と読めそうでしょうか。「レウシナイ川」は他の支流と比べても屈曲が多いように見えるので、「めっちゃ曲がってる川」と呼んだ……と考えられそうです。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

 レゥケ・ウㇱ・ナィ(rewke-us-nay 曲がって・いる・川)の意が、レㇽケ・ウシ・ナィ(rerke-us-nay 山向こうに・ある・沢)の意にも聞こえる。川口近くの丘の、向こう側から流れてくるので、そのようにも受けとられるが、なんともいえない。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.375-376 より引用)※ 原文ママ
それだったら……という訳では無いですが、もしかしたら ruyka-us-nay で「橋・ある・川」の可能性もありそうですね。

封春別(ぽんしゅんべつ)

pon-{sum-pet}
小さな・{春別川}
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
春別川を遡ると、道道 8 号「根室標津線」と交叉するあたりに「中春別」の市街地があります。かつて国鉄標津線の「春別駅」があったあたりです。

中春別の市街地から道道 362 号「西春別春別停車場線」を西に 2.5 km ほど進んだところに「封春別」という名前の三等三角点があります。なんと「封春別」で「ぽんしゅんべつ」と読むそうで……。

明治時代の地形図をチェックしてみたところ、少なくとも ① 現在の「戸川」、② 現在の「ポン春別川」、③ 現在の「中春別川」が「ポンシュㇺペッ」と認識されていたみたいです。

「封春別」三角点は現在の「中春別川」の支流の水源付近にあるため、それに由来するネーミングと言えそうですね。pon-{sum-pet} で「小さな・{春別川}」と見て良いかと思われます。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事