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列車は止別川の河口付近を通過します。ここもかつては河口がクランク状に曲がっていましたが、現在はまっすぐオホーツク海に注ぐように改良済みです。
「危険 導流堤内 立入禁止!!」の看板と「釣り禁止」の看板が出ています。どうやら何らかの問題 [詳細不明] があったようで、比較的最近になって止別川河口付近での釣りが禁止になったとのこと。
謎のサイロ
おや、これはサイロですよね? ちらっと見た感じではどこも壊れていないどころか、比較的新しいものに見えます。ただ車が近づけないようにも見えるのが謎ですね。謎の標柱シリーズ、今度は「6」です。横にコンクリ柱?(境界標?)らしきものが見えるのですが、その補足標識でしょうか……?
止別駅(B73)
線路沿いに公園が見えてきました。間もなく北見鉄道
かつて止別駅から小清水駅まで「北見鉄道」という鉄道路線が伸びていて、北見鉄道の駅の跡が公園になっているようです。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
上の航空写真では北見鉄道の線路跡が道路として確認可能ですが、現在では完全に農地に還ってしまっていて、上空からは確認が困難な区間も少なくありません。かつて網走から釧路への鉄道路線(=釧網本線)が建設される際に、小清水経由と斜里経由でルートの比較検討を行い、最終的には遠回りとなる斜里経由が選択されたため、小清水は「(中心部に)鉄道の来ない町」になってしまいました。そのため、小清水町中心部と省線(=釧網本線)を接続するために止別(仮止別)から小清水までの鉄道路線が建設され、1930 年に「北見鉄道」として開通に漕ぎつけます。
この「北見鉄道」は総延長 10 km に満たないミニ私鉄でしたが、国鉄と同じ 1,067 mm 軌間を採用していたとのこと。釧網本線との接続駅に浜小清水ではなく止別を選んだのがちょっと謎ですが、もしかしたら斜里との直通運転を目論んでいたのでしょうか。釧網本線に接続するだけならば清里町に向かうという手も考えられますが、網走方面との接続も考慮して止別になった……といったあたりかもしれません。
北見鉄道は線形も良く、将来的に国有化されることを目論んでいたような気がします [要出典] [独自研究?] 。ただ 1929 年に小川平吉の鉄道疑獄事件が明るみになったこともあり、表立った活動(陳情など)ができなくなった……と言った可能性もありそうな……。
結局、北見鉄道は国に買収されることの無いまま、開業から僅か 9 年で廃止されてしまいます。累積赤字が解消できなかったことが廃止につながったと考えられますが、なんか「あわよくば国有化」の夢が破れたことが原因に思えて仕方がないんですよね(この時期に 1,067 mm 軌間で比較的高規格の路線を建設すること自体、どう見ても不自然な感じが……)。
それはそうと、この公園の設備はどれも比較的新しく見えます。北見鉄道が廃止されたのは 1939 年のことですが、その後ずーっと未使用だったんでしょうか……?
公園には滑り台や……
フィールドアスレチックのような遊具も見えます。そしてその手前には「4」の文字が見えますが、ここにも境界標か何かがあるのでしょうか……?
棒線駅に改造済み?
快速「しれとこ」は止別駅に到着しました。ホームは完全に未舗装っぽい感じですね。止別駅の開業は 1925 年とのことなので、あと 2 年(2023 年時点)で 100 歳ということになりますね。クラシックな感じの駅舎は 1968 年に改築されたものだそうで、現在はラーメン屋さんが入居しているとのこと。明かりが見えるのは店内の照明だったんですね。
久しぶりに「本場の味」をクローズアップで。
現在の止別駅は棒線駅で、海側に引込線の跡らしきものが残っています。本線との分岐は不完全なものに見えますが、仮設のレールを置くことで出入りできる構造なんでしょうか……?
1970 年代の航空写真を見た感じでは、安全側線を持たない 2 面 2 線の相対式ホームに加えて、北側に貨物列車用の側線があり、西側にも貨物ホームがあるように見えます。現在の止別駅は(前後にカーブの無い)棒線駅ですが、どこかのタイミングで上下線を取り払ってその間に線路を敷設し直したように見えますね(見間違いだったらすいません)。
ニクル沼
快速「しれとこ」は止別駅を出発しました。フェンスが見えますが、Google マップによると「止別第二野球場」とのこと。斜里町との境界の近く(と言っても 1.2 km ほど離れている)にある「ニクル沼」が見えてきました。良く見ると手前に案内板らしきものが立っているのですが……
もしかして「ニクル沼遺跡」と書いてあるのでしょうか(後ろの 3 文字は全く自信が無いですが)。走行中の列車からこの案内を読むのは、なかなか難易度が高そうな……。
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