2022年12月31日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1000) 「突呉別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

突呉別(とつくれべつ)

top-tuye-pet??
竹・切る・川
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)

2022年12月30日金曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (6) 「鱒浦・藻琴」

快速「しれとこ」は桂台駅を出発しました。トンネルを抜けると、左側の車窓にはオホーツク海が見えてきましたが……!
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

何を思ったか(何も考えてなかったのでは)うっかり右側の席に陣取ってしまったため、眼前には……

2022年12月29日木曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (5) 「桂台」

網走を 10:24 に出発する快速「しれとこ」に乗車しました。シートはまるで特急のようですが、これってきっと特急用のシートの廃品を流用してますよね?
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

どこかで見覚えのあるリクライニングシートのレバーの上には灰皿が。ただ、良く見るとネジで封印してあるように見えます。

2022年12月28日水曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (4) 「快速『しれとこ』」

団体用改札口と思しき一角から網走駅のホームを眺めます。2 面 3 線の国鉄型配線の駅ですが、3 番線の向こうにも留置線と思しきスペースがあります。以前は留置線が 5 線ほどあったように見えますが、真ん中の 3 線は既に撤去済みのようです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

上屋の支柱には夥しい数の「本場の味」が。色々と事情があったのかもしれませんが、サッポロビールが駅名標広告から撤退してしまったのは寂しい限りです。

2022年12月27日火曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (3) 「網走・その 3」

網走を 10:24 に出発する快速「しれとこ」で釧路に向かうのですが、まだ発車まで時間があるので……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

コンコース横の待合室にやってきました。ホームに向かって椅子が並んでいて、天気が良ければ列車の到着状況を確認しながら待つことができます。

2022年12月26日月曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (2) 「網走・その 2」

一見、とてもガランとした感じのある網走駅のコンコースですが……(本来「コンコース」はガランとしたものだ、という説もありますが)
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

良く見ると「網走刑務所作業製品」と題されたショーケースが。どの品にも値札が付いているのが良いですね。何故「創英角ポップ体」なのかは謎ですが、まぁ「淡古印体」だとホラーになっちゃいますし……。「隷書体」とかは中々渋いと思いますが、今一つ「網走刑務所」のイメージ [具体的に] に合わないような気もしますし。

2022年12月25日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (999) 「計根別・ケネカ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

計根別(けねべつ)

kene(-us)-oika-pet?
ハンノキ(・群生する)・渡渉する・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

2022年12月24日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (998) 「養老牛・シタバヌプリ山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

養老牛(ようろううし)

i-woro-us-i?
それ・うるかす・いつもする・ところ(川)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

2022年12月23日金曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (1) 「網走・その 1」

車をホテルの駐車場に置いたまま、カバン片手に網走駅に向かいます(まだ赤信号ですが)。さて、これから一体どこに向かうのか……(題名で一目瞭然なのでは
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

駅前には「駅レンタカー」の事務所があり、その横には「藤尾記念館」が。そういやこのローソン、24 時間営業でしたっけ……?

2022年12月22日木曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルルートイン網走駅前」編(朝食編)

新しい朝を迎えました。時間は間もなく 8:30 になろうかと言う頃です。
お隣の「ホテルしんばし」さんですが、どうやら既に営業していないような雰囲気に見えます。駅前の絶妙な立地にありますが、近くに全国チェーンのビジネスホテルが 2 つもできてしまうと、流石に色々と厳しかった……ということでしょうか。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

この日の部屋は 9F 東側の部屋で、網走駅の東側と釧網本線の線路が良く見えます。

2022年12月21日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (44) 「藤尾記念館」

そう言えば……という話なのですが、この日は太平洋フェリー「いしかり」のレストラン「サントリーニ」で朝食を食べていたのでした。そして昼前に苫小牧に上陸して、何故か苫小牧の街中で宇宙ステーション「ミール」を見つけて、「ネピア」色のアパートを見てから網走に移動を始めて……。あれ、昼食は?

ということで(どういうことだ)、どうやらうっかり昼食を食べ忘れたようなので、流石に夕食まで抜くのは色々と拙そうな感じです。時既に 20:30 を回っていますが、どこかで食事をしたいところです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

うっかり「ヴィクトリアステーション」に

とりあえずエレベーターで 1F まで下りて、外に出てみることにしました。

2022年12月20日火曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルルートイン網走駅前」編(お部屋編)

駐車場に車を停めて、「ホテルルートイン網走駅前」のフロントに向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

禁煙シングルルーム

ささっとチェックインを済ませて部屋に向かいます。この日の部屋は 9F の禁煙シングルルーム(スタンダードプラン)で、1 泊 5,950 円です(安い……ですよね?)。

2022年12月19日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (43) 「『通』への道」

遠軽町と佐呂間町の境界を一気に突き抜ける「旭野トンネル」を進みます。僅かな右カーブを抜けるともうすぐ出口です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

出口を抜けると佐呂間町のカントリーサインがお出迎えです。これは梅干しを模したものでしょうか(かぼちゃでは)。

2022年12月18日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (997) 「モアン山・パウシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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モアン山

mo-an-nay??
小さな・もう一方の(あちらの)・川
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)

2022年12月17日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (996) 「カンジウシ川・所呂間内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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カンジウシ川

kanchiw-us-i?
出水・多くある・もの(川)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

2022年12月16日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (42) 「『きのこたけのこ戦争』の行方」

国道 333 号で遠軽方面に向かいます。前方に見えている作りかけの高架橋は、建設中(当時)の「旭川紋別自動車道」のものです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

「遠軽瀬戸瀬 IC」と「遠軽 IC」の間は、決して広いとは言えない湧別川の南側を国道 333 号と旭川紋別自動車道が並走します。旭川紋別自動車道は国道と川の間の狭いスペースを抜ける関係で、1.5 km ほどの間に二度も国道をオーバークロスするようです。

2022年12月15日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (41) 「道道 493 号『奥瀬戸瀬瀬戸瀬停車場線』」

「北大雪トンネル」を抜けて遠軽町(旧・白滝村)にやってきました。気温は 10 ℃ ですが路面温度は 16 ℃ もあるので、凍結などの心配は無さそうですね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

「旧白滝出入口」跡を通過して「白滝トンネル」(長さ 1,299 m)に入ります。

2022年12月14日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (40) 「セーブポイント?」

「安足間大橋」で石狩川を渡って上川町にやってきました。随分と暗くなってきたので、手ブレを抑えるのはちょっと難しそうですね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

トイレあり〼

「上川層雲峡 IC」が近づいてきました。上川町と層雲峡の最寄りの IC ですが、いいネーミングですよね。IC も国道 39 号との交叉点上ではなく、あくまで上川町の市街地に近い位置にあるのも良いです。

2022年12月13日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (39) 「生き残った『愛山上川 IC』」

旭川市を抜けて上川郡当麻町に入りました(カントリーサインの撮影に失敗したので代わりに巨大な看板で誤魔化すスタイル)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

当麻町の市街地は JR 石北本線の「当麻駅」の周辺に集中しています。国道 39 号は当麻町の市街地には目もくれず、ダイレクトに北東に向かいます。

2022年12月12日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (38) 「AirLine CHIYOGAOKA VIADUCT」

辺別べべつ川を渡って旭川市にやってきました。カントリーサインはおなじみの「旭橋」を模したものです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

「あれ、辺別川はどこ?」と思ってしまいましたが、カントリーサインは「辺別川橋」を渡った先にあったんでしたね。どうでもいい話ですが、「べべつがわ」ってローマ字入力だと入力がちょいと面倒くさいですね……。

2022年12月11日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (995) 「シワンベツ川・須根仁牛・コトンナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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シワンベツ川

suy-an-pet??
穴・ある・川
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)

2022年12月10日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (994) 「ワッカナイ・オンネベツ川・タンネウシ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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ワッカナイ

wakka-o-i
湧き水・多くある・ところ
(記録あり、類型あり)

2022年12月9日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (37) 「しらかば並木と大きな煙突」

美瑛町に入りました。前方にも丘が広がっていて、いかにも「美瑛!」らしい眺めですね……。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

おや? 道路脇に車(ヴィッツかな?)が停まっていますが、シチュエーションが良くわからない(見えてこない)ですね……。何をしてるんでしょう……?

2022年12月8日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (36) 「峠の観覧車」

上富良野町に入りました。写真の色合いがおかしいですが、これでも目一杯補正した結果ですのでご容赦を……。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

国道 237 号は「基線」の一区画(≒545.5 m)東に位置する「東一線」を北北東に向かい、「北二十号」の北側で上富良野町に入ります。このあたりは散村のようで、道路沿いに農地が広がる中、一定間隔で住居が点在しています。

2022年12月7日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (35) 「十勝岳を望む『振縫橋』」

国道 237 号を北上して中富良野町に入ります。「虹」と「ラベンダー畑」をあしらったカントリーサインですが、ん、何故「虹」なんでしょう……?(あえて調べようとはしないスタイル)
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ちなみにこの日は、前方には暗雲が垂れ込めていたものの、残念ながら虹は確認できませんでした。

2022年12月6日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (34) 「北の峰」

道道 135 号「美唄富良野線」の「尻岸馬内橋」を渡って富良野市に入ります。そういえばここからは「上川総合振興局」のエリアですね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「尻岸馬内川」はそこそこの規模の川の筈ですが、橋は意外と短いんですね。この時期はかなり水量が多そうな気がするのですが……。

2022年12月5日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (33) 「富芦道路」

「三段滝」を出発して北に向かいます。相変わらず人の気配が希薄な中を進むと、前方に突然青看板が。富良野に向かう道道 135 号「美唄富良野線」はこの先で分岐です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

交叉点には右折車線も設けられているのですが、極限まで省略された白線が画期的ですね。今にして思えば、ゼブラゾーンを思いっきり踏んでいるような気もしますが……。

2022年12月4日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (993) 「紅蔦露・威可牛・平宇取・繰幌間内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

紅蔦露(こうつたろ)

kut-taor?
喉口・川岸の高所
kot-taor?
窪み・川岸の高所
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
標茶町西部、字コッタロの北に位置する二等三角点の名前です(標高 123.3 m)。凄まじく出オチですが、「紅蔦露こうつたろ」は「コッタロ」の当て字だと思われます。

ということで「コッタロ」ですが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。

また同じ様成処十丁計も過て右の方
     コツタロ
と云小川有。其上に少し水の涌処有る也。メンカクシの申には此処名、コンタル 小樽の訛りし也と云。またトウロのケンルカウスの申にはコツタロ也と。コツは川の形也、其上に小さき樽程の水涌壺有りと云儀と云。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.481 より引用)
「コツは川の形なり」と「水の湧くところあり」からは kot-ta-or で「窪み・汲む・ところ」と考えられそうな気もします。湧き水については正直なんとも言えないのですが、湿原の中に台地がせり出したような地形に見えるので、kut(喉口)の taor か、kot(窪み)の taor のように見えます。

現在の「コッタロ」のあたりは、川沿いの湿地よりは高く、周りの山よりは低い位置にあるのですが、やはり湿地から見ると小高い場所なので、taor は「川岸の高所」と見るべきでしょうか。kut-taor で「喉口・川岸の高所」か、kot-taor で「窪み・川岸の高所」と考えたいです。

威可牛(いかうし)

ika-us-i
渡渉する・いつもする・ところ
(記録あり、類型あり)

2022年12月3日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (992) 「土所地内・ポンネナイ・勃串内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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土所地内(としょちない)

so-oma-nay??
滝・そこに入る・川
(?? = 記録未確認、類型あり)
標茶町と弟子屈町の境界に位置する山の頂上付近に存在する二等三角点の名前です(標高 282.8 m)。どうしても不動産関係を連想してしまいますが、原野……いやなんでも無いです。

この三角点の北からは「竹内川」(プソッナイ)が東に向かって流れていて、西からは「最栄利別川」の支流(名称不詳)が北西に向かって流れています。南からは「オソベツ川」の支流である「上チョウマナイ川」が南に向かって流れています。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「プソッナイ」に相当しそうな川を特定できず、「モイレヘツ」(=最栄利別川)の支流についても描かれていません。「オソベツ川」に至ってはあれほどの規模の川であるにもかかわらず、「ウシヨロコツ」以外の川名は描かれていません。

明治時代の地形図には「上チョウマナイ川」に相当する川が、「チョウマナイ」の支流として描かれているように見えます。実際には「チョウマナイ川」と「上チョウマナイ川」は別の川で、どちらも「オソベツ川」の支流なのですが、まぁこの程度の誤謬はちょくちょくある話ですね。

「土」ではなく「上」だったら?

永田地名解 (1891) にも「土所地内」と思われる記載が無いどころか、他の資料にも全く記載が見当たらないので、これは白旗を揚げるしか無いかな……とも思ったのですが、これ、もしかして「土」が「上」の誤記だったりしないでしょうか。

仮に「土」が「上」の誤記だとすると、「上所地内」と「上チョウマナイ」……何か匂いますよね。どう転んでも「地」を「マ」と読ませるのは厳しそうな気もしますが、これが仮に「馬」とかだったら……。「上所馬内」が「土所地内」に化けたというのは妄想の所産だと言われても甘んじて受け入れるしか無いのですが、可能性は無限大ですので!(いきなり何を言い出すのだ

「妖魔の沼」「悪い沼」「腐敗した沼」

となると、後は「チョウマナイ」はどういう意味なのかが気になるところです。以前、chi-o-ama-nay で「我ら・そこに・(仕掛け弓を)置く・川」あたりかな……と考えたこともありましたが、他に類例も無さそうなのでちょっと厳しいでしょうか。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

 語句は短いが難解な地名である。帯広市に「チヨマトウ」と呼ばれている伝説の沼があるが、この沼は「妖魔の沼」「悪い沼」「腐敗した沼」という意味がある(十勝のアイヌ伝説)トゥは沼の意味。また、チヨマ(chiyoma 悪い)チヨマト(chiyomato けがらわしい沼・くされ沼)ともある(吉田北海道あいぬ方言語彙集成)。これら語意と何か関係があったのかも知れない。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.319 より引用)

「入らさる沼」

「チヨマ」が「悪い」「けがらわしい」を意味する……という裏付けは取れなかったのですが、永田地名解に「帯広川筋の地名」として次のような記載がありました。

Chi oma tō   チ オマ トー   陥沼 「チオマレトー」ノ短縮後ニテ吾人?落シ入レル沼ノ意古ヘ土人ヲ此沼?落シ入レ殺シタル處ナリトアイヌ云フ「チヨマトー」ト云フハ急言ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.316 より引用)※「?」は引用者による
これは前述の「チヨマトウ」と同じ沼の可能性もありそうですが、こちらは随分と現実的?な解釈のようで、{chi-omare}-to で「{入ってしまう}・沼」となるでしょうか。北海道方言風に言えば「入らさる・沼」なのかなぁ……と思ったりもしますが、なるほどそこから「妖魔の沼」という解釈が生まれたということでしょうか。

「滝・そこに入る・川」だったりして

ただ改めて陸軍図を見てみると、巨大な湿地があるのはむしろオソベツ川沿いで、支流のチョウマナイ川沿いには湿地らしきものは見当たりません(何故か現在の「地理院地図」では、川沿いに池らしきものが描かれていますが)。{chi-oma}-nay で「{入ってしまう}・川」と考えるよりは、もっと単純に so-oma-nay で「滝・そこに入る・川」のほうが正解に近そうな気もしてきました。

so は「滝」だとされますが、これは必ずしも「瀑布」を意味しないとのこと。多少なりとも目立つ「段差」があれば so と呼んでいた可能性がありそうです。

2022年12月2日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (32) 「圧倒的な水量の『三段滝』」

遊歩道のほぼ先端にある東屋にやってきました。「三段滝」でもっとも雄大な [要出典] [独自研究?] [誰によって?] 下段の滝を間近で見ることができます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

あずましい東屋

東屋には長椅子が用意されていて……

2022年12月1日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (31) 「歓迎・三段滝」

ダム湖を除けば国道 452 号沿いで二番目に大きな観光地かもしれない「三段滝」にやってきました。力強い感じの書体で「歓迎」「三段滝」と描かれています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

それでは、「三段滝」を至近で眺めることにしましょう。駐車場からは、よく整備された階段を降りて……

2022年11月30日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (30) 「骨組みだけのお店」

三笠市と芦別市の間にある「三芦トンネル」を通過して芦別市に入ります。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「三芦トンネル」を抜けると、350 m ほどの S 字カーブを抜けて、すぐに次の「キムントンネル」です。「キムン」は kim-un で「山のほう」という意味なので、「山のほうのトンネル」ということになりますね(まぁ既に山の中なので何を今更……という説もありますが)。

2022年11月29日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (29) 「『りゅうちゃん』の幻」

「桂沢大橋」で「桂沢湖」を渡ると、国道 452 号は左に大きく向きを変えます。ここは新しい「桂沢大橋」との合流点になるところですが、この法面に鋲のようなものが打ち込まれている(ように見える)のはどういう効果があるのでしょう……?
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

左カーブを抜けた後は、R = 80 の深い右カーブで再び北に向きを変えると間もなく「桂沢トンネル」です。このトンネルポータルも戦国武将の兜のような形ですね。

2022年11月28日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (28) 「桂沢大橋(旧橋)」

国道 452 号を桂沢湖に向かって北上します。「桂清橋」(けいせいばし)に続いて、これまた昭和テイストの「朝映橋」という橋が見えてきました。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

続いて「夕映橋」が見えてきました。「全国Q地図」の「2018 年度 全国橋梁マップ」によると「せきえいばし」と読むとのこと。

2022年11月27日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (991) 「類来・小辰丑」

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類来(るいらい)

ru-e-ran-i?
路・そこで・降りる・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
弟子屈プイラクニ標茶ヌッパシュナイの境界となる山の頂上付近にある三等三角点の名前です(標高 172.6 m)。

「プイラクニ」と「ヌッパシュナイ」はどちらも先週取り上げた地名ですが、なぜ今頃記事にしたかと言うと……三角点名の整理を怠っていたのが原因です(すいません)。

三角点の南側を「人見無川」が流れていますが、明治時代の地形図ではこの川の位置に「ルエラニ」と描かれていました。ru-e-ran-i で「路・そこで・降りる・ところ」と読めそうですが、「地名アイヌ語小辞典」(1956) によると……

ru-e-ran, -i ルえラン 坂;坂の降り口。[<ru-e-ran-i(路が・そこから・降っている・所)]
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.111 より引用)
ということで、平たく言い換えれば「峠道の入口」と言ったところでしょうか。「類来」は「ルエラニ」の訛った形ではないか……と思われます。

それにしても、「ルエラニ」が何故「人見無川」になっちゃったんでしょうねぇ……。

2022年11月26日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (990) 「サルボ・ウライヤ・羽留」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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サルボ

sar-pa-pira??
沼地・かみて・崖
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
スズキが製造・販売していた軽自動車」とは異なります。

JR 釧網本線・塘路駅の北に「エオルト沼」という沼があり、北隣には「ポントー」という沼があります。国道 391 号は「ポントー」の北東で右に大きく進行方向を変えますが、右カーブの途中に「サルボ展望台・サルルン展望台駐車場」があります。

駐車場の北には「サルボ展望台」があり、西に少し歩くと「塘路・サルルン展望台」があります。このあたりの地名が「字サルボ」のようです。

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 サルボ 塘路湖の西端。「サㇽ・ポ」でアイヌ語で小さな湿地の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.682 より引用)

「崖」がつきました

永田地名解 (1891) には、少し違った形で記されていました。

Sara po pira   サラ ポ ピラ   吥坭ノ大崖
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.340 より引用)
どちらも sar-po ですが、永田地名解の「吥坭やちノ大崖」という解は -po がどこかに消えてしまって、代わりに「大崖」の「大」がどこかから出てきたようです。実際には展望台ができるほどの地形なので「大崖」なんでしょうが、元の地名を尊重した解かと言われると、ちょっとびみょうな感じですね。

東西蝦夷山川地理取調図」には「サルフヒラ」という地名が描かれていました。また戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」にも次のように記されていました。

また左りの方
     サラフビラ
シヤリブのよし。シヤリは蘆荻原の事也。其処の向ふの平と云儀也。左り小山有、右谷地にて蘆荻原。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.484-485 より引用)
いずれも pira のついた形で記録されています。実際に「字サルボ」も崖の上の地名(通称?)のようなので、元々は崖の名前だったと考えたいところです。

「サラフビラ」あるいは「サルフヒラ」はちょっと意味を掴みかねるところがあるので、やはり sar-po-pira で「湿地・小さな・崖」と考えるべきでしょうか。ただ「小さな湿地の崖」というのも妙な感じがするので、sar-pa-pira で「湿地・かみて・崖」あたりでしょうか。これでもまだ違和感が残りますが、sar-pa-pira の間に -oma あたりがあったのが抜け落ちた、とかでしょうか……?

サルルントー

「塘路・サルルン展望台」の南にある「サルルントー」は、sar-or-un-to で「湿地・の中・にある・沼」あたりかなぁ、と思われます。

ウライヤ

urayya?
袋網
(? = 記録あり、類型未確認)
ウマイヤ朝」とは異なります。

JR 釧網本線・塘路駅のすぐ北、塘路湖の湖口のあたりの地名です。地理院地図では見当たらないように思えますが、実は現役バリバリの住所で、郵便番号(〒088-2262)の設定もあります。

狭小住所だからか、古い地図では存在を確認できませんが、「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 ウライヤ 塘路湖の沼尻のところ。ウライヤはアイヌ語で簗網のこと。この地の人々が簗網で鮭漁をしたところ。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.682 より引用)
アイヌ語方言辞典」(1964) にも(旭川方言として)'uráyya で「袋網」とあるので、この解釈で良さそうな感じですね。ただ ya は「」とも解釈できそうですし、「袋網」だとしても他所で見た記憶が無いので、? を一つ残しておきます。

羽留(ぱる)

par???
口(湖口)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
JR 釧網本線・塘路駅の東の塘路湖畔に「塘路湖エコミュージアムセンター『あるこっと』」という施設があり、その隣に「元村ハウスぱる」というカヌーステーションがありますが、これらの施設の敷地内に「羽留」という四等三角点(標高 10.0 m)があります。

この三角点が選点されたのは 1992(平成 4)年ですが、当時既に「元村ハウス『ぱる』」が存在していたとのこと。となるとこの三角点の名前も「ぱる」に由来する可能性が高くなるのですが、何故か三角点名は漢字で「羽留」なんですよね。

考えられる可能性は二つで、①三角点の名前をひらがなにするのを避けたかったので「羽留」という漢字表記を考案した、②昔、このあたりを「パル」と呼んでいて、「羽留」という漢字表記も考案されていた、のどちらかかなぁ、と。

仮に「②」であれば……という重大な前提条件がつきますが、par であれば「」を意味するので、この場所であれば「塘路湖の湖口」を意味していた可能性が高くなります。見事なまでに傍証が無いので、想像でしか無いのですが……。

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2022年11月25日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (27) 「お笑い系のクマちゃん」

R = 100 の左カーブが近づいてきました。警告標識の下の「曲線半径 100 m」のプレートがびみょうに傾いていますが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。

2021 年 9 月時点のストリートビューでは、プレートがそっぽを向いてずれ落ちていました。

青地に赤い矢印

今度は頭上に「注意 急カーブあり」という看板が見えてきました。青地に赤い矢印というのは珍しい組み合わせですが、イマイチ切迫感に欠けるような気も……。

2022年11月24日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (26) 「鈴鹿の S 字は R = 70」

三笠市のカントリーサインが見えてきました。トンネルの途中から三笠市に入るので、手前に配置されています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

トンネルの入口は、まるで戦国武将の兜のような「飾り」がついています。上に積もった雪が路上に落ちないようにする仕掛けだと思いますが、謎にスタイリッシュですよね……。

2022年11月23日水曜日

「日本奥地紀行」を読む (141) 久保田(秋田市) (1878/7/25)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、普及版の「第二十四信」(初版では「第二十九信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

海草による象徴

なんか、いつまで経っても久保田(秋田)を出発しそうにない印象が強くなってきましたが……

 とうとう天候回復の兆候が見えてきたので、明日は出発しようと思う。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
あ、ようやく出発しそうですね。とは言っても出発は「明日」の話のようなので、今日一日は休養日に充てるということでしょうか。

ちょうどこの文を書いたとき伊藤がやってきて、隣の家の人が私の担架式ベッドと蚊帳を見たいと言う。そして例の如く海草(熨斗こんぶ)をつけた菓子を一箱送ってきてあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
「海草をつけた菓子」というのはちょっと謎な感じもしますが、原文では cakes with the usual bit of seaweed attached とのこと。「熨斗のしこんぶ」というもの自体に馴染みが無いので途方に暮れているところですが、「熨斗鮑のしあわびの代用にする昆布」とのこと。……あ、「熨斗昆布」は「熨斗」の本来の形だったんですね。あくまで贈り物の主体は「菓子」で、「熨斗代わりの昆布」がつけられていた……と。

海草は贈り物のしるしである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
やっと、この謎の文章の意味も理解できました。熨斗代わりの昆布がついた(=贈答用)箱に入ったお菓子をもらった、ということですね。

イザベラは「日本人は漁業民族の子孫であると信じている」として、次のように続けています。

彼らはそれを誇りとし、恵比須という漁師の神は、家の内に祀る神のうちでもっとも人気のある神の一人である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
「えびす」は「商売の神様」という印象があるのですが、元々は「漁業の神」だったとのこと(そう言われてみれば釣り竿を持ってましたよね)。そしてイザベラはどうやって「恵比須」に関する知識を手に入れたのでしょう……。端的に言えば誰かに聞いたということなんでしょうけど、当時の知識人にとっては常識の範囲だったんでしょうか。

ふつうの人に贈り物をするときには海草を一片つけてやり、天子ミカドへの献上品には乾かした魚の薄皮(熨斗飽)をつけるというのは、この民族の起原を示すもので、同時に素朴な勤勉の尊厳を象徴している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
イザベラは「熨斗昆布のしこんぶ」が「熨斗鮑のしあわび」の簡略型だということも把握していた、ということですよね……(すげぇ)。

午後の訪問者

本筋に戻りますが、イザベラが隣家の人から「のし付き」の「お菓子」をもらったのは、イザベラの「担架式(携帯用?)ベッド」と「蚊帳」を見たいという、ミーハー根性(死語?)丸出しの依頼と抱合せでした。

各地で「見世物」扱いされることには辟易していた筈のイザベラですが、意外なことに今回の「訪問者」については OK を出しています。少人数の礼儀正しい客であれば、イザベラにとってもプラスになるという判断でしょうか。

温度は八四度もあるのに、五人の男と二人の少年、五人の女が、私の小さくて天井の低い部屋に入ってきた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
華氏 84 度は摂氏 28.9 度なのでそれほど暑くないように思ってしまいますが、7 月末なので湿度も相当高かったことが想像できます。「小さくて天井の低い部屋」とありますが、風通しはどうだったんでしょう……?

三度平身低頭してから畳の上に坐った。明らかに彼らは、午後をこの部屋で過ごそうと思ってやってきたのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.268 より引用)
「午後をこの部屋で過ごそうと思って」の意図を取りかねたのですが、ベッドと蚊帳を見学するだけなら一瞬で済むので、おそらくそれだけではない……という意味なんでしょうね。

イザベラは訪問客に「いつも通りの礼儀作法」で振る舞うように伝えていて、訪問客はイザベラの前で煙草を吸ったりしたようですが、やはりどうしても場の雰囲気は改まったものだったようで……。

彼らは、このような「尊敬すべきオナラブル」御旅行の方に会うことができて感謝する、と言った。私はまた御国を多く見ることができたことを感謝した。そして私たちはみな深々と頭を下げた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
まぁ、でも昔は親戚同士でもこんな感じで挨拶することもあったような気がするので、めちゃくちゃガッチガチということでも無さそうでしょうか。ほぼ初対面同士の挨拶であれば、こんな感じで進むのも割と普通だったのかも……?

イザベラはイザベラなりに、訪問客の興味を惹きそうなコレクションを紹介したものの……

次に私はブラントンの地図を床の上にひろげ、私の旅行のコースを示した。彼らに『アジア協会誌』を見せて、上から下へではなく、左から右へ読むのだと説明した。私の編み物や上等の毛糸編みを見せると、彼らはそれに驚嘆した。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
残念なことに、持ちネタは程なく尽きてしまいます。

ほかに私は何もすることがなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
ただ、どうやら訪問客は「イザベラ・コレクション」の鑑賞が主目的では無かったようで……

すると彼らは私をもてなそうとした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
「お、おう」という展開に。

神童

どうやら訪問者の真の目的はイザベラに「神童」を紹介することだった……とのこと。

彼は四歳の少年で、頭は上に二房だけ髪を残し他はすべて剃ってあり、異常な思考力と沈着さをうかがわせる顔をしており、年配の人のように堂々と落ちついていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
あー。昔にもこんな「神童」がいたのですね。今風の言い方をすれば「ギフテッド」なのかもしれませんが、別の言い方をすれば「非定型発達」ですよね。着物袴姿で片手に扇子というのは、悪い冗談か、コントのようにすら思えてしまいますが……。

もし彼に子どものような話をしたり、おもちゃを見せたり、嬉しがらせようとしたら、それは侮辱であろう。彼が読み書きや歌をつくるのは、自学自習による。彼は一度も遊ぶことはなく、ちょうど大人と同じように何事も分かるのだ、と父親は語った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
仮に彼の神童ぶりが周りの大人による「演出」だとしても、四歳の子供に読み書きを教えたり歌を詠めるように訓練するのは容易ではないので、少なくとも世間平均の子供よりは聡明だった……ということでしょうか。

私がこの少年に何か書いてくれと頼んでもらいたがっている様子だったので、私はその通り頼んでみた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.269 より引用)
どうしても「仕込み」っぽい雰囲気が(個人的には)拭えませんが、イザベラは素直に話に乗ってくれたようです。

書道の神業

「ベッドと蚊帳の見学会」は、何故か「神童による書道パフォーマンス」に早変わりしてしまい……

 それはおごそかに行なわれた。赤い毛布が床の中央に敷かれ、その上に漆塗りの硯箱が置かれた。少年は硯の水で墨をすり、五フィートの長さの巻紙を四本開き、その上に九インチの長さの漢字で書いた。きわめて複雑な文字であったが、筆の走りもしっかりとして優美であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.270 より引用)
イザベラの目には、天才少年の書はとてもしっかりしたものに見えたようです。

ジョットー(イタリアの画家)が円形を描くときのあのすらすらと的確な筆捌きがあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.270 より引用)
この「ジョットー」は Giotto di Bondone のことのようですね。原文には with the ease and certainty of Giotto in turning his O. とあり「『O.』って何?」となったのですが、円形のこと……ですか。

彼は署名して朱肉の印を押し、三度お辞儀をして、書く仕事は終わった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.270 より引用)
このあたり、まるで書家のような「パフォーマンス」ですね。

子ども崇拝

イザベラは「書く仕事は終わった」と書いていますが、実は原文を見ると the performance was ended. となっています。この「書く仕事」は高梨健吉さんによる「不実な美女」だったようですが、実際にこの「神童」は「書く仕事」をしていたようで……

人々は彼に掛物カケモノや看板を書かせる。その日も十円〈約二ポンド〉謝礼をもらったという。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.270 より引用)
「神童」の「書道パフォーマンス」は既にマネタイズ済みだった、ということのようです。

父親は彼を京都キョートまで連れて行って、十四歳未満の子どもで彼ほどうまく書道のできるものがいるかどうか調べたい、と言った。私はこれほど大袈裟な子ども崇拝の例を見たことがない。父も母も、友人も召使いも、彼を王侯貴族のように待遇している。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.270 より引用)
なんと言いますか……、現代の日本でも「親バカ」と呼ばれるスタイルがありますが、明治 11 年の時点でもこんなに本格的な「親バカ」がいた、という貴重な記録……なのでしょうか(汗)。これが詐術まがいの「仕込み」なのであれば悲劇と言うしかありませんが、果たして真相は……?

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2022年11月22日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (25) 「何故に『代々木』……?」

新旧「白銀橋」を一望できる駐車場を後にして、再び国道 452 号を北に向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「車両転回所」の文字が見えますが、ここを右折すると「白銀橋」です。何の案内も出ていませんが、「白銀橋」自体が 2 車線未満の狭隘な橋ですし、橋を渡ったところで林道しかなさそうな感じなので、これで良いのかもしれません(ストリートビューによると、2018 年 5 月時点で「→夕張岳」という案内が追加されているようです)。

2022年11月21日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (24) 「白銀橋」

シューパロトンネルの出口にやってきました。トンネル出口の先はいきなり橋梁になっているので(明石橋)、冬場はかなりスリルがありそうな……(路面凍結のおそれが)。

「明石橋」と「千年橋」

「明石橋」を渡った先の右側には車が数台だけ入れそうな駐停車スポット(駐車場)があります(そういえば旧シューパロトンネルの北東側にも同じような場所がありましたっけ)。せっかくなので立ち寄ろうかと思ったのですが、既に先客がいらっしゃるようですね……。

2022年11月20日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (989) 「ヌッパシュナイ・コムケップ川・ポンキンマンタワ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヌッパシュナイ

nup-pas-oma-nay??
野・炭・そこにある・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
標茶町磯分内の西北西を流れる「人見無川」周辺の地名(住所)で、町境にある四等三角点「風靡」の東隣は弟子屈町ヌプパシュナイです。どちらも郵便番号の設定はありませんが、「運輸局住所コード」の設定があります。

標茶町の「字ヌッパシュナイ」と弟子屈町の「ヌプパシュナイ」はほぼ隣接しているので、元はこのあたり一帯が「ヌパシュナイ」と呼ばれていたと思われるのですが、不思議なことに明治時代の地形図には「ルエラニ」とだけ描かれていて、「ヌッパシュナイ」や「人見無川」の由来と思しきものは見当たりません。

この、謎の「ヌッパシュナイ」ですが、「角川──」に記載がありました。

 ぬっぱしゅない ヌッパシュナイ <標茶町>
〔近代〕昭和26年~現在の標茶(しべちゃ)町の行政字名。もとは標茶町大字標茶村の一部。古くはヌッパシュマナイともいった。地名の由来はアイヌ語のヌッパシュナイ(カラスが沢山いる沢の意) によるという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1116 より引用)
「カラス」は一般的には paskur が使われていますが、念のため「アイヌ語方言辞典」を確かめてみました。それによると樺太で etuhkapaskunchikah、千島で pasukuru とある以外は、見事に全て páskur でした。

そこにカラスは居たか

「ヌッパシュナイ」は「カラスが沢山いる沢」だと言うのですが、「ヌッパシュナイ」の中に paskur が含まれると考えるのはちょっと難しいので、paskur(カラス)が pas と略された……ということでしょうか。paskurpas-kur で「消炭・姿」と分解できそうな気もするのですが、pas はあくまで「木の燃えカス(炭)」でしか無いというのが難点ですが……。

ここで「カラス」の一種として nup-paskur のような言い回しでもあれば一発逆転(?)の可能性もあるのですが、知里さんの「動物編」を見た限りでは、そのような言い回しは見当たりません。

となると paskur(カラス)の線を一旦捨てて pas(炭)と考えるべきでしょうか。その場合は nup-pas-nay で「野・炭・川」あるいは nup-pas-oma-nay で「野・炭・そこにある・川」となるでしょうか。「泥炭のある川」と考えることができそうです。

もっと単純に nup-pa-us-nay で「野・かみ・ついている・川」と考えることもできそうですが、これだと「ヌッパシュマナイ」と読むのが難しそうなので、ちょっと無理がありそうでしょうか。

2022年11月19日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (988) 「プイラクニ・奔丹達」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

プイラクニ

nikuri-apa??
林・戸口
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
弟子屈町南部、南弟子屈駅(跡)の南の釧路川西岸の地名(住所)です。郵便番号の設定はありませんが、運輸局住所コードには「プイラクニ」と「プライクニ」の設定があります(地理院地図では「弟子屈町字熊牛原野」)。

明治時代の地形図には「プイラクニ」という川が描かれていました。地理院地図では「町営牧場」と記されているあたりを流れ、最終的には標茶町の「人見無川」に合流する「左俣川」のことだと思われるのですが、「プイラクニ」は「人見無川」ではなく直接「釧路川」に注ぐように描かれているという大きな違いがあります。

「南弟子屈橋」と「左俣川」の間には非常に緩やかな分水嶺があり、その存在に気づかなかったのかもしれません。「南弟子屈橋」の南で釧路川に合流する支流が「プイラクニ」と認識されていた可能性も出てきます。

謎の「プイラクニ」

「プイラクニ」を素直に解釈すると……「プイラ」は puyra で「激湍」でしょうか。ただ、このあたりの釧路川は幅広の谷の中を蛇行するような状態なので、果たして puyra があったかと言うと疑わしく思えてきます。

puy で「穴」という可能性はどうでしょうか。puy-rake-un-i で「穴・低い所・ある・ところ」とすれば一応筋は通りそうな気もします。伏流した川がところどころで穴を開けていた、あたりの可能性が考えられるでしょうか。

puy には「穴」以外にも「エゾノリュウキンカの根」という意味もあります(地名に出てくる puy は寧ろこの解釈のほうが多いような)。puy-rak-ni で「エゾノリュウキンカの根・っぽい・木」と解釈できたりしないか……と考えてみたのですが、これは流石に無理がありますかね。

もしかして「ニクライプ」では?

最後に……実はこれが本命じゃないかと思っているのですが……「プイラクニ」が禁断の左右逆転地名だとしたらどうでしょう。「ニクライプ」であれば nikuri-apa で「林・戸口」と読めるかもしれない……と。

前述の通り、「南弟子屈橋」と「左俣川」の間には非常に緩やかな分水嶺があります。鞍部の東西には丘が広がっていて、釧路川から見ると東側(手前側)の丘が上流側の眺望を遮る衝立のようになっていた……んじゃないかと思うのですね。

下流から上流部(あるいはその逆)を見渡すのを遮る地形がある場合に、それを apaで「戸」あるいは「戸口」「入口」と呼ぶケースがちょくちょくあると思っています。たとえば道北の中川郡中川町を流れる「安平志内あべしない川」も apa-us-nay で「戸口・ついている・川」じゃないかなぁ、と……。

奔丹達(ぽんたんだつ)

pon-nitat???
小さな・湿地
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
弟子屈町南部、国道 391 号と「コムケップ川」の間の山地にある二等三角点の名前です(標高 159.5 m)。「奔丹達」には「ぽんたんだつ」とルビが振られていますが、本当にそうなのかな……と疑いたくなりますよね。

「丹」は「に」と読む場合もあるので(「丹羽にわ氏」なんかそうですよね)、その場合「奔丹達」は「ぽんにたつ」となり、pon-nitat で「小さな・湿地」ある可能性が出てきます。

陸軍図を眺めてみると、鉄道の西側にちょうどお誂え向きのサイズの湿地が描かれています。また戊午日誌「東部久須利誌」には「アタツヘツ」という地名が記録されているのですが、残念ながら今回はここで手詰まりのようです。

1917 年(大正六年)に選点された際に「奔丹達」と命名され、その後「読み方不明」ということで慌ててそれらしいルビを振ったのではないかと思われるのですが……。

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2022年11月18日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (23) 「消えたバス停」

国道 452 号でシューパロダム方面に向かいます。このゲートは清水沢と東にある遠幌えんほろの間にあるのですが、このゲートが閉じられたら東西の行き来が事実上不可能になるのでは……?
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。

消えたバス停

「遠幌」のバス停と信号が見えてきました。このあたりに「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」の「遠幌駅」があった筈で、バス停はその代替として設置されたのかな……と思ったのですが……

2022年11月17日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (22) 「沼ノ沢駅前」

国道 452 号を北西に向かい、沼ノ沢にやってきました。
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信号機には「沼ノ沢駅前」というプレートが取り付けられていましたが……

2022年11月16日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (21) 「複線化!?」

夕張 IC で流出して、右折して国道 274 号に入ります。「石炭の歴史村」「マウントレースイ」などへは軒並み 16~18 km ほどの距離が示されていますが、思ったよりも近いですよね()。
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曰くありげな空白

夕張 IC のあたりでは川沿いの崖を避けるために東岸に避難していた国道 274 号ですが、この先の「瑞穂橋」を渡って西岸に戻ります。

2022年11月15日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (20) 「土手の上には何がある?」

道東道の「夕張トンネル」を抜けて帯広・釧路方面に向かいます。トンネルの長さは 290 m で、入口から出口が見えています。
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将来的にこの区間が完成 4 車線になる際には、左側に帯広・釧路方面に向かう車線が追加されることになるのですが、左側の法面はどうするんでしょうね。フェンスの上を通すのでしょうか……?

2022年11月14日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (19) 「通過車は 一旦乗り降りしないで!」

栗山町に入りました。由仁町も栗山町も JR 室蘭本線沿いの町……という印象があるのですが、別の見方をすれば「夕張川の西側が由仁町、東側が栗山町」なので、夕張川の「川端ダム」の半分は栗山町ですし、国道 274 号も JR 石勝線も栗山町を通っているんですよね(駅や IC はありませんが)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。

「通過車は 一旦乗り降りしないで!」

JR 石勝線(元を辿れば「夕張線」ですね)が川沿いを大きく迂回する中、最も後にできた道東道は夕張山地の尾根をオープンカットしてショートカットしています。「動物注意」の看板のほかに、跨道橋にも横断幕が張られていますが……

2022年11月13日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (987) 「アトシナイ川・熊牛・岩瀬川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

アトシナイ川

at-us-nay?
オヒョウニレの樹皮・ある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
弟子屈町南部、サンペコタンの北を流れる川で、釧路川の西支流です。地理院地図には川として描かれていますが、川名の記入はありません。「東西蝦夷山川地理取調図」にもそれらしき川は見当たりません。

戊午日誌「東部久須利誌」に次のような記載を見かけたのですが……

また七八丁も上り向ふ岸に
     エトシナイ
     ヱハシユマイ
等川の西岸に有るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.429 より引用)
この「エトシナイ」が「アトシナイ川」のことである可能性もありそうですが、前後の記録を「午手控」や「東西蝦夷山川地理取調図」と照らし合わせても矛盾する点が散見されるため、若干の疑問も残ります。

明治時代の地形図にも、それらしい川が描かれているのですが、これは「?タ?シナイ」と描かれているようにも見えます(最初の文字は「ア」のように見えますが、何か違和感もあるんですよね)。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には、次のように記されていました。

アレシナイ
 釧網本線南弟子屈駅の北2.5キロ付近で西側から釧路川に流入している。
 アッ・ウㇱ・ナィ(at-us-nay オヒョニレ(樹皮)・多くある・川)の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.311 より引用)
at-us-nay で「オヒョウニレの樹皮・ある・川」とのことですが、まぁ、素直に読むとそうなりますよね。at-kar-us-nay で「オヒョウニレの樹皮・剥ぐ・いつもする・川」となるケースが多い印象がありますが、kar- が抜け落ちて at-us-nay となったと見受けられるケースもあるので、あり得ない形では無さそうでしょうか。

ただ、北隣を「ヌプパクシャイ川」が流れていることもあるので、もしかしたら ar-kus-nay で「もう一方の・横切る・川」とかだったりしないかな……と思ったりも。

2022年11月12日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (986) 「オシャマンナイ川・知多伏」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オシャマンナイ川

e-samam-ru-un-nay?
頭(水源)・横になっている・路・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
JR 釧網本線の摩周駅(かつての弟子屈駅)の 1 km ほど南東で釧路川に合流する東支流です。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川が見当たりませんが、明治時代の地形図には「イサマヌンナイ」と描かれていました。

カワウソがいる川?

戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

其向に
     イシヤマニウンナイ
東岸テシカヾ人家の後ろに当りて小川有と。イシヤニはエシヤマニの訛り、是かわうその夷言也。ウンはウシの詰言かと思わる。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.435-436 より引用)
esamani-un-nay で「カワウソ・いる・川」と考えたのですね。この考え方は永田地名解にも継承されていました。

Isamanun nai  イサマヌン ナイ  獺川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.343 より引用)

どうやら「エシヤマルンナイ」らしい

ということで、カワウソに思いを馳せつつ戊午日誌に目を通していたところ、「東部摩之宇誌」にちょっと気になる記述が見つかりました。摩周湖をグルっと回った際の記録らしいのですが……

此上の処同じく周り行に、またしばし過て
     エシヤマルンナイラフシ
是エシャマルンナイえ山越道也。エシャマルンナイはテシカヾ川の上の小沢也。是え此処より沢まヽ下る時は、雪の節一日にてテシカヾ(え)出ると聞けり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.374 より引用)
「テシカヾ川」というのが少々意味不明ですが、とりあえずスルーして……(汗)。この「エシヤマルンナイラフシ」から「沢まヽ下る」と約一日で弟子屈に行ける……と読めます。「ラフシ」は、「地名アイヌ語小辞典」によると……

ráp-us-i らプシ 降り道のある所。[人々が降り・つけている・所]
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.105 より引用)
ということなので、「エシヤマルンナイラフシ」であれば「エシヤマルンナイ」川筋に降りるところ、ということになりますね。

随分と回りくどい書き方になっていますが、要は「摩周湖の外輪山から弟子屈に向かって『エシヤマルンナイ』という川が流れていた」ということになります。この「エシヤマルンナイ」が「イシヤマニウンナイ」になり、挙句の果てには「オシャマンナイ川」になってしまったのでは……と思われるのです。

「イシヤマニウンナイ」であれば esamani-un-nay で「カワウソ・いる・川」と読めますが、「──ルンナイ」であれば -ru-un-nay で「・路・そこにある・川」と読みたくなります(実際に川沿いが弟子屈に向かう路だったと見られるので)。

「坪の沢川」か「松尾川」か

そしていつものように、ここで大きな問題点にぶち当たります。現在の「オシャマンナイ川」を遡ったところで、名称不明の山(「知多伏」三角点が存在する)が存在するため、どう転んでも摩周湖には辿り着けないのですね。

摩周湖の外輪山から弟子屈に向かう川としては、「オシャマンナイ川」の西隣を流れる「坪の沢川」か、「オシャマンナイ川」の南東を流れる「仁多川」の支流である「松尾川」の可能性が考えられます。ただ、「東部摩之宇誌」には「イタトロマブラブシ」という地名が記録されていて、これが「松尾川」に降りるポイントだと考えられるのですね。

もっとも、この比定にも大きな問題があって、「東部摩之宇誌」では「イタトロマブラブシ」が「エシヤマルンナイラフシ」よりも *北* の地名として記録されています。摩周湖の外輪山から弟子屈の市街地に向かう川筋は「エシヤマルンナイ」と「イタトロマブ」(=「ニタトロマフ」、即ち「仁多川」と考えられる)しか無いわけで、これは「東部摩之宇誌」が南北を間違えて記録したと考えるしか無いのですが……。

ということで「エシヤマルンナイ」は現在「坪の沢川」と呼ばれる川のことと考えられるのですが、この川は「知多伏」三角点が存在する無名峰の北麓を流れています。この無名峰自体が samatke-nupuri(横たわっている・山)と呼べそうな形なのですが、その北麓を流れるということは e-samam-ru-un-nay で「頭(水源)・横になっている・路・そこにある・川」と考えられるかな……と。