地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
2022年12月31日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (1000) 「突呉別」
2022年12月30日金曜日
釧網本線ほぼ各駅停車 (6) 「鱒浦・藻琴」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
何を思ったか(何も考えてなかったのでは)うっかり右側の席に陣取ってしまったため、眼前には……
2022年12月29日木曜日
釧網本線ほぼ各駅停車 (5) 「桂台」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
どこかで見覚えのあるリクライニングシートのレバーの上には灰皿が。ただ、良く見るとネジで封印してあるように見えます。
2022年12月28日水曜日
釧網本線ほぼ各駅停車 (4) 「快速『しれとこ』」
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上屋の支柱には夥しい数の「本場の味」が。色々と事情があったのかもしれませんが、サッポロビールが駅名標広告から撤退してしまったのは寂しい限りです。
2022年12月27日火曜日
釧網本線ほぼ各駅停車 (3) 「網走・その 3」
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コンコース横の待合室にやってきました。ホームに向かって椅子が並んでいて、天気が良ければ列車の到着状況を確認しながら待つことができます。
2022年12月26日月曜日
釧網本線ほぼ各駅停車 (2) 「網走・その 2」
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良く見ると「網走刑務所作業製品」と題されたショーケースが。どの品にも値札が付いているのが良いですね。何故「創英角ポップ体」なのかは謎ですが、まぁ「淡古印体」だとホラーになっちゃいますし……。「隷書体」とかは中々渋いと思いますが、今一つ「網走刑務所」のイメージ [具体的に] に合わないような気もしますし。
2022年12月25日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (999) 「計根別・ケネカ川」
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計根別(けねべつ)
2022年12月24日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (998) 「養老牛・シタバヌプリ山」
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養老牛(ようろううし)
2022年12月23日金曜日
釧網本線ほぼ各駅停車 (1) 「網走・その 1」
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駅前には「駅レンタカー」の事務所があり、その横には「藤尾記念館」が。そういやこのローソン、24 時間営業でしたっけ……?
2022年12月22日木曜日
Bojan のホテル探訪~「ホテルルートイン網走駅前」編(朝食編)
お隣の「ホテルしんばし」さんですが、どうやら既に営業していないような雰囲気に見えます。駅前の絶妙な立地にありますが、近くに全国チェーンのビジネスホテルが 2 つもできてしまうと、流石に色々と厳しかった……ということでしょうか。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
この日の部屋は 9F 東側の部屋で、網走駅の東側と釧網本線の線路が良く見えます。
2022年12月21日水曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (44) 「藤尾記念館」
ということで(どういうことだ)、どうやらうっかり昼食を食べ忘れたようなので、流石に夕食まで抜くのは色々と拙そうな感じです。時既に 20:30 を回っていますが、どこかで食事をしたいところです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
うっかり「ヴィクトリアステーション」に
とりあえずエレベーターで 1F まで下りて、外に出てみることにしました。2022年12月20日火曜日
Bojan のホテル探訪~「ホテルルートイン網走駅前」編(お部屋編)
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
禁煙シングルルーム
ささっとチェックインを済ませて部屋に向かいます。この日の部屋は 9F の禁煙シングルルーム(スタンダードプラン)で、1 泊 5,950 円です(安い……ですよね?)。2022年12月19日月曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (43) 「『通』への道」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
出口を抜けると佐呂間町のカントリーサインがお出迎えです。これは梅干しを模したものでしょうか(かぼちゃでは)。
2022年12月18日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (997) 「モアン山・パウシベツ川」
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モアン山
2022年12月17日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (996) 「カンジウシ川・所呂間内」
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カンジウシ川
2022年12月16日金曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (42) 「『きのこたけのこ戦争』の行方」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
「遠軽瀬戸瀬 IC」と「遠軽 IC」の間は、決して広いとは言えない湧別川の南側を国道 333 号と旭川紋別自動車道が並走します。旭川紋別自動車道は国道と川の間の狭いスペースを抜ける関係で、1.5 km ほどの間に二度も国道をオーバークロスするようです。
2022年12月15日木曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (41) 「道道 493 号『奥瀬戸瀬瀬戸瀬停車場線』」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
「旧白滝出入口」跡を通過して「白滝トンネル」(長さ 1,299 m)に入ります。
2022年12月14日水曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (40) 「セーブポイント?」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
トイレあり〼
「上川層雲峡 IC」が近づいてきました。上川町と層雲峡の最寄りの IC ですが、いいネーミングですよね。IC も国道 39 号との交叉点上ではなく、あくまで上川町の市街地に近い位置にあるのも良いです。2022年12月13日火曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (39) 「生き残った『愛山上川 IC』」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
当麻町の市街地は JR 石北本線の「当麻駅」の周辺に集中しています。国道 39 号は当麻町の市街地には目もくれず、ダイレクトに北東に向かいます。
2022年12月12日月曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (38) 「AirLine CHIYOGAOKA VIADUCT」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
「あれ、辺別川はどこ?」と思ってしまいましたが、カントリーサインは「辺別川橋」を渡った先にあったんでしたね。どうでもいい話ですが、「べべつがわ」ってローマ字入力だと入力がちょいと面倒くさいですね……。
2022年12月11日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (995) 「シワンベツ川・須根仁牛・コトンナイ川」
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シワンベツ川
2022年12月10日土曜日
2022年12月9日金曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (37) 「しらかば並木と大きな煙突」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
おや? 道路脇に車(ヴィッツかな?)が停まっていますが、シチュエーションが良くわからない(見えてこない)ですね……。何をしてるんでしょう……?
2022年12月8日木曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (36) 「峠の観覧車」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
国道 237 号は「基線」の一区画(≒545.5 m)東に位置する「東一線」を北北東に向かい、「北二十号」の北側で上富良野町に入ります。このあたりは散村のようで、道路沿いに農地が広がる中、一定間隔で住居が点在しています。
2022年12月7日水曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (35) 「十勝岳を望む『振縫橋』」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
ちなみにこの日は、前方には暗雲が垂れ込めていたものの、残念ながら虹は確認できませんでした。
2022年12月6日火曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (34) 「北の峰」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
「尻岸馬内川」はそこそこの規模の川の筈ですが、橋は意外と短いんですね。この時期はかなり水量が多そうな気がするのですが……。
2022年12月5日月曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (33) 「富芦道路」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
交叉点には右折車線も設けられているのですが、極限まで省略された白線が画期的ですね。今にして思えば、ゼブラゾーンを思いっきり踏んでいるような気もしますが……。
2022年12月4日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (993) 「紅蔦露・威可牛・平宇取・繰幌間内」
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紅蔦露(こうつたろ)
ということで「コッタロ」ですが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。
また同じ様成処十丁計も過て右の方
コツタロ
と云小川有。其上に少し水の涌処有る也。メンカクシの申には此処名、コンタル 小樽の訛りし也と云。またトウロのケンルカウスの申にはコツタロ也と。コツは川の形也、其上に小さき樽程の水涌壺有りと云儀と云。
現在の「コッタロ」のあたりは、川沿いの湿地よりは高く、周りの山よりは低い位置にあるのですが、やはり湿地から見ると小高い場所なので、taor は「川岸の高所」と見るべきでしょうか。kut-taor で「喉口・川岸の高所」か、kot-taor で「窪み・川岸の高所」と考えたいです。
威可牛(いかうし)
2022年12月3日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (992) 「土所地内・ポンネナイ・勃串内」
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土所地内(としょちない)
この三角点の北からは「竹内川」(プソッナイ)が東に向かって流れていて、西からは「最栄利別川」の支流(名称不詳)が北西に向かって流れています。南からは「オソベツ川」の支流である「上チョウマナイ川」が南に向かって流れています。
「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「プソッナイ」に相当しそうな川を特定できず、「モイレヘツ」(=最栄利別川)の支流についても描かれていません。「オソベツ川」に至ってはあれほどの規模の川であるにもかかわらず、「ウシヨロコツ」以外の川名は描かれていません。
明治時代の地形図には「上チョウマナイ川」に相当する川が、「チョウマナイ」の支流として描かれているように見えます。実際には「チョウマナイ川」と「上チョウマナイ川」は別の川で、どちらも「オソベツ川」の支流なのですが、まぁこの程度の誤謬はちょくちょくある話ですね。
「土」ではなく「上」だったら?
永田地名解 (1891) にも「土所地内」と思われる記載が無いどころか、他の資料にも全く記載が見当たらないので、これは白旗を揚げるしか無いかな……とも思ったのですが、これ、もしかして「土」が「上」の誤記だったりしないでしょうか。仮に「土」が「上」の誤記だとすると、「上所地内」と「上チョウマナイ」……何か匂いますよね。どう転んでも「地」を「マ」と読ませるのは厳しそうな気もしますが、これが仮に「馬」とかだったら……。「上所馬内」が「土所地内」に化けたというのは妄想の所産だと言われても甘んじて受け入れるしか無いのですが、可能性は無限大ですので!(いきなり何を言い出すのだ)
「妖魔の沼」「悪い沼」「腐敗した沼」
となると、後は「チョウマナイ」はどういう意味なのかが気になるところです。以前、chi-o-ama-nay で「我ら・そこに・(仕掛け弓を)置く・川」あたりかな……と考えたこともありましたが、他に類例も無さそうなのでちょっと厳しいでしょうか。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。
語句は短いが難解な地名である。帯広市に「チヨマトウ」と呼ばれている伝説の沼があるが、この沼は「妖魔の沼」「悪い沼」「腐敗した沼」という意味がある(十勝のアイヌ伝説)トゥは沼の意味。また、チヨマ(chiyoma 悪い)チヨマト(chiyomato けがらわしい沼・くされ沼)ともある(吉田北海道あいぬ方言語彙集成)。これら語意と何か関係があったのかも知れない。
「入らさる沼」
「チヨマ」が「悪い」「けがらわしい」を意味する……という裏付けは取れなかったのですが、永田地名解に「帯広川筋の地名」として次のような記載がありました。Chi oma tō チ オマ トー 陥沼 「チオマレトー」ノ短縮後ニテ吾人これは前述の「チヨマトウ」と同じ沼の可能性もありそうですが、こちらは随分と現実的?な解釈のようで、{chi-omare}-to で「{入ってしまう}・沼」となるでしょうか。北海道方言風に言えば「入らさる・沼」なのかなぁ……と思ったりもしますが、なるほどそこから「妖魔の沼」という解釈が生まれたということでしょうか。ヲ 落シ入レル沼ノ意古ヘ土人ヲ此沼ニ 落シ入レ殺シタル處ナリトアイヌ云フ「チヨマトー」ト云フハ急言ナリ
「滝・そこに入る・川」だったりして
ただ改めて陸軍図を見てみると、巨大な湿地があるのはむしろオソベツ川沿いで、支流のチョウマナイ川沿いには湿地らしきものは見当たりません(何故か現在の「地理院地図」では、川沿いに池らしきものが描かれていますが)。{chi-oma}-nay で「{入ってしまう}・川」と考えるよりは、もっと単純に so-oma-nay で「滝・そこに入る・川」のほうが正解に近そうな気もしてきました。so は「滝」だとされますが、これは必ずしも「瀑布」を意味しないとのこと。多少なりとも目立つ「段差」があれば so と呼んでいた可能性がありそうです。
2022年12月2日金曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (32) 「圧倒的な水量の『三段滝』」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
あずましい東屋
東屋には長椅子が用意されていて……2022年12月1日木曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (31) 「歓迎・三段滝」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
それでは、「三段滝」を至近で眺めることにしましょう。駐車場からは、よく整備された階段を降りて……
2022年11月30日水曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (30) 「骨組みだけのお店」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
「三芦トンネル」を抜けると、350 m ほどの S 字カーブを抜けて、すぐに次の「キムントンネル」です。「キムン」は kim-un で「山のほう」という意味なので、「山のほうのトンネル」ということになりますね(まぁ既に山の中なので何を今更……という説もありますが)。
2022年11月29日火曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (29) 「『りゅうちゃん』の幻」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
左カーブを抜けた後は、R = 80 の深い右カーブで再び北に向きを変えると間もなく「桂沢トンネル」です。このトンネルポータルも戦国武将の兜のような形ですね。
2022年11月28日月曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (28) 「桂沢大橋(旧橋)」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
続いて「夕映橋」が見えてきました。「全国Q地図」の「2018 年度 全国橋梁マップ」によると「せきえいばし」と読むとのこと。
2022年11月27日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (991) 「類来・小辰丑」
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類来(るいらい)
「プイラクニ」と「ヌッパシュナイ」はどちらも先週取り上げた地名ですが、なぜ今頃記事にしたかと言うと……三角点名の整理を怠っていたのが原因です(すいません)。
三角点の南側を「人見無川」が流れていますが、明治時代の地形図ではこの川の位置に「ルエラニ」と描かれていました。ru-e-ran-i で「路・そこで・降りる・ところ」と読めそうですが、「地名アイヌ語小辞典」(1956) によると……
ru-e-ran, -i ルえラン 坂;坂の降り口。[<ru-e-ran-i(路が・そこから・降っている・所)]ということで、平たく言い換えれば「峠道の入口」と言ったところでしょうか。「類来」は「ルエラニ」の訛った形ではないか……と思われます。
それにしても、「ルエラニ」が何故「人見無川」になっちゃったんでしょうねぇ……。
2022年11月26日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (990) 「サルボ・ウライヤ・羽留」
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サルボ
JR 釧網本線・塘路駅の北に「エオルト沼」という沼があり、北隣には「ポントー」という沼があります。国道 391 号は「ポントー」の北東で右に大きく進行方向を変えますが、右カーブの途中に「サルボ展望台・サルルン展望台駐車場」があります。
駐車場の北には「サルボ展望台」があり、西に少し歩くと「塘路・サルルン展望台」があります。このあたりの地名が「字サルボ」のようです。
「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。
サルボ 塘路湖の西端。「サㇽ・ポ」でアイヌ語で小さな湿地の意。
「崖」がつきました
永田地名解 (1891) には、少し違った形で記されていました。Sara po pira サラ ポ ピラ 吥坭ノ大崖どちらも sar-po ですが、永田地名解の「
「東西蝦夷山川地理取調図」には「サルフヒラ」という地名が描かれていました。また戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」にも次のように記されていました。
また左りの方
サラフビラ
シヤリブのよし。シヤリは蘆荻原の事也。其処の向ふの平と云儀也。左り小山有、右谷地にて蘆荻原。
「サラフビラ」あるいは「サルフヒラ」はちょっと意味を掴みかねるところがあるので、やはり sar-po-pira で「湿地・小さな・崖」と考えるべきでしょうか。ただ「小さな湿地の崖」というのも妙な感じがするので、sar-pa-pira で「湿地・かみて・崖」あたりでしょうか。これでもまだ違和感が残りますが、sar-pa と -pira の間に -oma あたりがあったのが抜け落ちた、とかでしょうか……?
サルルントー
「塘路・サルルン展望台」の南にある「サルルントー」は、sar-or-un-to で「湿地・の中・にある・沼」あたりかなぁ、と思われます。ウライヤ
JR 釧網本線・塘路駅のすぐ北、塘路湖の湖口のあたりの地名です。地理院地図では見当たらないように思えますが、実は現役バリバリの住所で、郵便番号(〒088-2262)の設定もあります。
狭小住所だからか、古い地図では存在を確認できませんが、「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。
ウライヤ 塘路湖の沼尻のところ。ウライヤはアイヌ語で簗網のこと。この地の人々が簗網で鮭漁をしたところ。
羽留(ぱる)
この三角点が選点されたのは 1992(平成 4)年ですが、当時既に「元村ハウス『ぱる』」が存在していたとのこと。となるとこの三角点の名前も「ぱる」に由来する可能性が高くなるのですが、何故か三角点名は漢字で「羽留」なんですよね。
考えられる可能性は二つで、①三角点の名前をひらがなにするのを避けたかったので「羽留」という漢字表記を考案した、②昔、このあたりを「パル」と呼んでいて、「羽留」という漢字表記も考案されていた、のどちらかかなぁ、と。
仮に「②」であれば……という重大な前提条件がつきますが、par であれば「口」を意味するので、この場所であれば「塘路湖の湖口」を意味していた可能性が高くなります。見事なまでに傍証が無いので、想像でしか無いのですが……。
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2022年11月25日金曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (27) 「お笑い系のクマちゃん」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。
2021 年 9 月時点のストリートビューでは、プレートがそっぽを向いてずれ落ちていました。
青地に赤い矢印
今度は頭上に「注意 急カーブあり」という看板が見えてきました。青地に赤い矢印というのは珍しい組み合わせですが、イマイチ切迫感に欠けるような気も……。2022年11月24日木曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (26) 「鈴鹿の S 字は R = 70」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
トンネルの入口は、まるで戦国武将の兜のような「飾り」がついています。上に積もった雪が路上に落ちないようにする仕掛けだと思いますが、謎にスタイリッシュですよね……。
2022年11月23日水曜日
「日本奥地紀行」を読む (141) 久保田(秋田市) (1878/7/25)
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。
海草による象徴
なんか、いつまで経っても久保田(秋田)を出発しそうにない印象が強くなってきましたが……とうとう天候回復の兆候が見えてきたので、明日は出発しようと思う。
ちょうどこの文を書いたとき伊藤がやってきて、隣の家の人が私の担架式ベッドと蚊帳を見たいと言う。そして例の如く海草(熨斗こんぶ)をつけた菓子を一箱送ってきてあった。
海草は贈り物のしるしである。
イザベラは「日本人は漁業民族の子孫であると信じている」として、次のように続けています。
彼らはそれを誇りとし、恵比須という漁師の神は、家の内に祀る神のうちでもっとも人気のある神の一人である。
ふつうの人に贈り物をするときには海草を一片つけてやり、天子 への献上品には乾かした魚の薄皮(熨斗飽)をつけるというのは、この民族の起原を示すもので、同時に素朴な勤勉の尊厳を象徴している。
午後の訪問者
本筋に戻りますが、イザベラが隣家の人から「のし付き」の「お菓子」をもらったのは、イザベラの「担架式(携帯用?)ベッド」と「蚊帳」を見たいという、ミーハー根性(死語?)丸出しの依頼と抱合せでした。各地で「見世物」扱いされることには辟易していた筈のイザベラですが、意外なことに今回の「訪問者」については OK を出しています。少人数の礼儀正しい客であれば、イザベラにとってもプラスになるという判断でしょうか。
温度は八四度もあるのに、五人の男と二人の少年、五人の女が、私の小さくて天井の低い部屋に入ってきた。
三度平身低頭してから畳の上に坐った。明らかに彼らは、午後をこの部屋で過ごそうと思ってやってきたのである。
イザベラは訪問客に「いつも通りの礼儀作法」で振る舞うように伝えていて、訪問客はイザベラの前で煙草を吸ったりしたようですが、やはりどうしても場の雰囲気は改まったものだったようで……。
彼らは、このような「尊敬すべき 」御旅行の方に会うことができて感謝する、と言った。私はまた御国を多く見ることができたことを感謝した。そして私たちはみな深々と頭を下げた。
イザベラはイザベラなりに、訪問客の興味を惹きそうなコレクションを紹介したものの……
次に私はブラントンの地図を床の上にひろげ、私の旅行のコースを示した。彼らに『アジア協会誌』を見せて、上から下へではなく、左から右へ読むのだと説明した。私の編み物や上等の毛糸編みを見せると、彼らはそれに驚嘆した。
ほかに私は何もすることがなかった。
すると彼らは私をもてなそうとした。
神童
どうやら訪問者の真の目的はイザベラに「神童」を紹介することだった……とのこと。彼は四歳の少年で、頭は上に二房だけ髪を残し他はすべて剃ってあり、異常な思考力と沈着さをうかがわせる顔をしており、年配の人のように堂々と落ちついていた。
もし彼に子どものような話をしたり、おもちゃを見せたり、嬉しがらせようとしたら、それは侮辱であろう。彼が読み書きや歌をつくるのは、自学自習による。彼は一度も遊ぶことはなく、ちょうど大人と同じように何事も分かるのだ、と父親は語った。
私がこの少年に何か書いてくれと頼んでもらいたがっている様子だったので、私はその通り頼んでみた。
書道の神業
「ベッドと蚊帳の見学会」は、何故か「神童による書道パフォーマンス」に早変わりしてしまい……それはおごそかに行なわれた。赤い毛布が床の中央に敷かれ、その上に漆塗りの硯箱が置かれた。少年は硯の水で墨をすり、五フィートの長さの巻紙を四本開き、その上に九インチの長さの漢字で書いた。きわめて複雑な文字であったが、筆の走りもしっかりとして優美であった。
ジョットー(イタリアの画家)が円形を描くときのあのすらすらと的確な筆捌きがあった。
彼は署名して朱肉の印を押し、三度お辞儀をして、書く仕事は終わった。
子ども崇拝
イザベラは「書く仕事は終わった」と書いていますが、実は原文を見ると the performance was ended. となっています。この「書く仕事」は高梨健吉さんによる「不実な美女」だったようですが、実際にこの「神童」は「書く仕事」をしていたようで……人々は彼に掛物 や看板を書かせる。その日も十円〈約二ポンド〉謝礼をもらったという。
父親は彼を京都 まで連れて行って、十四歳未満の子どもで彼ほどうまく書道のできるものがいるかどうか調べたい、と言った。私はこれほど大袈裟な子ども崇拝の例を見たことがない。父も母も、友人も召使いも、彼を王侯貴族のように待遇している。
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2022年11月22日火曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (25) 「何故に『代々木』……?」
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
「車両転回所」の文字が見えますが、ここを右折すると「白銀橋」です。何の案内も出ていませんが、「白銀橋」自体が 2 車線未満の狭隘な橋ですし、橋を渡ったところで林道しかなさそうな感じなので、これで良いのかもしれません(ストリートビューによると、2018 年 5 月時点で「→夕張岳」という案内が追加されているようです)。
2022年11月21日月曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (24) 「白銀橋」
「明石橋」と「千年橋」
「明石橋」を渡った先の右側には車が数台だけ入れそうな駐停車スポット(駐車場)があります(そういえば旧シューパロトンネルの北東側にも同じような場所がありましたっけ)。せっかくなので立ち寄ろうかと思ったのですが、既に先客がいらっしゃるようですね……。2022年11月20日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (989) 「ヌッパシュナイ・コムケップ川・ポンキンマンタワ川」
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
ヌッパシュナイ
標茶町の「字ヌッパシュナイ」と弟子屈町の「ヌプパシュナイ」はほぼ隣接しているので、元はこのあたり一帯が「ヌ
この、謎の「ヌッパシュナイ」ですが、「角川──」に記載がありました。
ぬっぱしゅない ヌッパシュナイ <標茶町>
〔近代〕昭和26年~現在の標茶(しべちゃ)町の行政字名。もとは標茶町大字標茶村の一部。古くはヌッパシュマナイともいった。地名の由来はアイヌ語のヌッパシュナイ(カラスが沢山いる沢の意) によるという。
そこにカラスは居たか
「ヌッパシュナイ」は「カラスが沢山いる沢」だと言うのですが、「ヌッパシュナイ」の中に paskur が含まれると考えるのはちょっと難しいので、paskur(カラス)が pas と略された……ということでしょうか。paskur は pas-kur で「消炭・姿」と分解できそうな気もするのですが、pas はあくまで「木の燃えカス(炭)」でしか無いというのが難点ですが……。ここで「カラス」の一種として nup-paskur のような言い回しでもあれば一発逆転(?)の可能性もあるのですが、知里さんの「動物編」を見た限りでは、そのような言い回しは見当たりません。
となると paskur(カラス)の線を一旦捨てて pas(炭)と考えるべきでしょうか。その場合は nup-pas-nay で「野・炭・川」あるいは nup-pas-oma-nay で「野・炭・そこにある・川」となるでしょうか。「泥炭のある川」と考えることができそうです。
もっと単純に nup-pa-us-nay で「野・かみ・ついている・川」と考えることもできそうですが、これだと「ヌッパシュマナイ」と読むのが難しそうなので、ちょっと無理がありそうでしょうか。
2022年11月19日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (988) 「プイラクニ・奔丹達」
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
プイラクニ
明治時代の地形図には「プイラクニ」という川が描かれていました。地理院地図では「町営牧場」と記されているあたりを流れ、最終的には標茶町の「人見無川」に合流する「左俣川」のことだと思われるのですが、「プイラクニ」は「人見無川」ではなく直接「釧路川」に注ぐように描かれているという大きな違いがあります。
「南弟子屈橋」と「左俣川」の間には非常に緩やかな分水嶺があり、その存在に気づかなかったのかもしれません。「南弟子屈橋」の南で釧路川に合流する支流が「プイラクニ」と認識されていた可能性も出てきます。
謎の「プイラクニ」
「プイラクニ」を素直に解釈すると……「プイラ」は puyra で「激湍」でしょうか。ただ、このあたりの釧路川は幅広の谷の中を蛇行するような状態なので、果たして puyra があったかと言うと疑わしく思えてきます。puy で「穴」という可能性はどうでしょうか。puy-rake-un-i で「穴・低い所・ある・ところ」とすれば一応筋は通りそうな気もします。伏流した川がところどころで穴を開けていた、あたりの可能性が考えられるでしょうか。
puy には「穴」以外にも「エゾノリュウキンカの根」という意味もあります(地名に出てくる puy は寧ろこの解釈のほうが多いような)。puy-rak-ni で「エゾノリュウキンカの根・っぽい・木」と解釈できたりしないか……と考えてみたのですが、これは流石に無理がありますかね。
もしかして「ニクライプ」では?
最後に……実はこれが本命じゃないかと思っているのですが……「プイラクニ」が禁断の左右逆転地名だとしたらどうでしょう。「ニクライプ」であれば nikuri-apa で「林・戸口」と読めるかもしれない……と。前述の通り、「南弟子屈橋」と「左俣川」の間には非常に緩やかな分水嶺があります。鞍部の東西には丘が広がっていて、釧路川から見ると東側(手前側)の丘が上流側の眺望を遮る衝立のようになっていた……んじゃないかと思うのですね。
下流から上流部(あるいはその逆)を見渡すのを遮る地形がある場合に、それを apaで「戸」あるいは「戸口」「入口」と呼ぶケースがちょくちょくあると思っています。たとえば道北の中川郡中川町を流れる「安平志内 川」も apa-us-nay で「戸口・ついている・川」じゃないかなぁ、と……。
奔丹達(ぽんたんだつ)
「丹」は「に」と読む場合もあるので(「
陸軍図を眺めてみると、鉄道の西側にちょうどお誂え向きのサイズの湿地が描かれています。また戊午日誌「東部久須利誌」には「アタツヘツ」という地名が記録されているのですが、残念ながら今回はここで手詰まりのようです。
1917 年(大正六年)に選点された際に「奔丹達」と命名され、その後「読み方不明」ということで慌ててそれらしいルビを振ったのではないかと思われるのですが……。
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2022年11月18日金曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (23) 「消えたバス停」
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消えたバス停
「遠幌」のバス停と信号が見えてきました。このあたりに「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」の「遠幌駅」があった筈で、バス停はその代替として設置されたのかな……と思ったのですが……2022年11月17日木曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (22) 「沼ノ沢駅前」
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信号機には「沼ノ沢駅前」というプレートが取り付けられていましたが……
2022年11月16日水曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (21) 「複線化!?」
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曰くありげな空白
夕張 IC のあたりでは川沿いの崖を避けるために東岸に避難していた国道 274 号ですが、この先の「瑞穂橋」を渡って西岸に戻ります。2022年11月15日火曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (20) 「土手の上には何がある?」
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将来的にこの区間が完成 4 車線になる際には、左側に帯広・釧路方面に向かう車線が追加されることになるのですが、左側の法面はどうするんでしょうね。フェンスの上を通すのでしょうか……?
2022年11月14日月曜日
春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (19) 「通過車は 一旦乗り降りしないで!」
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「通過車は 一旦乗り降りしないで!」
JR 石勝線(元を辿れば「夕張線」ですね)が川沿いを大きく迂回する中、最も後にできた道東道は夕張山地の尾根をオープンカットしてショートカットしています。「動物注意」の看板のほかに、跨道橋にも横断幕が張られていますが……2022年11月13日日曜日
北海道のアイヌ語地名 (987) 「アトシナイ川・熊牛・岩瀬川」
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
アトシナイ川
戊午日誌「東部久須利誌」に次のような記載を見かけたのですが……
また七八丁も上り向ふ岸に
エトシナイ
ヱハシユマイ
等川の西岸に有るよし。
明治時代の地形図にも、それらしい川が描かれているのですが、これは「
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には、次のように記されていました。
アレシナイ
釧網本線南弟子屈駅の北2.5キロ付近で西側から釧路川に流入している。
アッ・ウㇱ・ナィ(at-us-nay オヒョニレ(樹皮)・多くある・川)の意である。
ただ、北隣を「ヌプパクシャイ川」が流れていることもあるので、もしかしたら ar-kus-nay で「もう一方の・横切る・川」とかだったりしないかな……と思ったりも。
2022年11月12日土曜日
北海道のアイヌ語地名 (986) 「オシャマンナイ川・知多伏」
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
オシャマンナイ川
カワウソがいる川?
戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。其向に
イシヤマニウンナイ
東岸テシカヾ人家の後ろに当りて小川有と。イシヤニはエシヤマニの訛り、是獺 の夷言也。ウンはウシの詰言かと思わる。
Isamanun nai イサマヌン ナイ 獺川
どうやら「エシヤマルンナイ」らしい
ということで、カワウソに思いを馳せつつ戊午日誌に目を通していたところ、「東部摩之宇誌」にちょっと気になる記述が見つかりました。摩周湖をグルっと回った際の記録らしいのですが……此上の処同じく周り行に、またしばし過て
エシヤマルンナイラフシ
是エシャマルンナイえ山越道也。エシャマルンナイはテシカヾ川の上の小沢也。是え此処より沢まヽ下る時は、雪の節一日にてテシカヾ(え)出ると聞けり。
ráp-us-i らプシ 降り道のある所。[人々が降り・つけている・所]ということなので、「エシヤマルンナイラフシ」であれば「エシヤマルンナイ」川筋に降りるところ、ということになりますね。
随分と回りくどい書き方になっていますが、要は「摩周湖の外輪山から弟子屈に向かって『エシヤマルンナイ』という川が流れていた」ということになります。この「エシヤマルンナイ」が「イシヤマニウンナイ」になり、挙句の果てには「オシャマンナイ川」になってしまったのでは……と思われるのです。
「イシヤマニウンナイ」であれば esamani-un-nay で「カワウソ・いる・川」と読めますが、「──ルンナイ」であれば -ru-un-nay で「・路・そこにある・川」と読みたくなります(実際に川沿いが弟子屈に向かう路だったと見られるので)。
「坪の沢川」か「松尾川」か
そしていつものように、ここで大きな問題点にぶち当たります。現在の「オシャマンナイ川」を遡ったところで、名称不明の山(「知多伏」三角点が存在する)が存在するため、どう転んでも摩周湖には辿り着けないのですね。摩周湖の外輪山から弟子屈に向かう川としては、「オシャマンナイ川」の西隣を流れる「坪の沢川」か、「オシャマンナイ川」の南東を流れる「仁多川」の支流である「松尾川」の可能性が考えられます。ただ、「東部摩之宇誌」には「イタトロマブラブシ」という地名が記録されていて、これが「松尾川」に降りるポイントだと考えられるのですね。
もっとも、この比定にも大きな問題があって、「東部摩之宇誌」では「イタトロマブラブシ」が「エシヤマルンナイラフシ」よりも *北* の地名として記録されています。摩周湖の外輪山から弟子屈の市街地に向かう川筋は「エシヤマルンナイ」と「イタトロマブ」(=「ニタトロマフ」、即ち「仁多川」と考えられる)しか無いわけで、これは「東部摩之宇誌」が南北を間違えて記録したと考えるしか無いのですが……。
ということで「エシヤマルンナイ」は現在「坪の沢川」と呼ばれる川のことと考えられるのですが、この川は「知多伏」三角点が存在する無名峰の北麓を流れています。この無名峰自体が samatke-nupuri(横たわっている・山)と呼べそうな形なのですが、その北麓を流れるということは e-samam-ru-un-nay で「頭(水源)・横になっている・路・そこにある・川」と考えられるかな……と。