(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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養老牛(ようろううし)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
標津町西部、計根別から見て北西に当たる一帯の地名ですが、元々は標津川を北に遡ったところにある「養老牛温泉」から出た地名のようです。この「養老牛温泉」、何故か「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしい地名(川名)が描かれていませんが、明治時代の地形図には「ヨローウシ」と描かれています。
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。
アイヌ語エ・ウォル・ウㇱ(頭を水につっこんでいる)で養老牛温泉のところの標津川の中に、立岩が頭を水にささるように立っているのに名付けたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.278 より引用)
ふむふむ。e-wor-us-i で「頭・水・つけている・もの」と考えたのですね。どこかで聞いたことのある解ですが、東川町の「江卸」と同じではないかと考えたようです。一方で、山田秀三さんは「北海道の地名」(1994) にて次のような説を検討していました。
この地名の形だと,①イウロウシ(iwor-ush-i 狩猟地・にある・川)②エオルシ(e-or-ush-i 頭が・水に・ついている・もの→山の出先が水辺に突き出ている処)③イオロウシ(i-oro-ush-i それを・水につける・いつもする・処)のような形が考えられる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.234 より引用)
どれも「ありそうな形」ですが、② は更科さんの説と同じですね。ただ山田さんは……たぶん最後の形で,虹別の辺のコタンの人たちがおひょう楡とか,いらくさとかの皮を,繊維を採るために,温泉につけてうるかした場所だったのでこの名で呼ばれたのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.234 より引用)
どうやら ③ の、i-woro-us-i で「それ・うるかす・いつもする・ところ(川)」ではないかと考えていたようです。個人的には ② の更科説の可能性も捨てがたいのですが、「温泉である」という点で ③ の「樹皮をうるかす説」の可能性が高そうでしょうか。シタバヌプリ山
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
標津川沿いにある「養老牛温泉」の西隣には、パウシベツ川沿いに「パウシペツ温泉」がある……とのこと(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名」(1995) p.397 より)。この温泉からパウシベツ川を遡ると「シタバノボリ川」と「シタバノボリノ沢川」という北支流があり、両支流の間に「シタバヌプリ山」が聳えています。この「シタバヌプリ山」は 500 m ほど離れた位置に二つの主峰を持ち、南東側の頂上付近に「余呂牛」という名前の三等三角点があります(標高 602.7 m)。なお北西側の主峰の標高は 640 m ほどあるようですが、「シタバヌプリ山」の標高は 602.7 m、というのが正解になるんでしょうか……?
さて、この山の名前はどう考えたものか……と思ったのですが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」に次のように記されていました。
ちなみにシタバヌプリは(sitaxpa-nupuri やけどをする・山)の意で禿山をさしている。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.397 より引用)
お、おう……。sitaxpa という語は記憶にないのですが、x が入るということは樺太アイヌ語でしょうか。北海道のアイヌ語だと sitappa あたりかな……と思って調べてみると、うわ、確かに「アイヌ語方言辞典」(1964) に「やけど」を意味する宗谷方言として記載されていますね!(p. 30)ということで、「シタバヌプリ山」は sitappa-nupuri で「やけど・山」ではないかとのこと。「禿山」が「やけどした山」というのも(個人的には)納得の行くものです。
もし「やけど」では無かったならば…… si-tepa で「大きな・ふんどし」という可能性を考えていました。「シタバノボリ川」と「シタバノボリノ沢川」の間に聳える山容が「ふんどしみたいだなー」というもので、決してふんどしの中のことは考えてはいけないわけで……(何を言っているのだ)。
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