(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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紅蔦露(こうつたろ)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
標茶町西部、字コッタロの北に位置する二等三角点の名前です(標高 123.3 m)。凄まじく出オチですが、「ということで「コッタロ」ですが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。
また同じ様成処十丁計も過て右の方
コツタロ
と云小川有。其上に少し水の涌処有る也。メンカクシの申には此処名、コンタル 小樽の訛りし也と云。またトウロのケンルカウスの申にはコツタロ也と。コツは川の形也、其上に小さき樽程の水涌壺有りと云儀と云。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.481 より引用)
「コツは川の形なり」と「水の湧くところあり」からは kot-ta-or で「窪み・汲む・ところ」と考えられそうな気もします。湧き水については正直なんとも言えないのですが、湿原の中に台地がせり出したような地形に見えるので、kut(喉口)の taor か、kot(窪み)の taor のように見えます。現在の「コッタロ」のあたりは、川沿いの湿地よりは高く、周りの山よりは低い位置にあるのですが、やはり湿地から見ると小高い場所なので、taor は「川岸の高所」と見るべきでしょうか。kut-taor で「喉口・川岸の高所」か、kot-taor で「窪み・川岸の高所」と考えたいです。
威可牛(いかうし)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「コッタロ川」の東隣を流れる「ヌマオロ川」沿いの「ヌマオロ原野」には「標茶町立沼幌小学校」があるのですが、小学校から 1.5 km ほど東に「威可牛」という名前の三等三角点があります。現時点でわかっているのはこれだけ……だと思ったのですが、明治時代の地形図に、「威可牛」三角点から 2.5 km ほど東北東に「イカウシ」と描かれていたことに気づきました。てっきりヌマオロ川沿いの地名だと思ったのですが、隣の「オソベツ川」(オソツベツ川)沿いの地名だったとは……。
意味するところは ika-us-i で「渡渉する・いつもする・ところ」で良いと思います。このあたりは「オソベツ川」の東西の山が比較的(と言っても僅かですが)近接していて、オソベツ川とまわりに広がる湿原を横断するのに適した場所だった……あたりでしょうね(これで移転地名だったりしたら目も当てられませんが)。
平宇取(ぴらうとる)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
「シラルトロ沼」の東北東、「塘路湖」の北北東、(塘路湖に注ぐ)「オモシロンベツ川」と(シラルトロ沼に注ぐ)「シラルトロエトロ川」の間あたりに「「平宇取」は pira-utur で「崖・間」だと思われるのですが、古い地図にはその存在を全く確認できませんでした。pira-utur は日高の「平取」以外にも道内のあちこちにあったと思われるのですが、ここもその一つだった可能性がありそうです。
繰幌間内(くるほろまない)
(??? = 記録なし、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「忘れ去られた三角点名」シリーズの第三弾です(いつの間に)。JR 釧網本線の標茶駅からは、かつて根室標津駅まで「JR 標津線」が伸びていました(1989(平成 1)年廃止)。標茶駅と泉川駅(跡)の中間あたりに「標茶町の町域はちょっと不思議なことになっていて、お隣の厚岸町から別寒辺牛川の西側を編入したり、摩周湖の南東に位置する虹別のあたりを編入したりしているため、釧路川流域に属さない場所が少なからず存在します。今回の「繰幌間内」三角点も町境からは離れていますが、釧路川流域と別寒辺牛川流域の分水嶺上に存在しています。
現時点では「くるほろまない」の元ネタ?は皆目不明ですが、別寒辺牛川に「イラルマニウシ」という支流が存在していた記録があります。これは e-{rarma-ni}-us-i で「水源・{イチイの木}・群生する・もの(川)」と読めそうなのですが、現在「別寒辺牛川」とされる流れがかつての「イラルマニウシ」だったとすると、もしかしたら……といったところでしょうか。
日頃から無理のある仮説を立てることでは定評のある(ぉぃ)弊サイトですが、今回は輪にかけて酷いですね(自分で言うな)。まぁ、万が一の可能性にかけて……ということで何卒ご容赦を。
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