2022年11月13日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (987) 「アトシナイ川・熊牛・岩瀬川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

アトシナイ川

at-us-nay?
オヒョウニレの樹皮・ある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
弟子屈町南部、サンペコタンの北を流れる川で、釧路川の西支流です。地理院地図には川として描かれていますが、川名の記入はありません。「東西蝦夷山川地理取調図」にもそれらしき川は見当たりません。

戊午日誌「東部久須利誌」に次のような記載を見かけたのですが……

また七八丁も上り向ふ岸に
     エトシナイ
     ヱハシユマイ
等川の西岸に有るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.429 より引用)
この「エトシナイ」が「アトシナイ川」のことである可能性もありそうですが、前後の記録を「午手控」や「東西蝦夷山川地理取調図」と照らし合わせても矛盾する点が散見されるため、若干の疑問も残ります。

明治時代の地形図にも、それらしい川が描かれているのですが、これは「?タ?シナイ」と描かれているようにも見えます(最初の文字は「ア」のように見えますが、何か違和感もあるんですよね)。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には、次のように記されていました。

アレシナイ
 釧網本線南弟子屈駅の北2.5キロ付近で西側から釧路川に流入している。
 アッ・ウㇱ・ナィ(at-us-nay オヒョニレ(樹皮)・多くある・川)の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.311 より引用)
at-us-nay で「オヒョウニレの樹皮・ある・川」とのことですが、まぁ、素直に読むとそうなりますよね。at-kar-us-nay で「オヒョウニレの樹皮・剥ぐ・いつもする・川」となるケースが多い印象がありますが、kar- が抜け落ちて at-us-nay となったと見受けられるケースもあるので、あり得ない形では無さそうでしょうか。

ただ、北隣を「ヌプパクシャイ川」が流れていることもあるので、もしかしたら ar-kus-nay で「もう一方の・横切る・川」とかだったりしないかな……と思ったりも。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

熊牛(くまうし)

kuma-us-i?
棒状の山・ついている・もの(ところ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
2020 年 3 月に廃止された「南弟子屈駅」のあたりの地名です。折角なので、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  南弟子屈(みなみてしかが)
所在地 (釧路国)川上郡弟子屈町
開 駅 昭和 4 年 8 月 15 日 (客)
起 源 この地方はむかしアイヌ語で、「クマ・ウシ」(魚を干すたなの多い所)といったが、旧河西鉄道に同音の駅名があったので、「弟子屈」の南方にあるため「南」をつけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.162 より引用)
なるほど。「南弟子屈駅」が「熊牛駅」を名乗れなかったのは既に十勝の清水町に「熊牛駅」があったからなのですね(南弟子屈駅の開業が 1929 年で、河西鉄道の熊牛駅が開業したのが 1925 年とのこと)。

既に「熊牛」の意味についても答が出てしまっていますが、念のため永田地名解も見ておきましょうか。

Kuma ushi   クマ ウシ   魚乾樂多キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.343 より引用)
「楽」というのがちょっと謎なのですが、Wiktionary によると「樂」は「木」に繭のかかる様を表した象形文字に由来するとのこと。kuma は物干し台に物干し竿を架けたような「乾棚」のことで、柱(木)に物を引っ掛けるという点で「樂」の字と似ている……ということなんでしょうか。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

クマウシナイ
熊牛
 釧網本線南弟子屈駅付近の釧路川沿いがクマウシ、駅の北側を通っているのがクマウシナイである。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.310 より引用)
明治時代の地形図を見た感じでは、現在「共栄川」と呼ばれる川が「クマウシナイ」だったようにも見えますが、この川は駅(跡)の南側を流れているんですよね。駅(跡)の北を流れる「秋田川」はかつての「オン子ナイ」だったと考えられるので、ちょっと不思議な感じもします。

 クマ・ウㇱ・ナィ(kuma-us-nay 肉乾棚・多くある・川)の意。「クマ」は両方に柱を立ててその上に横棒を渡し、それに肉をかけて干す施設である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.310 より引用)
とりあえず kuma-us-i で「乾棚・ある・ところ」と見るしかなさそうですが、改めて考えてみると「魚を乾かす棚に適したところ」というのも若干意味不明な感じもします。魚の干物を作るのに「ここはいいけどここはダメ」となる理由が、今一つピンと来ないんですよね。

この辺はかつて鮭が沢山とれた。松浦久須利誌では、「クスリ(釧路)の人々等毎年来りて鮭をとり、其を干したる棚を造りし処なり」と、当時は人家 1 軒あったことなども書かれた。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.310 より引用)
ふむ、先程の疑問に対しては「好漁場だったので」ということのようですね。ただ、戊午日誌「東部久須利誌」を当たってみたところ、それらしい記述を見つけられなかったんですよね(見落としたのかなぁ)。

知里さんの「地名アイヌ語小辞典」には次のようにあります。

kuma クま ①両方に柱を立ててその上に横棒を渡し,それに肉をかけて乾す施設;肉乾棚。②横山。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.53 より引用)
横山たかし横山アキラも鬼籍に入ってしまい寂しい限りですが、「──小辞典」には

この語はクワ(杖)と同じく本来は棒の意味であった。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.53 より引用)
とあり、更に続きをよーく見てみると……

棒状に細長くのびている平磯を「そークマ」(so-kuma)と云い,棒のように横たわ っている山を kuma,si-kuma,kuma-ne-sir などと云い,横山のような波を「クまネリㇽ」(kuma-ne-rir 横棒・のような・波)と云うのもすべて棒の意味から出たのである。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.54 より引用)
とあります。南弟子屈のあたりには南北に棒が横たわっているような山がいくつもあり(町境のあたりの国道沿いの山とか、見事に「まっすぐ」ですよね)、実はこれらを「乾棚」に見立てて kuma-us-i で「棒状の山・ついている・もの(ところ)」と呼んだんじゃないか……という気がするんですよね。

岩瀬川(いわせ──)

iwan-nay?
六つの・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
最後にちょっと謎な川の話題を。もしかしたら「クマウシナイ」じゃないかと目される「共栄川」の西支流に「岩瀬川」という川があるのですが、明治時代の地形図には似たような位置に「イワンナイ」という川が描かれていました(岩瀬川とは異なり、釧路川に直接注いでいますが)。

流石にこの場所で「硫黄」は無いかなと思われるので、これは一体何だろう……と思ったのですが、南弟子屈駅(跡)の北東の斜面にとても浅い谷がいくつも並んでいることに気が付きました。

これはもしかして iwan-nay で「六つの・川」だったりしないかな……と。「イワンナイ」という川があったという以外、何の手がかりも無いのですけどね。

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