2022年11月10日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (17) 「追分『町』IC」

道東道の「追分町 IC」にやってきました。IC の直前に市町界があり、ここからは勇払郡安平町です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。

安平町のカントリーサインは「競走馬」と「雪だるま」をモチーフにしたものでしょうか。「雪だるまゆうパック」という商品がある……というところまでは何となく認識していたのですが、今では郵便局の名前も「早来はやきた雪だるま郵便局」で、しかも雪だるま型の郵便ポストもあるのだとか。
ん、このフォント、よく見たら「公団ゴシック」だったりしますか?

追分「町」IC

「追分町 IC」の前後の追い越し車線を疾走します。広域情報には「国道 274 号日勝峠 通行止」の表示が出ていますね。
IC 名は「追分町」ですが、表示は「追分 三川」です。書体が丸ゴシックなのが目を引きますが、よくよく考えると「追分 IC」というネーミングもなかなかユニークなものですね。
「追分町 IC」のすぐ南には、鉄道の要衝として知られた JR の「追分駅」があります。このあたりはかつての「勇払郡追分町」で、2006 年 3 月に「勇払郡早来町」と合併して「勇払郡安平町」となりました(余談ですが、追分町の前身の「追分村」は後の早来町である「安平村」から分村していて、早来町との合併で 54 年ぶりに元の鞘に収まったことになります)。

このあたりの道東自動車道が開通したのは 1999 年 10 月で、「追分町 IC」が設置されたのは「勇払郡追分町」が存在していた時期でした。でも、なぜ「追分 IC」ではなく「追分 IC」となったのかは……謎ですね。

最後の給油所

「追分町 IC」を通過すると、程なく暫定 2 車線区間に戻ります。追い越し車線との別れはいつも寂しいものですね。
暫定 2 車線区間に戻ります。緑色の看板には夕張 IC・むかわ穂別 IC への距離と、帯広までの距離が出ていますが……あ、これは今風の「ヒラギノ角ゴ W5」でしょうか。
高架橋の上には「由仁 PA 給油所 8:00~20:00」と出ています。「由仁 PA」の左には赤い文字で「最後の給油所」と書いてあるように見えますが、日光を反射してしまっているのか、それとも色が剥げているのか、全体的に視認性が良くないですね……。
念のため Google ストリートビューで確認してみたのですが……


色が剥げているのも事実ですが、反射の影響もありそうですね。いずれにせよ視認性が良くないということは間違いなさそうです。なお 2018 年のストリートビューによると、この横断幕の地の色はもともと黄色だったとのこと。今は真っ白にしか見えないので驚きですよね。

エコブロック

このあたりの中央分離帯は可倒式ポールとブロックが設置されているだけです。ただ、ここのようにブロックが置かれていない場所もあるのですが、除雪車輌の転回場所とかでしょうか……?
このブロックは一見コンクリートのように見えますが、実は再生プラスチックでできているらしく、凍結によるヒビ割れの心配も無いそうです。ただプラスチックだと放っておいても経年劣化しそうなものですが、10 年程度はもってくれるのでしょうか……?

由仁 PA で休憩

さて……相変わらずのピンボケ写真ですが(すいません)……今度は道路の左脇に犬のイラストと「由仁 PA で休憩」の文字が。道東道では十勝平原 SA に「ドッグラン」があったと記憶していますが、由仁 PA にドッグランはありましたっけ……?
全く同じデザインの看板がありました。なんかもの凄い圧力を感じますね……。
「由仁 PA」まであと 1 km ですが、いつもの看板の下にわざわざ「道東道 最後の給油所」とあります。まるで映画のサブタイトルのようですが、実は最初にして最後、唯一の給油所なんですよね。

幾度となく畳み掛ける「由仁 PA で 休 憩」

中央分離帯が復活し、追い越し車線のすぐ手前までやってきましたが……またしても「由仁 PA で 休 憩」の看板が。
そして「追越車線 1500 m」の看板ですが……あ、丸ゴシックが復活ですね。
追い越し車線が復活し、正面には夕張山地の山々が見えてきました。道東道を横断する橋のすぐ先が「由仁 PA」の入口です。

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