(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
オテシカウシナイ沢川
(典拠あり、類型あり)
弟子屈の市街地から鐺別川を西に遡ると「シケレベンベツ川」という南支流があり、シケレベンベツ川の北西に「志計礼辺山」という山があります。「オテシカウシナイ沢川」は「志計礼辺山」の北西を流れて鐺別川に合流する南支流です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲ
またしばしにて
ヲテ シカウシナイ、左り小川。此辺川中小石のみにして水勢チヤラチヤラと流れ落るよし。よつて号るとかや。早くもと(云う)時はチヤラセナイと云儀也。此処の上にて川三股になるよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.432 より引用)※ 原文ママ
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」にも次のように記されていました。オ・テㇱカ・ウㇱ・ナィ(o-teska-us-nay 川尻に・岩盤・ついている・川」の意である。岩盤はこの沢にはなく、本流に岩盤がつきそこが川尻なのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.323 より引用)※ 原文ママ
どうやら素直に o-teska-us-nay で「河口・ヤナ状の岩盤・ある・川」と見て良さそうですね。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ソーウスベツ沢川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「オテシカウシナイ沢川」が「鐺別川」に合流する地点から 0.5 km ほど西に遡ったあたりで「トクシンウシ沢川」が北から合流しているのですが、「ソーウスベツ川」は「トクシンウシ沢川」の北支流(東支流)です。毎度のことながら説明が下手くそで申し訳ありません……。この「ソーウスベツ沢川」は地理院地図での表記で、国土数値情報では「ソウスベツ沢川」となっています。川沿いには「臼別林道」が通っています。
戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。
其右の方に有るを
ヌサウシナイと云。是土人等山猟に来りてエナヲを立て山霊を祭る処なるが故に号るとかや。又左りの方
ソウシベツ、此川に滝有るによつて号るとかや。また中の川すじは
ノホリサンクシヘツと云。是山より落来ると云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.432 より引用)※ 原文ママ
この「ソウシベツ」が「ソーウスベツ沢川」ではないかと考えたくなるのですが、前後関係含めて色々と混乱が見られるようです。現在の川名は鐺別川となっているようですが、これを明治時代の地形図の内容に置き換えると
└─トクシンウシ沢川(右支流)
├─ソーウスベツ沢川(右支流)
├─滝の沢川(右支流)
└─銀の沢川(右支流)
トペッとなります。この内容を更に「東部久須利誌」の記述と照らし合わせると、「タン子トユヨマペツ」の上流部が「ノホリサンクシヘツ」になるのは良いとして、「左りの方 ソウシベツ」とはならないんですよね。
└─タン子トユヨマペツ(右支流)
├─ソーウシユペツ(右支流)
├─オサウㇱナイ(右支流)
└─トクシシウシ(右支流)
ということで、松浦武四郎が記録した「ソウシベツ」と現在の「ソーウスベツ沢川」が同一の川であるかどうかは疑わしいのですが、意味するところは so-us-pet で「滝・ついている・川」と見て良いかと思われます。
たまに「ソーウスベツ沢川には滝はありません」というような指摘をいただくのですが、こんな感じでうっかり川名がズレている(かもしれない)ケースが少なくないので……。今回の例だと「トクシンウシ沢川」も本来の位置とはズレてしまってますよね。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
アカンヨマベツ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「トクシンウシ沢川」の南隣を「ポンヌプリサンマクツベツ川」という名前の川が流れているのですが、「アカンヨマベツ川」は「ポンヌプリサンマクツベツ川」の南支流だ……とされています。ただ、明治時代の地形図を見てみると、「鐺別川」に「花苦志辺川」が合流する地点の上流側に「アカンヨマペツ」と描かれていて、「ポンヌ
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。
アカンヨマペツ
鐺別川上流の左股の川で、上手には国道241号の夕映橋がある。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.326 より引用)※「鐺」は金へんに「当」
あー。やはり「奥二股」の *南* の国道 241 号沿いの川が「アカンヨマペツ」と認識されているようですね。国土数値情報では「奥二股」の *北* の川を「アカンヨマベツ川」としているのですが、これが諸悪の根源でしょうか。アカン・オマン(又はオマ)・ペッ「akan-oman (oma) -pet 阿寒・に行く(に入る)川」と解したい。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.326 より引用)
そうですね。{akam}-oma-pet で「{阿寒}・そこに入る・川」と見て良いかと思われます。様串別(さまくしべつ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
鐺別川(かつて「アカンヨマペツ」と呼ばれたと思われる川)と「ポンヌプリサンマクツベツ川」の間に「奥二股」という山が聳えているのですが、その頂上付近に「この三角点名は「ポンヌプリ
問題はこの「ノホリサンクシヘツ」の位置が不明なところで、現在の「トクシンウシ沢川」が「ノホリサンクシヘツ」に相当する可能性が高いのでは、と思われるのですが……。
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