【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
階段脇には「旧プラネタリウム投影機」が展示されていました。プラネタリウムの「本体」を間近で見ることはあまり無いので、なかなか貴重な感じがしますね。
2022年10月31日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月30日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
またしばし過西岸
チヤテケレナイ
小川、急流。上高山に成たり。此沢両岸より樹の枝多く出て有る故に、両手にて其枝を手にて刎のけのけして沢まヽを上るが故に号るとかや。
Chatekere nai チャテケレ ナイ 樹林ノ傍ナル川 河側ノ樹木茂生スル處大筋では似た解と言えそうでしょうか。その後「テケレ」が「ランケン」に化けて現在に至る……と言ったところでしょうか(ん、「ラ」と「ケ」の間の「ン」はどこから出てきた?)。
cha-tek(-e) cha を構成する個々の小枝。柴の枝。<cha(柴)tek (手)。── tek わ,もと“手”の義であるが,木に就いて云う時わ“枝”をさす。ni-tek“木の手”すなわち“木の枝”, has-tek “小枝の手”すなわち“小枝の枝”,等。樹枝のことを「にモン」ni-mon とも云うが,これも“木の手”の意味である。
これわ木の幹から枝の出ている恰好が人間の體から手の出ているのに似ているから譬喩的に手と云ったのでわなく──その様な譬喩でわなく──アイヌわ實際枝を樹の手と考えていたのである。
サットモナイ
国道243号の札友内橋のすぐ下手を、西側川から釧路川に流入。
チャラケレナイ
札友内川(地理院・営林署図)
札友内五十二線のすぐ上手で、西側から釧路川に流入している。地理院図や営林署図は、この川を札友内川と記入してあるが、これはまちがいであろう。松浦山川取調図は美留和川の下手にサットムマナイが記されており、これは官林境界図や実測切図(北海道庁・20万分図)と一致している。
また並びて
サツトムマナイ
本名シヤリヲマナイと乙名メカンカクシは云也。此川の上に蘆荻原有と云。またコロコ、タンコアイノ等申には此川谷地中を潜り来るによつてとも云。少しの異り有るなり。
Sattamoma nai サッタモマ ナイ 吥坭ノ間ニアル川
またしばし過て山道
ラウクシナイ
溪間の小川也。沢ふかきよりして号く。ラウは深し、クシは在る儀。深く在る沢と号し也。
Raru kush nai ラル クㇱュ ナイ 潜流川 川尻ニ至リ地中ヲ潜流ス故ニ安政帳「オラルクㇱュナイ」ニ作ル
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月29日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
美留和(びるわ)
所在地 (釧路国)川上郡弟子屈町
開 駅 昭和 5 年 8 月 20 日
起 源 駅の近くにある美留和山という小山を、アイヌ語で「ペㇽケ・ヌプリ」(さけた山)とも、「ペㇽケ・イワ」(さけた岩山)とも呼び、そのふもとを流れる川を「ペㇽケ・イワ・ナイ」と呼んでいたのを、ペレイワナイから、ペルアとなり 「美留和」という漢字に定着したものである。
美留和駅(びるわ)
所在地 釧路国川上郡弟子屈町
開 駅 昭和五年八月二十日
起 源 アイヌ語「ペル・ワアン・ペッ」(泉池・ある・川)から出たものであると思われる。
Pe rua ペ ルア 泉 清泉岩中ヨリ涌出スpe が「水」だというのは理解できるのですが、rua の正体が良くわからないですね。「雨」を意味する ruanpe という語があり(方言かも)、久保寺逸彦さんの「アイヌ語・日本語辞典稿」には ruan kamui ne で「昇天ノ神ノ如ク」とあるので、ruan には「天に上る」という意味があるのかもしれません。
また少し上りて東岸
ヘ リウ
川巾五六間も有りと云。此川の奥弐十丁計に一ツの沼有、其上に一ツの丸山有りしによつて号ると聞侍るなり。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月28日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月27日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月26日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月25日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月24日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月23日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
オプタテシケヌプリ
屈斜路コタンの東の五〇〇㍍級の山。槍が肩をそれた山の意。藻琴山と槍投げをしたという伝説がある。
石狩川と十勝川の水瀕の間にある有名なオプタテシケと同名である。オㇷ゚・タ・テㇱケ・ヌプリ(op-ta-teshke-nupuri 槍が・そこで・はねかえった・山)の意だろうか。
アイヌ古老八重九郎翁の話。「オプタテシケは女山で,トイトクシペ(藻琴山)は男山だ。女は位があるので,ためしに槍を投げたら槍がテㇱケ(それる)して眠っている摩周湖ヌプリに剌さって其の跡が赤い血の沼になった云々」。
オプシワ
石狩別川(営林署図)
札友内の北端(五十五線)から美留和集落に向かう農道に沿って、北東から釧路川に流入している。営林署図の石狩別川は、弟子屈町史「エシカリベツ」のことであろうが、オプシワ(町史はウプシワ)とは別の川なのである。
並び東岸に
ウブシワ
形計の小川、上に谷地有て地味前に同じ。此辺川端に椴有。山の方に椴無が故に号るもの也。
石狩別川はエシカリ・ペッ(つかむ・川)で、知里地名小辞典は「エシカリ 原義は“つかむ”であるが、川について言えば水源がもぎとったように急に地中に消えてしまっているのを云う」とある。この川の上流は、直角に近い形で曲がっており、川下から川上に向かって行くと、突然先が見えなくなってしまう川なのであった。
ポンヌプリ
石山(地理院図)
本登(営林署図・三角点名)
美留和市街の2.2キロ北の釧網本線沿いに位置している、標高252㍍元の独立した小山。
ポン・ヌプリ(pon-nupri 小さい・山)の意である。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月22日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
其東を
ホントウロ
此処湾の中に一ツの沼有り、其を云よし。
ポントー
屈斜路集落和琴小学校の東側で湖岸に沿った小沼である。
ポン・トー(pon-to 小さな・沼)の意で、かつてはこの辺の集落もポントーと呼ばれていた。
また並びて
モヨロクシサツテクナイ
モヨロとは湾なり、クシは有、サツテキナイは乾た川と云儀也。其川の上に
サツテキナイイトコ
モヨロクシサツテキナイイトコ
等二ツの椴山有。其うしろセチリの川すじに成よし。
並びて
サツテクナイ
〔欄外〕サツテク 此川乾たる故に号る也。
ヌプリオントー
登音洞
釧路川の出口から下流1.6キロ付近の、尾根筋が川に突出したところの地名である。
ヌプリ・オント(nupuri-onto 山の・尻)で山のふもと、山裾の意である。
nupuri-onto(-ke) ヌぷリオント 【H 北】原義‘山の尻’。山のふもと。
オパシアンヌプリ
花輪山(営林署図)
釧路川は出口から下流1.7キロ付近で右岸の崖につき当たる。この崖の山の三角点名花輪山(233.2㍍)がオパシアンヌプリである。
オ・パ・ウㇱ・アン・ヌプリ(o-pa-us-an-nupuri 尻を・川下に・つけて・いる・山)の意である。
osor-kot オそㇽコッ(オしョㇽコッ) osor は「尻」,kot は「くぼみ」,尻餅をついた跡のくぼみの意。各地に Osorkochi〔オそㇽコチ, オしョㇽコチ〕という地名があり,海岸の段丘を尻餅の跡の形にくりぬいたような窪地にその名がついている。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月21日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月20日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月19日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月18日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や営業時間などが現在と異なる可能性があります。
2022年10月17日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月16日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
イクルシベ山
尾札部川の奥にある山。元々はこの山から流れる尾札部川の支流の名で、ユㇰ・ルペㇱペ(鹿の越す路)といい、ここを越して鹿が阿寒の山からおりて来たり越えて行ったりした。
サマッケヌプリ 897.9 ㍍ 屈斜路湖の西南,津別町との境界をなす山。アイヌ語で横になっている(川に直角にのびている)山の意。
サマッケ・ヌプリ(samakke-nupuri 横臥している・山)の意で、屈斜路湖尻のコタン集落付近から見ると、枕をして寝ているように見える山である。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月15日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
chise-ne-sir, -i チせネシㇽ 家の形をした山の義。ただし,ここで家と云っているのは,今のアイヌの家ではなく,古い時代のアイヌの家で,竪穴形式のものをさしているのである。それをアイヌは 「とィチセ」(toy-chise 土・家)とよぶのであるが,家の本体は地中に埋もれていて外部から見えず,地上に見えているのはその屋根の部分だけである。
そこで,‘家の形をした山’といっても,現実に見られる山は,今われわれがその名によって想像するような側壁のある家の形をした山ではなく,側壁の無い,屋根だけを持って来て地上においたような形の,いわば三角山である。
営林署図の三角点名背根登りはアイヌ名のチがぬけた形の当て字である。
イワタヌシ
岩田主〔山〕(地理院図・営林署図三角点名)
ポンイワタヌシ
和琴小学校の南に位置し、標高606㍍(地理院図)がイワタヌシ、尾札部川の対岸で、この山の北西に位置しているのがポンイワタヌシである。
イワ・タ・ニ・ウㇱ・イ(iwa-ta-ni-us-i 山・に・木・群生している・所)の意である。この山は国道 243 号からよく見え、昭和 30 年(1955)頃までは、中、大経木のうっそうとした針葉樹林であった。「密林の山」とでも解すべきであろう。ポンは(pon 小さい)の意である。
アイヌ時代の杵(イ・ウタ・ニ。それを・つく・木)は昔風の竪て杵で,手で持つ処が細くなっている。この山は細長い独立山で両側が高く,間が低いので,竪て杵を横に置いた姿に見たててこの名がつけられたか。
-nupuri ではなく -us-i なのも若干謎ですが、{i-uta-ni}-us-i は {i-uta-ni}-nupuri から流れる川の名前で、いつの間にか主客転倒して山の名前に収まってしまった……と考えれば(ちょっと強引な考え方ですが)一応なんとかなるかな……と。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月14日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月13日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月12日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月11日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月10日月曜日
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。
彼は一番良い英語を話したがる。その言葉は俗語だとか、「ふつう 」の言葉だと言うと、彼はその語を使うのをやめる。
数日前に、「今日はなんて美しい日でしょう」と言うと、すぐ彼は手帳を手にとって、「美しい日、とおっしゃいましたが、たいていの外国人が言う、おそろしく良い天気だ、よりも良い英語ですか」ときいた。私がそれは「ふつう 」の英語だ、というと、彼はその後しばしば「美しい 」という言葉を使った。
また「質問をするとき、いったいそいつは何だ、と他の外国人が言うのですが、あなたは決して言いませんね。男はそう言ってよいが、女はそう言ってはいけないというのですか」。
そこで私が、それは男性も女性も使うのはよくない、それはごく「ふつう 」の言葉だ、と答えると、彼は自分の帳面からその語を消してしまった。
初めのうち彼は、いつも男のことを「やつ 」と言った。「あなたのクルマをひくやつは一人にしますか二人にしますか」とか、「やつらと女たち」というふうに。
横浜の多くの外国人の習慣のために、言葉の使い方が正しいか間違っているかを区別することが──たとえ彼が少ししか区別しなかったとしても──消えがちとなる。
彼は、酔った人を見た、と私に言いたいときには、「英国人のように酔っぱらったやつ」といつも言う。日光で私が彼に、日本で男子は何人合法的な妻をもてるかをきいたら、「合法的な妻は一人だけで、養えるだけの数の他の妻〈メカケ〉をもてるちょうど英国人と同じように」と答えた。
彼は、間違いを訂正することを決して忘れない。それは俗語だと注意するまで、彼は酪酎した人を「ぐでんぐでん 」といつも言っていた。
彼に「酔った 」「酔っぱらった 」「酩酊した 」という語を教えると、彼はどの英語が書く場合によいのかときいた。それ以来いつも彼は「酩酊した」人と言うようになった。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月9日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
コトンノホリは第一北に当りて仏飯を伏せし如し。
コトニヌプリ
和琴半島の西、津別町との境の山。岩棚ある山の意。
山は,ふだんは人閻同様に着物を着て暮している。
着物を着ているから,従って帯もしめている。釧路国弟子屈町屈斜路湖畔に次のような名の山がある。
「クと゜ンヌプリ」(Kut-un-nupuri 「帯・している・山」[俗にコトニヌプリといわれ,帯状の岩層が露われている])
2022年10月8日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
また並びて
トイコイ
此処チエトイ多く有て、其を鹿が掘て喰て一すじの川に成り居るが故に、此名有りとかや。
Tō etoko トー エトコ 沼ノ前これは「東部久須利誌」の「トイコイ」ではなく、「東西蝦夷山川地理取調図」の「トイトコ」を正であると考えたのでしょうか。to-etok であれば「沼・奥」であり、「沼の前」とは言い難いという問題がありますが……。
トイコイ川 サマッカリヌプリから流れ屈斜路湖に入る小川。アイヌ語の土波川の意。
弟子屈町史は「トイ(土) コイ(波)雨が降ると泥水が流れ出て湖に泥波がたつからいう」と書き、三者三様である。
松浦久須利誌の食土説は、語尾のコイと説明がどうも結びつかない。
永田説の「沼の前」あるいは「沼の先または奥」にしても、そのような位置ではない。屈斜路湖の沼の奥は藻琴山の下で、沼の前(先)は湖の東にある大きな入江である(トーエトクウシペ、トーパオマプ参照)。
流れの早いこの川は町史の土波説が、一応うなずける解説なのである。
ウランコシ
屈斜路湖畔の農地。ウランコシ川の名で桂の木の多い川の意。
オランコウシ
ウランコシ(地理院図)
ウランコシ川(営林署図)
津別町に山越えする道道の北側から湖に流入している。永田地名解は「オランコ・ウシ O-ranko-usi 桂ある川尻」と記した。オ・ランコ・ウㇱ・イ(o-ranko-us-i 川口に・カツラ(幹)・多くある・所(川)」の意である。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月7日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月6日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります(2022 年 10 月時点ではラウンジショーは休止中とのこと)。
2022年10月5日水曜日
2022年10月4日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月3日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。
2022年10月2日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
また並びて
ヲン子シレト
大山湖中え突出す。此辺の上樹木なし。只茅原。湖の乾 に当るなり。ヲン子は大し、シレトは岩岬の事。此上よりアハシリ越宜し。やはりヒホロえ出る也。
また並びて
チフ子ウシナイ
此処舟を作るに木多く有りてよしと云儀。本名チツフニウシナイなるよし。チツフは船、ニは木、ウシは多しと云儀。
並びて
シヤマツカリ
少しの峨々たる一ツの山有。此山峻しく辷りて上り難きが故に此名有るとかや。
サマッカリヌプリ 974.4㍍ 屈斜路湖畔西岸,津別町との境。頂上近くを道道が貫通しているが,美幌峠の南方数㌖の地点にあたる。⇒サマッカリヌプリ(津別町)
サマッカリヌプリ岳 974.4㍍ 弟子屈町との境の,屈斜路湖の壁を形つくっている山で,浜手の奥をまわっている山の意。
松浦久須利誌は「シヤマツカリ 此山峻しく辿りて上り難きが故に此名有るとかや」と記し、弟子屈町史は「サマ・チ・カリ 傍・我々・廻る、(急坂で通れず廻り道したところ)と書いた。サマタ・カリ・ヌプリ(samata-kari-nupuri 傍を・廻る・山)の意で、それは、松浦氏や弟子屈町史のいう通りの理由があったのであろう。
この考え方で行くと、屈斜路町・津別町境にある「サマッケヌプリ」は寧ろ例外的な山容で、本来は 1.3 km ほど南の釧路市との境界を形成する山の名前だったのでは……と思えてきます。あるいは「オサッペヌプリ」と「サマッケヌプリ」の位置を取り違えたか……?
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2022年10月1日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
トコタンカレナイ川 屈斜路湖に小清水町から入る小川。沼コタンを回る川か
オンネナイ川 藻琴山の東側の谷を流れて屈斜路湖に入る小川。アイヌ語年老いた川の意だが,なぜか不明。
また並びて小川
シケレベンベツ
此川むかし土人五味子を取に来りしによつて、いつも多く有るを以て号。シケレベは松前方言志古路の事也。土人是を喰料にしまた疾の薬に用ゆるとかや。本名シケレベウンヘツなるべし。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International