2022年10月23日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (981) 「雄武建山・石狩別川・インロマサイ川・本登」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

雄武建山(おぶたてやま)

op-ta-teske-nupuri
槍・そこで・跳ね返った・山
(典拠あり、類型あり)
屈斜路湖口の東、アトサヌプリの南西に位置する山の頂上付近にある二等三角点(標高 503.9 m)の名前です。普通に考えると山の名前が「雄武建山」なのだと思われるのですが、何故か地形図には「雄武建山」の名前が見当たりません。

戦前の陸軍図でも山名が見当たりませんが、明治時代の地形図には「オプタテシケヌプリ」と描かれていました。十勝岳の北東、上川郡美瑛町と上川郡新得町の境界にも「オプタテシケ山」(標高 2,012.5 m)がありますが、ほぼ同名と見て良さそうでしょうか。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 オプタテシケヌプリ
 屈斜路コタンの東の五〇〇㍍級の山。槍が肩をそれた山の意。藻琴山と槍投げをしたという伝説がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.257 より引用)
これは op-tap-teske-nupuri で「槍・肩・そらす・山」と考えたのでしょうか(文法的に適切であるかどうかは未確認ですが)。

山田秀三さんの「北海道の地名」にも、似たような内容が記されていました。

石狩川と十勝川の水瀕の間にある有名なオプタテシケと同名である。オㇷ゚・タ・テㇱケ・ヌプリ(op-ta-teshke-nupuri 槍が・そこで・はねかえった・山)の意だろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.274 より引用)
どうやら op-ta-teske-nupuri で「槍・そこで・跳ね返った・山」と見て良さそうでしょうか。まだ続きがありまして……

 アイヌ古老八重九郎翁の話。「オプタテシケは女山で,トイトクシペ(藻琴山)は男山だ。女は位があるので,ためしに槍を投げたら槍がテㇱケ(それる)して眠っている摩周湖ヌプリに剌さって其の跡が赤い血の沼になった云々」。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.274 より引用)
摩周湖が血の沼に……! 「火曜サスペンス劇場」と「東映ヤクザ映画」を足して 2 で割ったような感じでしょうか(足すな)。

石狩別川(いしかりべつ──)

e-sikari-pet??
水源・回る・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
JR 釧網本線・美留和駅の西を流れる川の名前です。「イシカリベツ」という音はアイヌ語由来っぽく思えますが、不思議なことに古い地図ではその存在を確認できません。

「東西蝦夷山川地理取調図」に「ウフシワ」とある川がどうやら現在の「石狩別川」のようなのですが、明治時代の地形図には「オプシワ」と描かれています。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

オプシワ
石狩別川(営林署図)
 札友内の北端(五十五線)から美留和集落に向かう農道に沿って、北東から釧路川に流入している。営林署図の石狩別川は、弟子屈町史「エシカリベツ」のことであろうが、オプシワ(町史はウプシワ)とは別の川なのである。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.316 より引用)
なんだか良くわからないというか……良くわからないですね……(何を言ってるんだか)。

戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

並び東岸に
     ウブシワ
形計の小川、上に谷地有て地味前に同じ。此辺川端に椴有。山の方に椴無が故に号るもの也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.439 より引用)
この記述から鎌田さんは hup-us-wa で「トドマツ・多くある・岸」ではないかとしていますが、この記録を見る限りは確かにそう考えるしか無さそうな感じですね。

また現在の名前である「石狩別川」については、次のように考えられるとのこと。

 石狩別川はエシカリ・ペッ(つかむ・川)で、知里地名小辞典は「エシカリ 原義は“つかむ”であるが、川について言えば水源がもぎとったように急に地中に消えてしまっているのを云う」とある。この川の上流は、直角に近い形で曲がっており、川下から川上に向かって行くと、突然先が見えなくなってしまう川なのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.316 より引用)
うーん……。この川の水源を遡ると、アトサヌプリとオプタテシケヌプリの間の山の東麓に辿り着くのですが(但し川としては描かれていない)、確かに直角に近い角度で右に左にと曲がっているように見えます。ただ、それだったら e-sikari-pet で「水源・回る・川」と考えることもできそうな気がするんですよね。

インロマサイ川

e-rer-oma-nay?
水源・山の向こう側・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「石狩別川」の南東を流れる川で、釧路川に注いでいます。地理院地図には川として描かれていますが、川名の記入はありません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「イレロマナイ」という名前の川が描かれていますが、明治時代の地形図では「イシヨマナイ」と描かれているようにも見えます。戊午日誌「東部久須利誌」では「イレロマナイ」で、午手控でも「イレロマナイ」と記録されています。

「インロマサイ川」という名前はおそらくいくつかの間違いを含んでいると思われるのですが、とりあえず「サイ」は「ナイ」だったと見て良さそうでしょう。あとは「レロ」なのか「シヨ」なのかというところですが、「イシヨマナイ」だとしたら iso-oma-nay で「水中の波かぶり岩・そこにある・川」と読めそうでしょうか。

松浦武四郎が記録した通りの形の「イレロマナイ」だったとすると、もしかしたら e-rer-oma-nay で「水源・山の向こう側・そこにある・川」とかでしょうか。

地理院地図で「インロマサイ川」を遡ると、平野部で突然川が途切れていますが、実際には美留和駅の南、美留和山の北側あたりまで遡ることができるとのこと。だとすると「水源が山の向こう側にある川」と言えそうな気も……?

本登(ぽんのぼり)

pon-nupuri
小さい・山
(典拠あり、類型多数)
JR 石北本線・美留和駅の北北東に「石山」という山があるのですが、頂上付近の三等三角点(標高 252.5 m)は「本登ぽんのぼり」という名前です。

明治時代の地形図には「石山」のあたりに「ポンヌプリ」と描かれていました。ほぼ正解が見えたも同然ですが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」によると……

ポンヌプリ
石山(地理院図)
本登(営林署図・三角点名)
 美留和市街の2.2キロ北の釧網本線沿いに位置している、標高252㍍元の独立した小山。
 ポン・ヌプリ(pon-nupri 小さい・山)の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.346 より引用)
やはり pon-nupuri で「小さい・山」と考えて良さそうですね。音にそのまま「本登」という字を当てたものの、今ひとつしっくり来なかったのか、結局「石山」に改められてしまった……と言ったところでしょうか。

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