(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
背根登(せねのぼり)
(典拠あり、類型あり)
エネトコマップ川の東に「三角山」という名前の山がありますが、この山の頂上付近に「背根登」という名前の三等三角点があります(標高 453.4 m)。どことなく「木根尚登」を彷彿とさせますが、もちろん何の関係も無いでしょう。明治時代の地形図を見てみると、「三角山」の位置に「チセ子ヌプリ」という山名が描かれていました。これは chise-ne-nupuri で「家・のような・山」と考えられそうですね。
知里さんの「地名アイヌ語小辞典」の chise-ne-sir の項には次のように記されていました。なかなか示唆に富んだ文なので、ちょっと長い目に引用してみます。
chise-ne-sir, -i チせネシㇽ 家の形をした山の義。ただし,ここで家と云っているのは,今のアイヌの家ではなく,古い時代のアイヌの家で,竪穴形式のものをさしているのである。それをアイヌは 「とィチセ」(toy-chise 土・家)とよぶのであるが,家の本体は地中に埋もれていて外部から見えず,地上に見えているのはその屋根の部分だけである。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.20 より引用)
ふむふむ。確かに「チセ」には普通に壁や窓があり、現代的な家と姿形は大差ない印象があります。「家のような形の山」というのが実際には「屋根のような形」をしているのは当たり前のように受け止めていますが……そこで,‘家の形をした山’といっても,現実に見られる山は,今われわれがその名によって想像するような側壁のある家の形をした山ではなく,側壁の無い,屋根だけを持って来て地上においたような形の,いわば三角山である。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.20-21 より引用)
あっ。こんなところで「三角山」の文字を目にするとは。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」にも次のように記されていました。
営林署図の三角点名背根登りはアイヌ名のチがぬけた形の当て字である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.347 より引用)
そういうことなんでしょうね。何故「チ」が抜けたのかは不明ですが……。岩田主山(いわたぬし──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
和琴半島の南を流れる「尾札部川」の東に聳える、標高 607 m の山です。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき山が見当たりませんが、明治時代の地形図に「イワタヌシ」という名前で描かれていました。また「イワタヌシ」の北西には「ポンイワタヌシ」と描かれていますが、これは三角山の南南東にある標高 349 m の山のことでしょうか。鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。
イワタヌシ
岩田主〔山〕(地理院図・営林署図三角点名)
ポンイワタヌシ
和琴小学校の南に位置し、標高606㍍(地理院図)がイワタヌシ、尾札部川の対岸で、この山の北西に位置しているのがポンイワタヌシである。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.346 より引用)
これを見ると「ポンイタワヌシ」の位置が少々不安に思えてきました。明治時代の地形図を見た限りでは 349 m の小山のように思えるのですが、鎌田さんの記述ではその南南西(岩田主山の北西)の標高 456 m の山のように見えます。ついでに言えば、「イワタヌシ」の位置も現在の岩田主山ではなく、山頂の北にある標高 484 m の支峰を指しているように見えます。「イワタヌシ」と「ポンイワタヌシ」は、どちらも支峰を指していた可能性がありそうです。
イワ・タ・ニ・ウㇱ・イ(iwa-ta-ni-us-i 山・に・木・群生している・所)の意である。この山は国道 243 号からよく見え、昭和 30 年(1955)頃までは、中、大経木のうっそうとした針葉樹林であった。「密林の山」とでも解すべきであろう。ポンは(pon 小さい)の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.347 より引用)
うーん、そう来ましたか。もっと単純に iwa-tanas-i で「岩山・高くなっている・もの」ではないか、とも思えるのですが……。そういえば北見市留辺蘂町の「北見富士」の旧名が yuk-riya-tanas-i(鹿・越冬する・高くなっている・もの)でしたね。「イワタヌシ」ももしかして riya-tanas-i が転訛したものだったりして……。
あるいはもしかして……
……と、ここまで書いてから、別の可能性に思い当たってしまいました(汗)。津別町・足寄町・陸別町の境界に「イユダニヌプリ山」という山が聳えているのですが、この山は {i-uta-ni}-nupuri で「山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。
アイヌ時代の杵(イ・ウタ・ニ。それを・つく・木)は昔風の竪て杵で,手で持つ処が細くなっている。この山は細長い独立山で両側が高く,間が低いので,竪て杵を横に置いた姿に見たててこの名がつけられたか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
この「細長い独立山で両側が高く」というのは「岩田主山」にも当てはまるような気がするのです。「ポンイワタヌシ」についても主峰の北に支峰が伸びていて、頂上らしきものもあると考えると……似ている……ような気もします。「イワタヌシ」は「イウタニウシ」が転訛したもの(転記ミスかも)で、本来は {i-uta-ni}-us-i で「{杵}・ある・もの」だった可能性がありそうです。また「釧路地方のアイヌ語語彙集」によると iyutani と ihutani の両方の形で記録されています。これだと「イフタニウシ」が「イワタヌシ」に化けた可能性も出てきますね。
-nupuri ではなく -us-i なのも若干謎ですが、{i-uta-ni}-us-i は {i-uta-ni}-nupuri から流れる川の名前で、いつの間にか主客転倒して山の名前に収まってしまった……と考えれば(ちょっと強引な考え方ですが)一応なんとかなるかな……と。
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