2022年10月9日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (977) 「コトニヌプリ・メシキメム川・エネトコマップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

コトニヌプリ

kut-un-nupuri
帯状の地層・ある・山
(典拠あり、類型あり)
道道 588 号「屈斜路津別線」の「津別峠」の南東、「オサッペヌプリ」の北に位置する標高 952 m の山です。頂上の近くからは北に向かって「コトニヌプリ川」も流れていますが、残念ながら地理院地図には川として描かれていません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「コトンノホリ」という名前の山が描かれていました。戊午日誌「東部久須利誌」にも次のように記されていたのですが……

コトンノホリは第一北に当りて仏飯を伏せし如し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.453 より引用)
山容の説明はあったものの、残念ながら山名の由来については記されていませんでした。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 コトニヌプリ
 和琴半島の西、津別町との境の山。岩棚ある山の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.257 より引用)
ん、岩棚とは一体……? この謎については「アイヌ語入門」にて次のように解き明かされていました。

 山は,ふだんは人閻同様に着物を着て暮している。
知里真志保アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.50 より引用)
故に「服を着ていない『裸の山』も存在する」とした上で……

 着物を着ているから,従って帯もしめている。釧路国弟子屈町屈斜路湖畔に次のような名の山がある。
「クと゜ンヌプリ」(Kut-un-nupuri 「帯・している・山」[俗にコトニヌプリといわれ,帯状の岩層が露われている])
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.50 より引用)
あー! 「岩棚」というのは「地層の露見した岩崖」だったんですね。kut-un-nupuri で「帯状の地層・ある・山」と見て良さそうな感じです。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

メシキメム川

sotki-mem?
(熊の)寝床・泉池
(? = 典拠あり、類型未確認)
「コトニヌプリ」の東側から東に向かって流れて、途中で北に向きを変えて屈斜路湖に注ぐ川です。明治時代の地形図には「ソツキメム」という名前の川が描かれていました(転記ミスですかね)。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ソツケメム」と描かれていました。また戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

 並びて
     ソーツケメム
 此処湖傍に一ツのメム有。メムは水溜りの事。昔し此処にて大熊出、其えクツチヤロの土人矢を着し処、其熊毒に苦しみて蹉陀してきりきりとまゐ、のたくりし処、一ツの水溜りになりしが今メムに成たりと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.452 より引用)
やはり「ソツキメム」(ソーツケメム)は mem のようで、元々は川の名前ではなく泉池の名前だったようです。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

ソツキメム
エントコマップ(地理院図)
琴以川(営林署図)
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.330 より引用)
現在の川名である「メシキメム川」は「ソツキメム」の誤字だと思われます。かつては「エントコマップ」と呼ばれたところで、これはお隣の「エネトコマップ川」に由来する地名だと考えられますが、現在の地理院地図では「弟子屈町字屈斜路」という扱いのようです。

 ソッキ・メム・イ「sotki-mem-i 熊などが多くいる・湧きつぼ・所(川)」と解したのであろう。この川口に泉池があって、かつてはサケのふ化の施設もあった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.330 より引用)
ふむふむ。「東部久須利誌」の記録と照らし合わせて考えると、やはり sotki-mem で「寝床・泉池」と解釈するしか無いでしょうか。鎌田さんは sotki を「熊などが多くいる」としましたが、「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されていました。

sotki そッキ ねどこ;神々の住む所;山中ではクマなど多くいる地帯;沖ではカジキマグロなど多くいる地帯。[<hotke-i(寝る・所)]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.126 より引用)
今回は「熊が矢毒で倒れた場所なので sotki-mem」というストーリーのようですね。一応筋は通っていますが、ちょいとご都合主義っぽい印象も……?

もしかしたら……というレベルの話ですが、soske-mem で「地肌が見えている・泉池」の可能性も……ちょっとだけある、かも?

エネトコマップ川

e-en-tuk-oma-p??
頂上・とがっている・小山・そこにある・もの(川)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
「メシキメム川」の東隣を流れる川で、かつては下流部に「エントコマップ」という地名がありました(現在は地理院地図では確認できず)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「イ子トコマフ」と描かれていました。「ヲランコウシ」(=ウランコシ川)より北側に描かれているのですが、これは誤りだと考えたいところです(「午手控」や「東部久須利誌」では「ヲランコウシ」よりも南側にあるとしているので)。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

エネトコツプ
高山ノ沢(営林署図)
 和琴半島の西側の出崎を通って湖に流入している。地理院図は、西隣りの沢がエントコマップと記入されてある。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.330 より引用)
ん……と思って「地図・空中写真閲覧サービス」で古い図幅を確かめてみたのですが、確かに 1970 年の「湖沼図」では現在の「メシキメム川」の位置に「エントコマップ川」と描かれている……ように見えます(解像度が……)。

 永田地名解は「エネトコマㇷ゚ Enetokomap 水源の方。直訳水源の方に在る処」と記した。エトㇰ・オマ・ㇷ゚「etok-oma-p 水源・に入る・もの(川)」の意である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.330 より引用)
etok-oma-p で「水源・に入る・もの(川)」ですか……。まぁ大抵の川を遡ると水源にたどり着くわけで、これは果たしてネーミングとしてどうなのか……という疑問が出てきます。

更に言えば、永田地名解の「エネトコマㇷ゚」と鎌田さんの「エトㇰオマㇷ゚」を比べると「ネ」が行方不明になってるんですよね。なんというか、この川名も二重三重におかしいような気がしてなりません。

頂上のとんがった山

ここまでの情報を一旦すべて捨てて「エネトコマップ川」というネーミングをイチから捉え直してみるならば、e-en-tuk-oma-p で「頂上・とがっている・小山・そこにある・もの(川)」と考えられそうな気がします。

改めて地形図を眺めてみると「三角山」という山がありますし、エネトコマップ川とメシキメム川の向こう側には標高 498 m の無名峰(だと思う)も見えます。三角山には「チセネシリ」という別名があるようなので、本命は標高 498 m の無名峰でしょうか。この無名峰、上空から見ると矢じりのような形をしてるんですよね。

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