2022年9月17日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (970) 「ユクリイオロマナイ沢川・ホロカサル川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ユクリイオロマナイ沢川

yuk-ru-iwor-oma-nay?
鹿・路・山の谷あい・そこにある・川
yuk-ru-e-wor-oma-nay?
鹿・路・その頭・水の中・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「タテクンナイ川」の 1.8 km ほど上流側で斜里川に合流する東支流(北支流)です。永田地名解にはそれらしい記録が見当たりませんが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ユコロマナイ(斜里川左支流) 「ユク・オロ・オマ・ナイ」(yuk-oro-oma-nay 鹿が・そこに・入る・沢)。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.257 より引用)
ふむふむ。yuk-oro-oma-nay で「鹿・その中・そこにある・川」となるのですが、改めて考えてみると少々意味不明なところがあります。たとえば「イワオロマナイ」という川(中斜里駅の南のあたりに存在したと思われる)の場合、iwa-oro-oma-nay で「岩山・の所・にある・川」だとされます。

同じ考え方で「ユコロマナイ」を読み解くと「鹿・その中・にある」あるいは「鹿・の所・にある」となるのですね。故に知里さんは「鹿が・そこに・入る」としたのでしょうが、それだったら yuk-oma で「鹿・そこに入る」と解釈できるので、あえて oro を加える余地は無さそうにも思えるのです。

鹿が死ぬ川?

実は oro-oma で「病死する」あるいは「それがために死ぬ」とも解釈できるのだとか。たとえば知里さんの「人間編」には次のように記されています。

(32) 病死する oro oma 〔o-ró|o-má オろ・オま〕[oro(その中)+oma(に入る)]《ホロベツ》
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 II『分類アイヌ語辞典 人間編』」平凡社 p.200 より引用)
穿った見方をすれば、yuk-{oro-oma}-nay は「鹿・{死ぬ}・川」とも読めてしまうのかもしれません。

鹿の路のある川?

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「サツルフト」のすぐ近くに「ユツコロマナイ」という川が描かれています。これは「アタツクシヤ」や「ヲロカサラ」よりも遥かに手前(海側)に描かれているので、どこまで信用できるかという話もあるのですが、知里さんが記録した「ユコロマナイ」とそっくりなんですよね。

そして明治時代の地形図を見てみると、現在の川名とほぼ同じ「ユクリイオロマナイ」という名前の川が(現在と同じ位置に)描かれています。さて、これはどう考えたものでしょう。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 ユクリイオロマナイ沢 江鳶山から南に流れ斜里川右に入る小川の沢。意味不明であるが,「ユクルオマナイ」(鹿路にある川)であるという説もある。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.462 より引用)
確かに yuk-ru-oma-nay であれば「鹿・路・そこにある・川」なのですが、「ユクルオマナイ」あるいは「ユコロマナイ」と「ユクリイオロマナイ」の間には無視できないレベルの差があるように思えるのです。

yuk-ru-oro-oma-nay と考えれば「鹿・路・その中・そこにある・川」となりそうですが、これもやはり oro の必要性が感じられないというか、むしろ邪魔になりそうな気がします(oro が無いほうが意味が明瞭になるため)。

鹿路のある山の谷あいの川?

どうやら oro を捨てて考えるのが正解のような気がしました。oro ではなく iwor だったらどうかと考えてみたのですが、「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されていました。

iwor, -i/-o イうォㇽ 神々の住む世界。具体的に云えば狩や漁の場或は生活資料(衣料・食料・燃料・建築資材など)採集場としての山奥または沖合。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.38 より引用)
これを見ると、なんだかかなり神聖な場所を意味するようにも思えるのですが、一方で「アイヌ語沙流方言辞典」を見てみると……

iwor イウォㇿ 1 【名】尾根と尾根の間の比較的平らな部分、山の谷間(たにあい)(熊狩りなどをする所、狩場)、山奥。
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.255 より引用)
あれ、「山の谷あい」だとすれば、ユクリイオロマナイ沢川のあたりもそんな地形のような……(まぁ大抵の川は「山の谷あい」ですが)。yuk-ru-iwor-oma-nay であれば「鹿・路・山の谷あい・そこにある・川」となりそうです。

鹿路のある川沿いの崖の川?

あるいは iwor ではなく e-wor で「その頭・水の中」とも考えられるかもしれません。これは東川町の「江卸」と同様の考え方で、yuk-ru-e-wor-oma-nay で「鹿・路・その頭・水の中・そこにある・川」ではないかな……と。

ユクリイオロマナイ沢川の河口の東側には標高 419 m の山があり、このことを形容して「頭を水につけているところ」と呼んだのではないか……という考え方です(鹿が頭を水につけているという訳では無いです)。

ホロカサル川

horka-{sar}
U ターンする・{斜里川}
(典拠あり、類型あり)
ユクリイオロマナイ沢川の 1 km ほど東(上流側)で斜里川に合流する東支流(北支流)です。「ホロカサル川」自体は途中で二手に分かれていて、西側の支流は「下ホロカサル川」と呼ばれています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「アタツクシヤ」の隣に「ヲロカサラ」と描かれています。ただ川が二手に分かれるところに描かれているので、どちらの川を「ヲロカサラ」と認識していたのかは不明です。

「午手控」には次のように記されていました。

 ヲロカサラ
 此水源子モロのチウルイ岳シャリ岳との間に行て、又チウルイの水はチウルイ岳より向ふえ落る也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 三」北海道出版企画センター p.176 より引用)
「チウルイ岳」の位置が不明ですが、「チウルイ」は現在の「忠類川」のことと考えて良さそうに思えます。となるとこの文章は「ホロカサル川」ではなく現在の「斜里川」のことを指しているように読めますが……

ただ、明治時代の地形図では現在と同じ位置に「ホロカサル」と描かれていました。川の水源は斜里岳と江鳶山の間にあり、水源から斜里川まで南に向かって流れた後、斜里川に合流してからは北に向かうため、まさに horka(U ターンする)川と言えそうですね。

「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ホルカサル(斜里川左支流) 「ホルカ・サル」(horka-Sar 後戻りする・斜里川)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.257-258 より引用)
はい。horka-{sar} で「U ターンする・{斜里川}」と見て間違いないかと思われます。

「斜里」と「沙流」は、本来はどちらも同音の sar で、両者を区別するために「斜里」を pinne-sar(男の sar)、「沙流」を matne-sar(女の sar)と呼び分けていたと聞きます。「ホロカ斜里川」ではなく「ホルカサル」なのが、「斜里川」の本来のネーミングを残していて面白いですね。

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